第26話 幸運の女神は微笑まない(2)
「……そうだ。『三つ目』は、『私の意思に従うこと』にしよう」
そうして釘を刺して、今度こそ、終わりにするのだ。
(そっちだって電話したんだから、こっちも仕掛けたって問題ないわよね)
だから時間制限を今日までにすると決めると、歩は「電話をしたい」と言い出したのだ。
発破をかけるための電話。相手は
綾野がもしもこちらの事情を知ったら、暗藤を引きずってでも……あるいは車道に突き飛ばしてでも、連れてこようとするだろう。人はそれを『搬送』と言うが、綾野ならやりかねない。だから『賭け』については教えないことを条件に、許可した。
ただ、これだと『来る』に賭けた歩の方が有利になりかねないため、『暗藤を病院に連れてこい』といった直接的な連絡は封じた。
「自分の携帯でかけなさいよ」
「第三者の携帯を使った方が公平かなと思ってさ」
歩はこれ見よがしに暗藤の携帯を使って、綾野に電話をかけた。
念のため電話の相手が本当に綾野であるか確認するため、通話の内容も隣で聞いたが――なるほど、思い上がりも甚だしいが、見事に裏をかいてみせた。
「――事故に遭ったって、病院から連絡があったって伝えてほしい」
暗藤の携帯から、綾野に。
つまり、『携帯の持ち主』が事故に遭って病院に搬送され、救急隊員か誰かがその携帯を使って近親者に連絡を取った……という体にする訳だ。
連絡を受けた相手は、『携帯の持ち主』、つまり暗藤が事故に遭ったものと勘違いする――
(綾野に『病院から連絡があったこと』を
携帯を持っているのは歩で、となると歩が事故に遭ったと暗藤は思うだろう。
綾野から直接暗藤に伝えるより、それこそ第三者を挟んだ方が真実味も増す。
元から考えていたのか、ついさっきパッと浮かんだのか、なかなか機転が利くと感心こそしたが。
(でもそれは)
暗藤が、歩を心配して病院にやってこなければ成立しない。
そして、『歩が運ばれた病室』として伝えたこの病室――自分のいるこの病室に、暗藤が来ればの話だ。
結局は運次第だ。
(運……)
あるいは、歩には暗藤がやってくるという相当の自信があるのか。
なんにせよ――あれがなんらかの合図になっていた可能性も否めない。
(それに――)
彼が、完全に運次第の賭けに挑むとは思えなかった。出会って数日で大して彼のことを知る訳ではないし、他にどんな仕込みをしているかも見当がつかないものの……やれる限りの準備と努力の末に、最後の数パーセントを運に任せるのが彼の好むギャンブルのはずだ。
あの電話に他にも何か仕掛けがあるとしたら……対策を打っておいて損はないだろう。
(期待が外れてがっかりする顔が見ものだわ)
唇が歪むのを止められなかった。早速彼の携帯を使って綾野にメールを送ろうとするのだが、生憎とスマートフォンで、パスワードが分からない。
「……っ」
仕方ない。そんなつもりはなかったのだが――歩も言っていたことだし、ここは第三者の携帯を使うべきだろう。
都合の良いことに、暗藤の携帯はいわゆるガラケーだ。パスワードなしにメールが打てる。
メールを打つだけ……と、携帯を開いて――
「――――」
その待受け画像に、一瞬目を奪われる。
自分の横顔が映っていたのだ。
先ほど歩が使っていた時はすぐにアドレス帳に移動していたから、待受けを見ることは出来なかった。
(これは……いや、でも)
歩には、撮れないものだ。彼と会った時には既に髪を切っていた。なら、彼女だろう。歩が勝手に待受けにした可能性もあるし、綾野あたりから送ってもらったものかもしれないが――
「なんの……嫌がらせよ」
歩が大人しく携帯を差し出したのは、自分の携帯を使わずに暗藤のものを使ったのは、これが狙いか。和花が携帯を手に取るのも織り込み済みだったのだろう。
かといって『賭け』に影響が出るものでもないが――だからこその、嫌がらせだ。
動悸を感じながら画面を切り替え、メールを作成する。
『
(……と)
すぐに文面を打ち直した。
『暗藤さんを連れてくるな』
この携帯で綾野に連絡を取ったということは、綾野も〝暗藤の携帯〟が歩の手にあることは知っているはずだから……これで綾野は歩からの指示だと勘違いし、万が一にも暗藤が病院に向かおうとするならば、それを止めようとするだろう。……そうするはずだ。
(自称友達だって言うなら、こういう時くらい私の役に立ちなさいよ)
それで、終わりにするのだ。
歩なら、約束を守って綾野を止めるだろう。……そう思う自分に笑えてくるが、これはそういう賭けだ。
意地の張り合いの末に辿り着いてしまった、自分の手の及ばない何かに命運を委ねる――ギャンブル。
こうでもしなければ、綾野の心は折れないと思うから。いつまでもつきまとって、いつまでも馬鹿な口調を続けて、これからをダメにしかねない。
(……こうでもしなければ、私だって折れるつもりはないから)
生きれるものなら生きたいけれど、家族を巻き込んでまで、誰かの手を借りてまで惨めに生き永らえるのはご免だ。
満足するほど生きてはいないが、終わることに悔いはないから。
だけど。
(もしも、負けたら――その時は)
病室の扉を睨む。
……音が、聞こえたのだ。
「…………」
携帯を脇に戻し、密かに呼吸を整えた。
扉が開く――
「暗藤さんだって期待した?」
「誰が」
忌々しい女装男が戻ってきた。
「……諦めて帰ったかと思ったのに。ていうか、帰ったら? ここは私の家じゃないの。病院。いつまでも居座られたら迷惑なんだけど」
「帰ってもいいよ? そしたら、暗藤さん連れて戻ってくるのは夜になるけど」
「……っ」
「舌打ちしないの。……もう少しでバスの時間だからさ。あとちょっと待ってくれれば来ると思うんだよね」
「来るわけないわよ」
「来てほしくないんじゃないの?」
「何を当たり前のこと言ってるの。来られたら、負けるんだから――」
にやにやしている歩の顔を見て、彼の言いたいことに気付いた。
「だから、舌打ちしないのって」
「……うるさい死ね」
「でも、俺はあくまで口実かもしれないよ? もしかしたら君に会えるかもっていう……偶然なら、仕方ないっていう、さ」
「……偶然でも顔をあわせるかもしれないんなら、来ないわよ」
「君のその自信はいったいどこから来るのかね……」
会いたくないというのも、ある。
先ほど見てしまった『過去の自分』より、『今の自分』は劣っているから。
そんな惨めな今の姿を見せたくない。見られたくない。
そして、彼女だって――
「責任、とれるの?」
「……お、俺、まだパンツくらいしか見てないんですが……」
「くらいって何よ、くらいって。は?」
「拝ませてもらいました……」
今日は裾の長いものを穿いているが、つい足に手が伸びた。
「……そうじゃなくて」
歩を睨む。
「私を生かす責任、とれるの」
両親が仮にそれを望んでいたとしても、そうすることで自分の人生が続いていけば――
実家の問題についてはとやかく言うまい。会社が潰れようと、赤の他人である歩には関係ない。
だけど、そうさせてしまったという事実は、いつまでも圧し掛かるだろう。
一緒に
あの問いかけは、その責任を負えるのかと迫るものだという自覚はあった。
ズルいと分かっていても、問わずにはいられなかった。
――たとえ、『友達』という一線を越えてしまっても。
拒否されて良かったと思っている。もしも頷かれてしまったら、その時はきっと心から嬉しく思えたかもしれないけれど、もはや『友達』ではいられない。
彼女は苦しむだろう。
そして、自分も――負わせてしまった責任を負って、きっとその先は生き地獄だった。
彼女はうちの実家の事情を知っている。そして、彼女にはそれを背負いきれないから。
来ないと確信している。
……来なくていい。
友達のままでいたいから。
「だけど、死んでもらっちゃ、取り返しがつかないから」
「…………」
「思い出の中の過去の友達にもなりきれないよ、それじゃあさ。嫌な思い出、悪いトラウマだよ。そうなって一生引きずるくらいなら、まだ何か背負ってた方が楽じゃないかな――」
その重い荷物を、みんながみんなあなたみたいに背負えはしない。
「生きてたら、いつか全部どっかに置ける日が来るよ、たぶん。楽しいことして、思い出重ねて……生きてて良かったって、そう思えたら勝ちだ」
それは、ギャンブルみたいなものだ。
生きていたって、必ずしも良いことばかりとは限らないのに。
だけど――それでも、か。
両親は娘に生きていてほしいのだろう。綾野も……灯も。そして彼も。
そのために、実家の会社が立ち行かなくなるかもしれないリスクを、私に負えという。これからの人生を、その分だけ楽しまなければいけないという枷を課す。
「その君の荷物も、俺だってちょっとは背負えるから。全部俺のせいって、そう思ってくれればいい」
「……そんなの」
自己満足だ。
そして――それは私のわがままだ。
「悪いけど、俺は俺のわがままを押し付ける。そんで、こうして良かったって思わせてやるよ」
それはまるで、暗に責任をとると言っているようで――
私に惚れてるの? とでも言ってやろうかと思ったりなんかして。
「なんなの、その自信は。まだ勝つって決まった訳でもないのに」
少しだけ、笑ってしまった。
「勝つよ。だって、俺には幸運の女神がついてるから」
何それ、意味分からない。
「君だよ」
そして――
「『三つ目』……聞いてもらっていいかな」
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