第27話 幸運の女神は微笑まない(3)




 かくして――幸運の女神は、顔をしかめた。



――……」



 彼女が病室にやってきたのだ。



「それはこっちの台詞よ、馬鹿」


「……ちょっとワカさま? 久々に顔合わせて、その第一声はいかがなものっすかね……?」


 暗藤あんどうが逃げようとするように一歩後ずさるので、あるくは慌てて彼女の手を掴んで病室の中に引き入れた。


「よっし! これで俺の勝ち!」


「勝ちって、何を……。なんで、どうして。なんでお前……」


 暗藤は戸惑っていて、和花わかは心底から不愉快そうな顔でこちらを睨んでいる。

 どうやら弁明が必要なようだった。


「ワカさま……暗藤さんは別に俺のこと心配してきたって訳じゃないよ。この子の狙いは別にあるんだ。だからそうカッカしない」


「してないし。というか、それだとともるが薄情みたいに聞こえるじゃない」


「……別に、心配なんかしてないけど」


 せっかく髪を切ってすっきりしたのに、暗藤の声はぼそぼそと聞き取りづらい。

 何気に友達のフォローをしている和花に内心にやにやしながら、歩は説明する。


「暗藤さんの狙いは、俺が持ってる〝君の携帯〟だろ? それを回収しにきたんだ。けが人の寝込みを襲おうとか、暗藤さんもなかなか大胆っていうか……まあ、そこまでしなきゃマズいものが入ってますよね?」


「ちょっ……」


 暗藤はようやく、自分の携帯がベッドに腰掛ける和花の隣にあることに気付いたらしい。振り返ったその顔は蒼白だ。そしてじわじわと頬を赤らめた。前髪が短くなると、そんな彼女の表情が堪能できる。


、それは暗藤さんにとっていろんな意味で大事なもので、万が一にも、同じ病院にいる君に見つかる訳にはいかなかったんだよ。だから、取りに来た」


「どこまで見たかって……」


 和花はふと何かに気付いたように、暗藤の携帯に手を伸ばす。暗藤がとっさにそれを阻止しようと動くが、歩は彼女の手を掴んだまま離さない。


「そういえば、この前、怪談の話に時に……『弱味』がどうのって――」


 携帯を確認した和花は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに合点がいったらしい、呆れたような吐息をもらした。頭の回転が速くて助かる。


「〝それ〟が、暗藤さんが君に生きていてほしい、戻ってきてほしいって思ってる、何よりの証拠だよ。〝それ〟でルームメイトになる子たちを脅して、追い払って、君の帰る場所を守り続けてきた」


「…………」


「褒められたものじゃないけどさ……『今の暗藤さん』は、君が知る暗藤さんより強いよ」


 彼女がいなくなったことで――その大切さに気付いたのだろう。

 ありふれた言葉かもしれないが、ありふれるからこそ、王道だからこそ、それが大勢にとって意味を持つ言葉なのだ。


 何を負ってでも、きっと今の暗藤なら、和花を手放したくないと思うはずだ。


(ただ、まあ……)


 恥ずかしさか怒りか、今の暗藤はうつむいて肩を震わせているが。


「……それにしても、、どうしてああも驚いてたのよ、灯は。何したの、あなた。いくらあなたが搬送されて、携帯を取り返すチャンスだからって……私がいる病室に来るはずがない」


 確かに、暗藤はまるで和花がここにいるはずがないとでもいうような驚きようだった。


 、うまくいってくれた。



「暗藤さんは知らなかったんだよ。君が病室を移ったことをさ」



 以前、暗藤から『和花の病室』として教えられた病室から、和花は別の、つまりこの病室に移っていた。歩もそのことを特に伝えていなかった。それが活きた。


「暗藤さんは、てっきり君は別の病室にいるものだと思っていて……俺だけがいるはずだと思って、教えられたこの病室にのこのこやってきたってわけ」


 騙すようで悪いが――それこそ、責任を押し付けてくれて構わないから。


「暗藤さんがお見舞いにこないからこういうことになるんだぜ?」


「……っ」


 歯軋りの音が聞こえてくる。

 和花の方はどうだろうと目を向けてみると――



「イカサマだ……って、糾弾したいところだけど、してやられたわね」



 思わず笑い返したくなるような、そんな苦笑を浮かべていた。


「あなたはズルはしてない。ただ、灯が私に無関心だったってだけ」


「ひねくれるなよ……。会うつもりはなかったにしても、こうして顔合わせたんだからさあ……」


「……ふん」


「会いたくても、会えなかったんだよ。たぶん」


 今は、そうだったんじゃないかなんて――和花の抱える事情を知ったから。

 実家の会社を破綻に追い込むかもしれないという重荷を和花が抱えるくらいなら、と。

 だから、消極的に、待つことしか選べなかった。


(……分かんないけどさ)


 本人が語った訳でもないし、察することしか出来ないが。


「とまあ……せっかくだし、あとは若いお二人さんに任せて俺は退散しようかな?」


 和花にウインクを送ってみせると、「気持ち悪い」と吐き捨てられた。


 そのまま病室を出ようとすると、不意に後ろから足音が聞こえてきて。



 ……ぎゅっ、と。



「!?」


 背後から、抱きすくめられる。


「な、何事……!?」



「お願い二つ目、『暗藤さん来たらハグして』――ほら、叶えたわよ」



「……いや、それ、とんでもない誤解招くから……」


 今もひしひしと、誰かさんの視線を感じる。騙して呼び出し、こんなものを見せつけて――今夜こそ殺されかねない。


(くそう……今頃この子、悪い笑み浮かべてるんだろうなぁ……!)


 最後にきつく抱きしめられ、解放される。



「……ありがと」



 ――たぶん今のは、気の迷いか何かだ。




                   ■




 ――病室を出る。


 と、



「それで……いったいどうなったのかしら?」



 不機嫌そうな、困ったような顔をした綾野あやのが廊下で待っていた。

 いるかもとは予想していたが、やっぱり実際こうして顔をあわせると――



「勝ったぜ!」



 感極まって、思わず声が出た。


「勝ったって……」


 すぐには頭の処理が追いつかない様子の綾野に、ことの成り行きをかいつまんで説明する。


 確約がある訳でも、契約書にサインさせた訳でもないし、当の歩だって、未だに信じられないが――今なら宝くじでも当たるんじゃないかというほどの驚き。まさか、本当にここまでうまくいくとは。


「それもこれも――」


 暗藤は来ない、来てほしくないという和花の望み。

 事故に遭った歩を心配してやってくるということは、昨日綾野が言っていた、『暗藤は歩に気がある』ということを認めるようで、きっと和花は『来ない』に賭けると思っていた。


 それから、暗藤の人には知られたくない、和花にだけは知られたくない秘密。

 肌身離さずと言うと気持ち悪がられるかもしれないが、「何かに使えるかもしれない」と、ずっと手放さずにいた暗藤の携帯。その携帯から連絡がきて、歩が事故に遭ったなんていうのは、暗藤にとって携帯を取り返す絶好の機会で、彼女は必ずやってくると期待した。


 そして――


「どんなに迷惑がられても、お前がこれまで足繁く通ってたから――」


 和花はこのギャンブルに乗ったのだ。

 綾野の揺るがない意思が、言ってしまえばそのお嬢様口調の存在が、和花の心を動かす一番のきっかけになった。


 和花も、心のどこかではたぶん、それを望んでいたはずだと信じて、願って、そして勝った。


 この喜びを分かち合おうぜきょうだい! という気分だったのだが、



「不謹慎の極み……」



 綾野の表情が険しくなる。感情に温度差を感じるが、それも致し方ない。不謹慎なのは重々承知の上だ。


 だけど、勝ったのだ。

 綾野のその顔も少しずつ柔らかくなっていく。


「もう……ほんと、突然変な電話は来るし、そのあと、今度は暗藤さんを病院に行かせるなってメールは来るし……」


 だから綾野はこうしてここにいるのだろう。きっと和花が送ったメールだ。そうすることも織り込み済み。むしろそうやって綾野が止めようとすればするほど、暗藤にとって『歩が事故に遭ったこと』が歩や綾野の関与しない出来事だと思えたはず。たぶん。まあなんにしろ、結果オーライというやつだ。


「それから……泰観やすみ先生が暗藤さんのご実家に連絡をとって……」


「うえっ!?」


「暗藤さんのお母さんも心配してたらしいですわ……。もう、ほんと……もう」


 大変だったのだろう。

 だけど、そうしてちゃんと――心配していることが、ちゃんと伝わってくれれば。

 きっとそっちも、うまくいくはずだ。


 ネガティブな想いも過去も、今日まで連なる、明日へと続く大事な一部だ。

 黒歴史だって、生きていれば上書きできる。

 きっと、この顛末を、明るい未来に変えられる。


 まずは、そのために一歩を。


「綾野、ちょっと大事な話あるんだけど」


「……? まだ何かありますの?」


 この反応だと、おじさんもまだ話していないか。


「まあ、うん。ここじゃなんだし、どっか……」


 移動しようと思ったところで、背後で病室の扉が開いた。


「おや、暗藤さん。……どしたん、まさか和花さまに追い出されたとか? ……俺を刺すのはやめてね? マジで、さっきのあれは陰謀だから」


「さっきのあれって何かしら……?」


 部屋から出てきた暗藤はこちらの話を聞いているのかいないのか、なんだかいつもより一回りくらい、雰囲気というか気配のようなものが小さくなってしまった印象だ。


 俯きがちに、見えない髪の毛をいじるかのように胸のあたりで両手をしばらく組み合わせてから――


 絞り出したような、囁くような声音で言った。



「ふぉろー……してくれるんでしょ」



 和花の前に戻るのは抵抗があったが――そんな風に言われてしまったら、仕方ない。


 バスの時間にはまだ早い。

 部屋に戻って話そうか。


 ごく個人的な、これからの話でも。



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