魔物による虐殺の場に駆けつける。

式を終え、新入生は次々と礼拝堂からはき出されていった。


「ミセア様」

 式中、偶然ミセアの隣に居合わせた同級生の少女が、彼女の背中に声をかけた。

「も、もしよろしければ…… 食堂でご一緒に昼食などいかがでしょう……」


「それは友人として?」

 ミセアは神妙な面持ちで振り返った。


「え……あ……」

 彼女はがちがちに緊張しつつも、なんとか返事を絞り出そうとしていた。

「…… ゆ、友人としてです…!」


「そう」

 するとミセアは満足そうに笑みを浮かべた。

「それなら喜んで。行きましょうか」


「は、はい!」


 二人は他愛ない話をやりとりしながら歩いた。

 しかしもう少しで食堂へ着くというところで、その少女ははっとして、まるで自分がとんでもない罪を犯してしまったかのような顔でミセアを見た。

「あの、申し訳ありませんが、郵便室に行ってきてもよろしいでしょうか?」


「郵便?」


「はい…… 今日のことは両親もとても喜んでくれていまして…… なるべく早く便りを出してあげたいのです」


「そう」

 ミセア小首をかしげた。

「なら私もついていくわ。行きましょう」


「そ、そんな! ミセア様はどうぞこちらで――!」


 ミセアは首を振った。

「友人として付き添うのに、なんの面倒もないわ」


「ミセア様…!」

 彼女がいたく感動しミセアに心酔しきった様子は、誰がみてもあきらかだった。





「あなた、名前は?」


「シャーリアといいます」

 彼女はほっそりと背が高く、さらさらとした黒髪は前髪だけを残し、残りは綺麗に編んでまとめている。首もとまである薄手のコートに身を包み、質素だが趣味のよいアミュレットをさげている。それらはすべて(ミセアほどではないにせよ)、彼女の育ちのよさを物語っていた。

「南区の商家で生まれ育ちました。男兄弟はみな商人として育てられましたが、私は素養があるというので魔術師になれと言われました」


「ご両親に支えられているのね」

 ミセアはそれを羨ましがった。そして同時に、商家の娘が自分に付き従ってくることの意味について、無意識にこれまで見せられてきた父や兄の様式にのっとって思考してしまう自分がいることを苦々しく思った。つまり自ら友人関係を求めつつ、相手がそれを受け入れることを信用しきれずにいた。

「けれど、あなたの家族はあなたが魔物と戦うのを望まないのではないかしら?」


「それは……そうです」

 シャーリアは視線を落とした。

「私はおそらく、ここを卒業すればただ市井の魔術師として商家に戻るだけでしょうから」



 角を曲がったところで、急にミセアは立ち止まり、そのまま行きかけたシャーリアの肩を強く掴んだ。彼女はびっくりしてミセアを振り返ったあと、さながら張り詰めた糸に指輪を通すように、彼女が見つめる先を辿っていった。


 ミセア自身、自分が見ているものが何なのかしばらく理解できなかった。

 わずか数十歩の距離をおいて、そのすぐ隣の建物と遜色ない大きさの生物が立ちはだかっている。全身が鬱血したようなどす黒い紫色に染まっており、いたるところに樹の幹のごとく太い血管が走っている。尻尾のない四足歩行で、すべての足に鋭い爪が生えている。頭部は岩のような質感で、左右にひび割れのような眼が開いており、口も割れ目の形状がそのまま牙になっていた。そして口元は赤い血が滴り、前足とその付け根の腹に返り血がべったりと付着している。


 魔物だ。二人は初めて見るはずのそれを、本能的に確信した。隣にいるシャーリアの口から、魂でも抜けてしまうかのような吐息がもれた。反対に魔物の息づかいは周囲の空気を震わせ、圧倒的な威圧感を二人に与えた。



「シャーリア!」

 ミセアは叫び、彼女の金縛りを解いた。シャーリアはミセアに手を引っぱられ、来た角を全速力で引き返した。

 その叫びを合図に魔物も動き始め、すぐ真後ろで地響きのような足音が聞こえた。


 小路をひとつ通り過ぎるとき、そこからこちらへ出てくるひとりの生徒に気づいた。

「だめ…っ!」

 ミセアが振り返ると同時に、魔物が前足を横に振り上げ、その生徒を壁に押し潰すのを目の当たりにしてしまった。白い壁は真っ赤に染まり、その生徒の遺骸はボロ切れのように壁へへばりついた。


 ミセアはシャーリアを後ろにかばい、彼女の視界を遮った。

 魔物は遺骸をくわえ、何度か咀嚼してから飲み込んだ。すると全身に走った血管が大きく伸縮し、それに伴って身体を膨らませ、伸縮がおさまる数秒間で一回り大きく成長した。



 ミセアはぼろぼろと涙を流すシャーリアの耳元に呼びかけた。

「聞いて! あなたは今から助けを呼んでくるのよ! 私が時間を稼ぐから!」

 シャーリアがためらう暇を与えず、ミセアは彼女を逃げ道の方へ押し出した。

「早く!」


 そしてミセアは、自分を次の獲物に見定めた巨大な四足の魔物と向き合った。魔物は獲物に隙を与えないよう、すぐさま飛びかかろうとしてきた。


 ミセアは手をかざした。

「【炎よ】!」

 彼女は自身の手持ちから最も詠唱が早く威力の強い魔法を瞬時に選択した。


 火炎の塊が掌から生じ、高速で飛んだ。火球は魔物の顔面にぶつかって爆発した。しかし魔物は一瞬ひるんだ程度で、わずかに頭部が焦げた以外に損傷はなかった。


 今度は魔物が前足を振り下ろしたが、すんでのところで回避した。




 レンは積んであった木箱を踏み、素早く屋根に登って、すぐ近くにミセアを見つけた。

「ミセア! こっちに入れ!」

 彼は自分の足元の小路を指した。あの魔物の図体なら、細い道に入れば追いかけてこれまい。


 しかしミセアはレンの方を一瞥しただけで、それに従わなかった。


「何をやってるんだあいつは…!」

 レンは屋根を飛び降り、駆け出すとともに察した。彼女は自分が注意を引かなければ他の生徒が犠牲になると考えている。だから逃げないのだ。


 レンは死角となっている小路から通りへ出て、魔物の股下を通り抜けると同時に幾度か斬りつけた。魔物はそれによって、注意をレンの方へ向けた。それぞれの傷跡を視認したが、どれも浅い。腹部が弱いはずだという読みは甘かった。


 魔物はいったんこちらを向いたのだが、再び当てられた火球によって、再びミセアの方を振り返った。


「おい! 余計なことするな!」

 自分の方が生き残る確率が高いと思って注意を引いたのに、彼女の正義感がそれを許さなかった。しかしあの魔物の攻撃を避けつづけるなど不可能だ。レンはミセアの後方に建つ半球状の建物に扉がついていないのを見つけた。

「後ろに入れ!」


 呼びかけた瞬間、ミセアは見る間もなく彼の意図を察して後方に飛び込んだので、間一髪攻撃をかわすことができた。


 しかし予想外だったのは、すぐさま魔物がその建物に体当たりしたことだ。一度の追突で壁から屋根までヒビが入り、二度目の追突で屋根が崩れ落ち、建物は完全に崩落した。



 中にいたミセアは自分の真上に瓦礫が降ってくるのを見つめていた。1秒の出来事が、すべて非常にゆったりと感じられた。身体は動かなかった。


 視界の奥に崩落する壁、その奥に魔物の突進してくる姿が見え、その奥にはレンがいるのがみとめられた。彼の瞳は紫色に染まり、彼の周りを黒い霧のようなものが包んだ。その霧は彼の眼前に凝集し、槍のような形をかたどり、魔物を後ろから串刺しにした。そして貫通した黒い霧が、降ってくる巨大な瓦礫を吹き飛ばすのを見届け、そして彼女の意識はふつりと切れた。

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