襲撃されるが、返り討ちにする。

「とてもお似合いです、ミセア様! 素晴らしいお姿ですよ!」


 入学式の当日、朝になってミセアは、シワひとつない礼服を着込んだ正装で家から出てきた。それをみとめたレンも何か気の利いたことを言おうと頭をひねったが、それを待たずミセアは言付けた。

「式が終わる正午頃、礼拝堂に来ておいてもらえる? 運んでほしいものがあるから」


 レンがそれを承ると、ミセアは満足そうに頷いて校舎の方へ向かった。


 しばらくは生徒たちが敷地内を雪崩を打ったように移動するだろうから、ちょろちょろと掃除に回っては邪魔になることがわかっていた。レンはやることがなくなって、おもむろに芝生の上に尻餅をついてみた。辺りに人の目もなかったので、さらにその場に寝転がってみせた。両腕を枕にして仰向けになり、空が雲ひとつない青空であることを見届けてから、目をゆっくりと閉じた。芝生は暖かく、頭からつま先へながれる微風が心地よかった。


「こんな素敵な日でよかった。ミセア様にとって、記念すべき最初の日だから」

 頭上でアルリーの声だけがした。


「この青空も、魔法の作用かもしれないよ」

 レンは大きく吸った息を、ゆっくり吐き出すとともに言った。


「そんな魔法があるの? ミセア様も使えるようになるかな?」


「あってもおかしくない」

 レンは薄目を開けた。

「けど、そういうのは習わないんじゃないか」


「どうして?」


「この学校は、魔物の殺し方を習うところだから」


「へえ…… 私、実はそういうことはあまり知らないの」


 レンはまぶたの裏のト書きでも読むみたいに、よどみなく語った。

「魔物は普通の剣や槍では死なない。魔力を纏った武器によってのみ、傷をつけることができる。もっと効果的な方法は、魔法を用いて燃やしたり、凍らせたり、引き裂いたりすることだ。魔力を道具に纏わせるのは、素質があればそんなに難しくないし、希少な技術でもない。でも魔法は大変だ。純粋な魔力による生成物だからね。その分、知恵も腕もいる。魔術師はここみたいな優れた環境で修行させないと、なかなか育たないんだよ。そしてちゃんと魔術師を育てないと、王国に侵入してくる魔物を撃退できない。国境の一部はすでに魔物に深く侵食されていることを、君は知ってるか?」


「知らないわ。この都の外壁を出たことないから」


「魔物はある程度の範囲を侵略し尽くすと、その中心に俺たち人間みたいに街を作る。宿屋や鍛冶屋はないし、教会のような背の高い建造物もないけどね。そうなると今度はこっちが大変だ。師団を組んで攻め込まないとならなくなる。相手は人を喰うのが主な娯楽だし、石畳のまっすぐな道路にも興味がない。だからやつらの巣は魔術師を返り討ちにするためだけに造り込まれていて、血みどろの見世物小屋みたいになってる。遠征では魔術師がずいぶん減るんだよ――」


 そこまで話して、レンはアルリーが怯えはじめていることに気がついた。上半身だけを起こして振り返ると、アルリーは寝転んだレンの頭のすぐ上にしゃがみこんでいて、彼女の顔が目と鼻の先にあった。マホガニー色の澄んだ瞳が、不安で揺れているのが見えた。


「ごめん。こんな気持ちのいい場所でする話じゃなかった」


 アルリーは気を取り直すように笑い、頭を振った。

「物知りなのね、レン」


「そりゃ少しはね。ご主人から聞いてないか? 俺がこの学校を受験したこと」


 彼女はきょとんとしていた。

「この学校に通うことになってたの?」


 レンは再び仰向けに寝転がった。今度は青空を背景に、こちらを覗き込むアルリーの顔があった。

「俺が勝手にそのつもりになってただけだ。結局落ちた」


「残念だね…… 私は君が生徒でも、全然おかしくないと思うけど」


「そう?」


「なんとなくだけどね。……うーん、でもどうだろう」

 見下ろすアルリーの眼が好奇の色を帯びた。


「なに?」


「君は周りと少し雰囲気が違うから。髪と目の色のせいかな? うーん……」


「初めて言われたな、そんなこと。それをいったら、俺と君とご主人はそれぞれ違う髪と眼なわけだし」


「まあ、それはそうね」

 アルリーは微笑んだ。



◇◇◇



 陽が高く昇りはじめたので、レンは朝の言付けどおり礼拝堂へ向かうことにした。先日同様、まばらに立つ様々な形の校舎の群れの合間を抜けて、礼拝堂とおぼしき、ひときわ大きくて背が高く、屋根の一部がさらに高く伸びる尖塔になっている白い建物の前に到着した。裏手に回り、壁が張り出して庇になっている外廊下を進むと、学校の事務員と思われる、ローブをまとった女性が立っていた。

 要件を伝えると、相手はうなずく代わりに掛けている細長い眼鏡を中指で持ち上げ、そしてレンを外廊下のさらに奥へ案内した。そこには裏口用の木の扉があり、その隣の地面には毛布が敷かれ、白い壁によりかかるようにして物品が積み上げられていた。


「これは…?」


「エオラーム嬢への祝いの品です。入学者の首席として与えられる楯もありますが、ほとんどは領内の貴族から送られたものでしょう」


「ご主人はまだ中ですか」


「ええ、まだ式の最中でして。今は校長が話しておいでです」


「それはいつ終わりますか?」


「見当もつきませんね」

 女性はこっちが聞きたいとばかりに、節度はあるが深いため息をついた。

「ところで、使用人はあなた一人なんですか?」


「そうです」


「この量を運ぶなら、荷台と馬を持ってきたほうがいいでしょうね。馬は乗れますか?」


「乗れます」


「それは困りましたね。使用人が馬に乗るとろくなことになりませんから。手綱を引いて歩くだけにしてもらわないと」


「じゃあ、乗りません」

 レンは礼拝堂の中に聞き耳を立ててみたが、壁が厚いためか何も聞こえてこなかった。校長の話も長いのかもしれないが、この人の冗長な問答も大概だ、と彼は思った。

「ご主人に会うのは諦めます。これ、持っていきますね」


 とレンが祝いの品に手を伸ばしかけたとき、女性は思い出したようにそれを制した。

「そういえば、あなたがエオラーム嬢の使用人である証拠がありませんね。そのまま高価な品を預けるのには手続き上問題があるかもしれません」


 レンはうんざりした顔を隠さなかった。

「なら代わってくれませんか。あんたがこれをご主人の宿家まで届け、俺が日陰で銅像みたいに突っ立ってますから」


 そのとき、二人の間にあった木の扉が開いて、中からミセアが出てきた。

「あら、ちょうどよかったわ、レン」


 レンは驚いた。

「式はよかったんですか?」


「少し抜けてきたのよ。あなたがそろそろ来るかもしれないと思って」


 なんて間のいい人だろうとレンは思った。アルリーではないが、この瞬間ばかりは彼女が天使に見えた。


 眼鏡の女性は、気まずさをごまかすように小さく咳払いした。

「……では、どうぞ持って行ってください」


「これ、贈り物だそうですが、特別大事なものはありますか? もしあるなら、荷台に積まず腕に抱えて帰りますが」


 ミセアは肩をすくめて笑った。

「べつにないわ。ほとんどが顔も知らない贈り主からのものよ」



◇◇◇



 馬はあまり躾が行き届いていないようで、手綱を引くレンに頻繁に逆らった。そのせいで歩みは遅く、入り組んだ道をのろのろと馬と歩くことになってしまった。そろそろ入学式も終わっただろうというところで、レンもようやく帰り道の半分を越えたくらいだった。



 視線の先に、こちらへ歩いてくる集団を見つけた。レンはそれに見覚えがあった。先日、彼が運んでいた木材を爆発四散させた男たちだった。そのときもいたリーダー格の男もまたレンを見つけた。


「また面白いもん運んでるな」

 珍しい玩具を見つけた悪童らしい眼をして、彼らはレンの行く手を遮った。

 礼拝堂とは逆方向から現れたので、彼らは入学式には出ていない上級生ということなのだろう。


 一人が後ろへ回り込んで、荷台の物品をひとつ山から勝手に抜き出した。

「うお、すげー!」

 それは金色のゴブレットで、全体に宝石をあしらった細工が施されていた。


「一個くらい良いんじゃねぇの?」


「待て待て、もっといいのがあるかもしれん」


 男たちはレンの頭を飛び越えて、内輪の会話を続けている。

 揉めずに済むなら、たしかに一個くらい渡してしまってもいいかもしれないという考えがレンの頭に去来した。特に主人にとって重要なものもなさそうだし、と。


 しかし、群れのひとりが豪華な装飾の施された剣を物色したあたりで、レンに異変が起きた。彼は不意にさっと顔を上げた。リーダーの男はレンと目が合ったと思ったが、すぐに彼の両目は自分に焦点が合っていないことに気づいた。レンの顔つきはさっきとずいぶん違っていて、全身の皮膚が粟立ち、髪が逆立っているように見えた。そのことを観察できたのは、リーダーの男だけだった。


 レンは目を閉じ、しばし沈黙してから来た道を振り返った。

「まずいな…… そっちはまずいぞ」

 彼はつぶやいた。


「あ?」

 荷台を物色していた男が、それを自分に対する抗議と捉え、生意気な獲物の反抗心を挫くべく、レンににじり寄った。


 レンは素早く、しかし音もなく荷台から銀の杖を引き抜いた。そのあとあちこち物品を物色しはじめる。

 無視されていると感じた男は、レンの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。すると、それに気づいたレンがわずかに身をかがめたかと思うと、その瞬間、男の顔を強い衝撃が襲った。男はこらえきれず後ろに倒れこんだ。

 レンは突き倒されて鼻血を噴き上げている男の身体をさっとまたぐと、手早く荷台の後ろの方も確認しはじめた。

 突然仲間を倒されてうろたえていた男たちも、はっとして身構えた。レンは荷台に求めるものがないとわかり、舌打ちとともに荷台を置いていこうとしたが、男たちはそうはさせじと彼を取り囲んだ。


 彼の肩はストンと落ちており、全身が完全にリラックスしていることを示していた。

「悪い。どいてくれ」

 と、言い終わるか終わらないかのうちに、男たちは自分がどのような軌道で打たれたのかとらえる暇もなく、頭を殴られ、みぞおちを突かれ、脚を叩き割られて地面に転がされた。

 レンは杖を確認したが、装飾はとっくに粉々になり、全体がひん曲がっていたので、彼は男の一人から、戦利品として持ち去られそうになっていた剣を取り上げ、壊れた杖と交換して腰のベルトに差した。


「あいつ… いったい何者だ…!?」

 リーダーの男は奥歯を噛み締めながらレンの背中を睨みつけていたが、レンはこちらに振り返ることもなく、普段の様子からは想像もつかない俊足でその場を駆け出した。

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