第25話 幸運の女神は微笑まない(1)
「――それで?
「
「……何か仕込んできたんじゃないの」
「そう思うなら、どっちに賭けるか先に選んでもらってもいいけど?」
「…………」
「事前に『来る』ように仕込んでるかもしれないし、そんな当てはないかも。俺が何か仕込んでるかどうかによる。でも君が選ぶなら、仕込んでようがいまいが俺には関係ない。全部君の運次第。――運命次第。さあどっちにする?」
「…………」
「いいね、心理戦。いかにもギャンブルって感じで――」
「『来ない』」
「じゃあ、俺は『来る』」
「……来なかったら――」
「分かってるよ」
勝っても負けても恨みっこなしの、
勝利の――幸運の女神はどちらに微笑むのか。
そんなもの――
(勝った方に決まってる)
■
まるで足元に人の頭でも転がっているようだった。
床に積もった黒髪がホラー映画のワンシーンを想起させる。
「はあ……」
暗藤
髪を切って頭は軽くなった気がするのに、気分は重かった。
一人きりの寮室で、倦怠感から机に手をつく。床に広がる自分の髪を見下ろす。
今朝の……もはや黒歴史といっても過言でない、衝動的な散髪。その後始末をしなければならない。
彼が……彼女と言うべきか。
「……ちっ」
これまでは、こんな風にルームメイトなんて気に掛けることはなかったのに。
……面倒臭い。
さっさといなくなってくれないものかと思いつつ、なんとなく前髪に触れようとして――
(……どうするかな)
仮にも自分の髪だから、ホウキとちり取りで回収するのもなんだか気が引ける。かといって掃除機を借りてくるのも……。人見知りする暗藤にはやや難易度が高い。
それこそ歩子がいれば――首を振る。だからいないんだって。
(……
呼ぼうかという考えが頭をよぎるが、携帯がない。わざわざ部屋に会いに行って、一緒に掃除機を借りにいくのもあれだし――
少し前なら呼ばずともむこうからやってきては、病院に行こう、その髪の伸びは何かの病気かもしれないと失礼なことをのたまっていたのに。
「園辺さんいる!?」
と、部屋の扉が叩かれ、暗藤は顔を上げる。
「……?」
噂をすれば、というやつかと一瞬思うも、今の声は――
あの人は暗藤が保健室登校しているのもあって何かと気にかけてはくれるが、これまでは部屋に押しかけてきたことはなかった。
それもこれもあいつのせい――顔をしかめつつ、暗藤は扉を開く。
「あいつなら――」
いませんけど。言いかけた暗藤を遮るように、驚いた顔をした泰観先生が声をあげた。
「暗藤さん!? 無事だったの……!?」
は……?
泰観先生はまるで幽霊でも見たかのように暗藤の顔をまじまじと凝視してから、ふと我に返ったのか、あるいは実体かどうかを確かめようとしたのか、暗藤の肩を掴んで軽く揺さぶった。
「病院から電話があったそうなんだけど……事故に遭って運ばれたって、暗藤さんのことじゃないのね?」
「電話……?」
嫌な予感が脳裏をかすめる。
真っ先に浮かんだのは歩子の顔だ。彼女が病院に行ったこと。今日もまた放課後に外出していること。
それから、この数日の彼女の言動――最後になるかもしれないとか、まるで自分がいなくなることを匂わせる発言、
(今、私の携帯はあいつが持ってる……)
昨日も彼女の留守中に部屋中探してみたが、見つからなかった。持ち歩いているのだ。ということは――
(まさか――?)
様々な不安が胸の内で膨れ上がって、弾けた。
■
――なんだか、息が詰まりそうになる。
病室のベッドに腰掛け、御園辺歩は手持無沙汰から肩にかかる
あんなことを言った手前そうなっても自業自得なのだが、それにしても、会話もなしに病室で二人きり、何をするでもなくただ並んで座っているというのもどうなのだろう。
思えば知り合って間もない間柄。話題も浮かばず、和花の方から何か振ってくることもないから会話が途絶えるのも仕方ないか。
ただ、そうなると部屋いっぱいに沈黙が溢れて、何か言わねばと圧迫されるような息苦しさを覚える。
和花の方は足をぶらぶらさせて退屈そうではあるものの、その横顔からはこれといった感情は窺えない。前に病室を訪れた時は読書していたようだが、今日は本を取り出すでもなく、ただぼんやりしているように見える。
……あまり期待していないといった様子だ。
沈黙に耐えかねて、歩は腰を浮かせる。
「あのー……トイレいっていいっすかね」
「行けば?」
「じゃあ、失礼して」
逃げるように立ち上がると、
「けど、携帯は置いていってもらうから」
「……不正とかしないって。心配なら、一緒に来る?」
言いつつも、公平さを保ち和花の信用を得るため、こちらに手の平を差し出す和花に、自分の携帯を渡した。
「もう一個あるでしょ」
「……ほんとの狙いはそっちなんじゃないの? ダメだよ、プライバシーってやつは守らないと」
別にイカサマするつもりは毛頭ないのだが、大人しく暗藤の携帯も没収される。
「それから、財布も出して」
「カツアゲかよ……」
「公衆電話」
「まあ、ここに来る途中にも見たけどさ……」
財布を差し出すと、和花はすぐには受け取らず、しばらく訝しむような顔で歩を見上げた。
「なんだよ……? 今度はジャンプでもしろって? 心配しなくても小銭を隠し持ってたりしないから」
「外に誰か協力者がいたりするんじゃないでしょうね」
「いないって。この『賭け』はついさっき思いついたんだから、下準備だってしてないし。ほんっと……暗藤さん次第だよ。ワカさまの好感度次第でもあるかな?」
「……ふん」
ひったくるように歩から財布を没収すると、和花は顔を背けた。
「じゃあ、そういうことで――」
と、病室を出て――
「ふう……」
扉を背に、一息つく。
まるで違う世界にでも移ったかのように、廊下に出ると周囲の空気が変わったような気がした。遠くから人の気配が伝わってくる。
「やっちまったなぁ……」
そう呟いてみるが、後悔はない。
人の生き死にという重い問題で、これは彼女の家庭の事情でもあって、他人の自分が首を突っ込んでいい領分を大きく逸脱しているけれど。
ああするしかなかったのだ、お互いに。
状況は閉塞していた。和花の意思は固く――和花の方としても、何を言って追い返してもしつこくやってくる綾野の存在に辟易していた。
だから、彼女としても都合が良かったのだろう。
一か八かになるとしても。
――じゃあ、一緒に死んでくれる?
そう来るだろうことは分かっていたが、その〝迫力〟は予想以上だった。
死神が笑うなら、きっとこんな顔をする――死を決意しているからこその、底深く虚ろで、覗き込めば引き込まれ、どこまでも続く果てのない闇の中に堕ちていくような不安に囚われる――
冗談なんかじゃない、本気で「死ね」と言っていた。
それが悪意から来るものならまだ良かったが、彼女のその笑みは違ったのだ。
彼女の決意に応えるための、覚悟を固める一瞬が必要だった。
答えは決まっていたけれど。
「喜んで」
冗談のように聞こえたかもしれないが。
「一緒に死のう。なるべくなら天寿を全うしてさ」
和花は顔をしかめる。だから笑顔で言ってやるのだ。
「俺が負けたら君と結婚してあげるよ」
家族になるのなら、もう他人事じゃない。
「将来の嫁になるんなら、おじさんにでも頼み込んで手術費を出してもらう。俺は一生かけてでも全額返せるように努めるさ」
だから一緒に死のう、いつか。
「君が暗藤さんに言ったこと、前向きに解釈してみた」
「……誰が、あなたなんかと」
一緒に死んでくれるなら、そう言ってくれる誰かがいるなら、手術も受けられる、と――自分に勝手に。
「……プロポーズのつもりなら、自分の格好、鏡で見てから言いなさいよ」
それは言わないお約束だ。
「俺は特にこれだって相手がいるわけでも、これから出来るかどうかも分からないから……君なら十分オッケーだぜ」
「……はあ。勝ったら女装男と残念家族に、負けたら実家が破綻……現状維持をしようものなら死ぬまでウザい連中につきまとわられて……何この最悪な人生。死んだ方がマシだわ」
「生きてほしいんだよ、それでも」
和花が望まなくても、彼女の両親はそう望んでいる。こうして今も入院させているのはその想いの表れのはずだ。
おじさんが家族のために仕事をしていたように、和花の両親だって、きっと。
「それにさ、死んだら何も関係ないっつってたけど――それなら、手術して、それが失敗して死んだって関係ないだろ?」
家族が困ることになろうと、関係ないだろう。
「ひとの揚げ足とって……」
「悪いね。俺も自己中なんだよ」
それでも生きてほしい。そんなわがままを押し付けたい。
ただ――
「まあ、結婚させてくださいなんていうあなたの哀願を受ける理由も義理もないんだけど」
押し付けるためには、まず彼女を
「じゃあ、報酬を変えようか? 負けたら、『勝った方の言うことをなんでも聞く』とか」
「……三つまで。ただし『一生言いなりになる』とかいうのはダメ」
「抜け目ないな。……それなら、俺は『手術を受けてもらう』っていうのがまず一つ……二つ目は……『暗藤さん来たらハグする』で」
「……はあ?」
「そっちはどうする? やっぱ死んでほしい?」
「……綾野を私に近付けないで。うちの親を説得して。以上」
そう来ると思っていた。
親の説得に関しては意外だったが、綾野の存在が――いつまでも付きまとうだろう彼女の存在が、きっと和花の心を動かすと。
「ところで、三つめは?」
「……なんとなく『三つまで』って言っただけよ。特に考えてない。だけどまあ、そうね、何か思いついたら使ってあげるわ」
「じゃあ俺も、そういうことで」
「……そっちは今でハッキリさせておいて」
「考えとくから。……とりあえず、賭けに乗るって方向で?」
「……絶対遵守。必ず綾野を諦めさせること」
「君が勝てばの話だけどな?」
「勝つわよ。私の人生なんだから、最期くらい私の思い通りになったっていいじゃない」
そう言って、彼女は微笑って――
「――それで?
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