雑用中、集団に絡まれる。
入学を間近に控え、ミセアは荷物の搬入にとりかかった。もともと意に沿わず提供された住居であり、掃除のしやすさも考えて、備え付けの家具以外によけいな私物は置かないように決めていたのだが、それではあまりに仮住まい然としているので、少しだけ自分の空間を作り上げることにしたのだった。
「すごい量ですね」
レンは運び入れの様子を眺めて言った。彼は植え込みを剪定している途中で、大きなハサミをぶら下げていた。
「書斎だけ作ることにしたのよ。落ち着くところがひと部屋できるだけで、ずいぶん違うから」
ミセアは後ろにまとめた髪をほどき、豊かな金髪を肩に流した。先ほどまで本棚の木組みの位置を指示していたのだが、あとは蔵書を並べる作業がほとんどだから、任せてしまっていい。
レンは開け放たれた玄関口を通して、エプロン姿で家内を動き回る同僚アルリーの姿を捉えていた。
「俺も運びましょうか?」
「いえ、必要ないわ」
あまりにきっぱり断れたので、レンは怪訝な顔になった。ミセアもそれに気づいて、なんと説明したものかと困ってしまった。彼を家の中に入れてしまうと、校長と交わした一応の契約には違反することになってしまう。またそれを見て、レンはなんとなく事情を察したようだった。
「そりゃあ、入れづらいでしょうけど。俺もこんな立派な家に招かれたら、銀の燭台でもくすねるかもしれませんから」
と、レンは苦笑しつつ悪戯心で言った。
「いえ、違うのよ? ええと……」
しかし彼女の方は生真面目に受け取ってしまったようだ。
「なんていうか…… ほら! どんなに可愛い犬も、外で飼うでしょう?」
「…………」
レンがよけいに猜疑心の強い眼で見てきたので、ミセアは自分が例え話に失敗したことをさとった。
◇◇◇
時刻が正午に迫って、ミセアは後片付けを言付けて出かけていった。
学校の中庭を掃除し終えて戻ってきたレンが玄関を覗き込むと、階段を降りたところにアルリーがおり、彼女は木材の束を紐でくくるのに難儀しているところだった。
レンは屋内に足を踏み入れ、彼女を手伝った。
「ありがとう、レン」
アルリーはほっとしたようだった。
短く切りそろえた栗色の髪。大きな瞳に長いまつげ。小柄な彼女にこの木材はずいぶん重そうだった。
「書斎づくりは終わったのか?」
「うん。大工の人はもう帰ったよ。あとはゴミの片付けだけ」
レンは紐を掴んで肩に掛け、木材を背負って立ち上がった。
「こんなもの、大工に持って帰らせればよかったんじゃないか? 犬小屋の材料くらいにはなるだろうし」
アルリーもエプロンの埃を払って立った。
「ならないみたい。いらないって言われちゃったもん」
「銅貨を一枚ずつ渡せば、喜んで持って帰っただろうに」
「思いつかないよ、そんなの」
「まあ、いいさ。俺がタダで持っていくよ。どこへ運ぶ?」
「敷地の反対側に、薪を貯める倉庫があるみたいだから、そこまで」
アルリーは、自分にはこの後の予定が特にないことを思い出した。
「私も行こうかな」
「そっちも暇なら、止める理由はないな。じゃあ行こう」
学校の敷地は広いが、校舎は巨大な一棟が建っているわけではなく、生徒に魔術・武芸にかかわるあらゆる訓練を施すための建物が乱立していて、大きさ高さもバラバラで雑然としている。そのシルエットは、起伏の激しい山脈あるいは針山を思い浮かべるかもしれない。きっと毎日通う生徒も、最初の一年くらいはその複雑な構造のせいで何度も迷子に悩まされることになるのだろう。
二人は歩きながら言葉を交わした。
「私、主人がミセア様になって本当によかった」
アルリーは感情をたっぷりこめてそう言ったので、それがお世辞でなく心からのものであることは明らかだった。
「お美しいしお優しいし、立派な佇まいだけど気取ってらっしゃらないし。もし悪い主人についてしまったら、いったいどんな目に遭わされたか……」
今度は対照的に、深く不安に沈んだ表情を見せた。
「私、さんざん家族に脅されたの。どんな主人でも、常にご機嫌を伺って気を配りなさいって。嫌なことされても、我慢しなければ追い出されてしまうって。そう考えたらミセア様は本当に、まるで天使様みたい」
「気まぐれに俺を雇えるあたり、たしかに庶民とはずいぶん違うな」
アルリーは豆鉄砲でも食らったような顔になった。
「レン、正気!? あの方は領主のエオラーム家のご息女よ!」
レンも目を見開き、アルリーを見返した。
「領主? そうか……この領地で一番偉いってことか」
彼女が正真正銘の貴族であることを、レンはそこで初めて理解した。
「そうよ。あなたが悪い人じゃないのはわかるけど…… やっぱり使用人として慣れないこともありそうね」
アルリーは人差し指をピンと立てた。
「だからこそ、粗相のないようにね。ミセア様にはなるべく気を配って、ご気分を害さないようにしてね。もし不満があっても、ミセア様にもお考えあってのことなんだから、怒ってはダメ。あなたの失態は、私にも影響するんだから。くれぐれもそこだけはお願いするわ」
レンは苦い顔をした。
「脅すなよ……」
ランダムに現れる建物の壁を縫うようにジグザグな道を歩いていると、ようやく視界がひらけ、敷地の外縁を囲う白い塀を見つけた。ここを沿っていけば角にある倉庫へたどり着けるだろう。
レンはその道の向こうに、数人がたむろしているのを見かけた。全員がレンと同じくらいの年齢に見えるので、ここの生徒なのだろう。
「アルリー」
レンは呼びかけた。
「もう道はわかるからいい。ご主人も戻ってくるだろうし、家に戻っておいてくれないか」
「そう? じゃあ、早めに紅茶の準備でもしておこうかな」
彼女はレンに礼を言って、来た道を引き返していった。
レンは再び歩き出した。
その集団の前を横切ろうとしたとき、レンの嫌な予感は的中し、声をかけられた。
「なあ、おい、そこのあんた」
レンは立ち止まり、声の主の方を向いた。
「誰だ?」
「使用人だろ、見た感じ」
仲間内で囁きあっている。
窓の桟に腰掛けた、リーダー格風の男が再び呼びかけた。
「何を運んでるんだ?」
「木材だ」
「見せてくれよ」
レンはため息をつき、背負っていた木材を下ろし、束を杖のように地面に立てた。
窓の男が、足で仲間の背中を小突いた。小突かれた仲間は一歩前へ出て、悪意ある笑みを浮かべ、右手をレンに向けてかざし、そして短く口元で何かをささやいた。レンは反射的に束から手を離した。
手が離れたその瞬間に、まず火花が舞い、その直後 木材は火炎と音を立てて粉々に弾け飛んだ。
とっさに顔の前にかざした腕に、焦げた木片がいくつもぶつかった。砂煙の向こうで、男たちが大笑いしているのが聞こえる。
「なあ、悪かったな」
窓の男は笑いをこらえながら言った。
「怪我してないか? するわけないよな、こんくらいで」
ひとしきり笑い終えたあと、彼らのレンに対する関心はほとんどなくなったようだった。
「通っていいぞ。大事な仕事中だったんだろ?」
「仕事なら、今なくなった」
レンは応えた。
「ああ、そうかい。あばよ」
レンはこの場をおとなしく引き下がり、家へ戻ることにした。
◇◇◇
来賓用宿家まで戻ると、アルリーが玄関先で待っていた。胸の前に小さなカップを持っており、芝生に囲まれたなかで陶器を持って立つ不自然な姿が可笑しかった。
「倉庫には入れた? ひょっとしたら鍵がかかってるかもしれないなんて、さっき考えたんだけど」
「それに関しては、ある事情で問題なかったよ」
レンは倉庫にたどり着く前に巻き込まれた出来事について彼女に話した。
「うそ、大丈夫だった?」
「怪我はないよ」
レンは自分でもその事実を確かめるように、手足を振ってみせた。
「これ、あなたの分。飲んだら温まるわ」
主人のために淹れた紅茶のおすそ分けを渡しながら、アルリーは眉をハの字に曲げたままレンの顔を覗き込んだ。
「私を先に帰したのは、そのせい?」
「偶然だ」
レンは一口飲み、にべもなく答える。
「……ありがとね」
彼女は心配しながらも、つぶやくようにそう言った。
アルリーが家内に戻ったのとほとんど入れ替わりで、ミセアが帰ってきた。夕日で淡く照らされた彼女の髪が遠くからでもよく映えたので、すぐに気づくことができた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
レンの挨拶がよほどぎこちなかったようで、ミセアは同情のこもった目で彼を見た。
「無理に畏まらなくてもいいのよ」
「いえ、べつに無理は……」
彼は気まずそうに頬をかいた。
ミセアは土の付いた彼の衣服を眺めてから言った。
「あまり遅くまで働いてはダメよ。日が落ちる頃には片付けるようにしておいて」
彼女はレンの真横を通り抜けた。
反射的にまた畏まった返事に挑戦してしまいそうになったが、寸前でただ頭を下げるだけにとどめた。
ミセアが家に入ると、
「あ、お帰りなさいませ! ミセア様!」
アルリーのお手本のようなお出迎えの声が聞こえた。
レンは微妙な敗北感を覚えたまま、裏にある使用人専用の住居へと帰っていった。
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