東国の異邦人 〜 仕方なく雇った使用人が、最強だった 〜

トサケン

ご令嬢、仕方なく使用人を雇う。

 魔術師訓練学校の入学試験を無事合格し、ミセアは校舎をあとにした。芝生で覆われた広大な中庭を横切り、校門へ向かう途中、すれ違う者たちが、そろって彼女の方を振り返った。

 今日は少し風がある。彼女の長い金髪はふわりとたなびいて、その貴族的な雰囲気をさらにきらびやかなものにしていた。


 開け放たれた校門のすぐ奥で、校舎に背を向けて立っている者がいる。ミセアは一度通り過ぎたが、やはり気になったので、立ち止まってその黒髪の少年へ振り返った。


「あなた、受験者?」


 少年はちらりと彼女を見やった。ミセアはその視線を、自分の問いに対する肯定の意ととらえた。


「午後の部なら、もうすぐ始まるところだと思うわ。急いだ方がいいんじゃないかしら?」


 少年は無言のまま、顔の横に自分の受験票を持ち上げてみせた。そこには、受付に持っていったときの押印が既にされていた。

「落ちたよ。俺も午前の部だ」


「………」

 ミセアは虚を突かれ、しばし黙ってしまった。しかし気をとりなおして、咳払いをひとつしてから続けた。

「そう、それはごめんなさい。ただ、厳しいことを言うけれど、ここに立ち尽くしていてもしょうがないんじゃないかしら?」


「かもな……」

 少年は大きくため息をついた。


「私だったらすぐに帰って、来年の試験を逃さないよう勉強を始めるし、訓練するわ」


「あんた、妙なこと言うな」


 不意に少年はミセアの方を振り向き、真正面から視線をぶつけた。たいてい相手は目を逸らすか、不自然な上目遣いで見てくるかが彼女の対人関係のほとんどだったので、ミセアは意外な感じを受けた。


「普通、入学試験の受験料を貯めるのに5年はかかる。どうしてすぐ来年の話になるんだ?」


 ミセアの美しい金色の瞳がわずかに歪んだ。そしてそれに対して、彼女はなんの返答もせずその場を立ち去ってしまった。

 もう何度目だろう、こんな風に悪気もなく、平民の神経を逆撫でしてしまうのは……。



◇◇◇



 後日、ミセアは学校へ呼ばれた。行ってみると、応接間へ通され、丁寧に歓迎された。よく沈むソファに腰掛け、二人きりの対面で校長と話すことになった。


「エオラーム家のご息女をお預かりすることに、多大なる感謝を、どうぞご両親へお伝えください」

 校長は眼鏡をかけた老婆だったが、痩せていて姿勢はよく、執務の邪魔にならないようにまとめた白髪は綺麗な乳白色で、品があった。

 終始柔らかな声色で語られる名家への賛辞を、ミセアは手元に出された紅茶と砂糖菓子を見つめながら聞いていた。銘菓をほおばる午後3時、うとうとし始めるのも時間の問題だ。


「――何度か御手紙もしたためまして、ご両親からはいくつか言付かっています」


ミセアは目を覚ました。校長は微妙な苦笑を浮かべていた。


「まず、お屋敷から通われるのはご苦労も多いでしょうから、お嬢様には在学中、来賓用の家屋をお使いいただきます」


「なっ…! リュテシア校長!」

 ミセアはその場を立ち上がらんばかりの勢いで言った。

「私にそんな特別なはからいは不要です! 私は他の地方出身者同様、学生寮で寝起きします。そして、」

 ミセアは紅茶を一口飲んだ。

「私のことはミセアとお呼びください。“お嬢様”ではなく!」


「そうですか……」

 校長は微笑みを浮かべていたが、とりあえず主張は受け止めておき、話を先に進めようという態度がありありとうかがえた。

「では、このお話もお怒りになられるかもしれませんね。お嬢… ミセアさんに、家のことをしていただくわけには参りませんので、召使を持っていただきたいのです」


 今度こそミセアは立ち上がりそうになったが、今度は校長が、彼女の怒気を抑えつけるかのように両手をテーブルの上に置いた。


「ミセアさん。あなたをどうお呼びするか、というようなことなら融通が利きますが、この2点はエオラーム家からの手紙に書かれていることです。つまり、あなたの意志より優先されるのですよ」


「…しかし……」


「ご理解いただけますね?」


 ミセアは下唇を噛んだ。こういった状況での自分の無力さについては、彼女はよく理解していた。なので黙って頷くほかに、彼女に選択肢はなかったのだった。


 ほっとしたように、校長は紅茶へ手を伸ばした。


 応接室を出るとき、扉の前でミセアは尋ねた。

「リュテシア校長……先日の入学試験、私は“一般の合格基準に照らして合格した”という認識でよろしいのですね?」


「ええ、もちろん」

 校長は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと首を振った。


「“本当は、私ではない人がこの学校の門をまたぐはずだった”ということは、ないのですね?」

 彼女はさらに念を押す。


「もちろんですよ、ミセアさん」

 校長は紅茶の香りをうっとりと楽しんでおり、ミセアと目を合わせないままであった。



◇◇◇



 魔術師訓練学校の敷地の一角に、赤い三角屋根の家がある。この来賓用家屋はどんな招かれざる来客でも快適に過ごせるよう、周囲は芝生と生垣で囲まれており、裏には小ぶりだが使用人用の別棟まで建てられている。


 ミセアはすでに早朝から起きて、剣の素振りと瞑想を終え、居間のテーブルについてその時を待っていた。というのは、今日が使用人の面接の日なのだ。校長の説明によれば、候補者は複数用意しており、その中で良さそうな者を後で指名すればよいとのことだった。上限の話はなかったので、何人でもいいということなのだろう。


 もともと望まぬ話だし、一人だけ適当にとればいい。最初は0人だっていいと思っていたけれど…… とミセアは物思いにふけりながら、カップに注いだミルクに口をつけた。ちょうど今朝方、彼女は自分がコーヒーの一杯もまともに入れられないという事実に向き合ったばかりだったので、たった一人で生活するという目標は下方修正もやぶさかではない気持ちになっていたのだった。


 あれこれ煩悶している隙に、玄関扉がノックされた。ミセアは立ち上がり、服のしわを正して、扉を開けた。


「使用人の面接で参りました。本日はよろしくお願いいたします」

 と、いくつもの声が重なって響いた。ミセアは目を見開いた。目の前には行儀よく候補者が一列に並んでいる。年齢はばらつきがあるようだが、すでに気になる顔もある。


「……これで全員?」


「はい」

 と皆が答えた。まさか候補者がそろって同時に訪ねてくるというのは意外だった。てっきり日ごとか、そうでなくとも時間をおいてくるものだと思っていたのに。


「どうしたものかしら……」

 とミセアは玄関先で考え込んでしまった。


 思案の後、とりあえず全員を家内に上げ、二階の寝室で一人ずつ話してみることにした。主人の家に上げられ気まずそうにしている者もいたので、裏の別棟を見学して構わないとも言付けた。





「さて……」

 ミセアはため息をつき、最後の候補者を入らせ、自分はベットの端に足を組んで座った。そして面を上げ、相手の黒の深い髪と瞳を順番に見た。

「あなた、この前の入学試験にいたでしょう? たしか校門の前にいて、少しを話をしたわね」


「ええ」

 彼はその事実にさして関心もなさそうに言った。


「そのことに驚いたのがまずひとつ。それと――」

 ミセアは自分の寝室を見回して、急に気恥ずかしくなってきた。

「――率直に言って、男性が応募してくるとは思わなかったわ」


「なに、男も掃除くらいできますよ」

 相手はかしこまった口調で応え、肩をすくめた。


 ミセアは咳払いした。

「では、まあ、いくつか質問させてもらいます。名前は?」


「レン」


「出身は?」


「東の、村です」


 領民か、とミセアは思った。それにしては自分のことをあまり知らなそうだが、しかし領内の人間なら自分を知っていて当たり前と考えるのは少々傲慢だ、と彼女はすぐ自らに戒めた。


「最近は何を…や、これは、いいわ。何か武芸や魔術の心得…今のもなし」

 ミセアは額に手を当て、うなった。いったい何を聞くのがいいのか……。


「俺には帰る家がないんです」

 助け舟を出すように、彼は口を開いた。

「なんとかこの街で生計を立てようかと思ってるんですが、家を借りる金も宿をとる金もおぼつかない。この仕事は住み込みでしょう。だから紹介を頼んだんです。正直、職務が掃除洗濯だというのはあまり見てませんでした」


 ミセアは顔にあてた手指の隙間から彼を見やった。なるほど彼が不合格になった受験票を手に校門に立ち尽くしていたのは、まさに“進退極まれり”という状態だったのだろう。そこに「来年受ければいい」と追い打ちした自分の姿が、ミセアの脳裏に再生されて、彼女の胸はズキリと痛んだ。


「けれど……あなたは気づいてるか知らないけど、私は女なのよ、いちおう。困難もあると思わない?」


 レンは息をつき、しぼむように視線を落とした。彼もどこか観念した、という感じだった。


 そこからいくつかとりとめもない質問をして、面接は終了した。



◇◇◇



 校長はテーブルから該当の羊皮紙を拾い上げ、背筋を伸ばしたまま視線を紙上にすべらせた。

「たしかに、このアルリーという子はぴったりでしょう、ミセアさん。歳も近いし、主従にとどまらず親しいお付き合いができそうですね」


 ミセアは砂糖菓子を口に放り込んだ。柔らかな甘みが口の中に広がる。


 校長はもう一枚の羊皮紙を手にした。

「お二人選ばれるのはいっこうに構いません。むしろありがたいくらいです。しかし、本当にこの方でよろしいのですか? 実はわたくし、あとで紹介者に苦情を申し入れたのです。男性が候補者に入っていたのは、不手際以外の何物でもありませんから」

 校長はまるで内緒話でもするように、前傾姿勢になった。

「ミセアさん。あなたは異性との交流について、あまりご充分なご経験をお持ちではないのかもしれませんが……」


「リュテシア校長」

 ミセアはうんざりした感じで校長の話を遮った。

「エオラーム家の屋敷にだって下男はいます。それでいて何も不都合はありません。そして私は、貞節をなにより重んじるよう教わってきました。ですから、何も間違いなど起こりません! それに私は今日、こういうことを話しに来たのです――」


 校長は首を傾げた。


「――彼…レンは私の家の周辺と、学校敷地内の清掃を主な職務とします。もちろん給金は私が支払いますし、そして――」

 ミセアはテーブルに手をつき、身を乗り出した。

「――家の中には彼を入れませんし! まして! 寝室などには! 決して! 上げませんから! ご安心ください!!」


「……は…はあ……」

 校長は気圧されたようで、そこから何も言うことはなかった。



◇◇◇



 夕暮れ時になって、校門の前にレンが現れた。待っていたミセアは、彼の方に歩み寄った。

「話は通っているわね?」

「ええ」

「荷物は?」

 ミセアは首を傾げ、覗き込むように彼を見た。相手は両手を広げてみせた。

「ないですよ。街に着いたときは多少あったんですが、飯代に売りましたから」

「よかったわ。行き倒れにはならずに済んだみたいね」

 ミセアは柔らかな微笑みを浮かべた。レンは夕焼けを背に、しばし瞬きもせずに彼女を見つめていた。出会って少ししか経っていないが、たった今めずらしいものを見たということは彼にもわかったようだった。

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