第24話 愛と下心の駆け引き・後篇
「そうして始まりましたのは、想定外のリアルトラブル――『実録、
注・肝心のカメラが〝声の主〟ではなく教室の入り口を映していたために、実際何が起こったのかは現地にいた
『あなた……暗藤さん、よね……?』
そう声をかけたのは、スタッフの一人である
髪を切った暗藤の素顔を見るのは初めてで、彼女がずっと俯いていたためか、歩子たちが到着するまで
『……暗藤さん? 私――輿美水、だけど』
ねえ、と一人分のスペースを空けて隣に座る
「これ、カメラどこ向いてるのよ」
「……生憎と、和花さまには刺激が強すぎる映像なので……気になったら登校してみては?」
「…………」
画面の外では輿美水さんが暗藤に声をかけているのだが、暗藤は青白い肌を紅潮させて顔を上げることすら出来ないでいる。その様子は実にいじらしく、記憶の中にしか残っていないことが非常に残念だ。
ただ、その時の暗藤は今にも爆発しそうなほど――教室を飛び出してしまいそうなほど、「どうして来ちゃったのか」という後悔でいっぱいだったに違いない。
そうやって無言を貫くことで輿美水やその他クラスメイトたちの心証がまた悪くなるのではないかと歩子は危惧していた。
『輿美水さーん、暗藤さんこっち。これこれ』
教室の入り口、カメラに映っている方の暗藤を促す。歩子は本物の暗藤のことが気がかりで、つい手に触れたものを引っ張って「これこれ」と促していた。それが失敗だった。
ぼそり、と。
「何よこれ」
暗藤の前髪がごっそりと抜け落ちる。カツラ……ウィッグが外れたのだ。
残った前髪のあいだから、綾野の顔が覗いている。
『何してるの……?』
輿美水さんの驚いたような呆れたような、なんともいえない声がその時の教室の様子を代弁していた。
『カメラ! カット、カット! 暗藤さん撮影中止!』
呼びかけると、ただ黙って俯いているのもそれはそれで堪えるのか――マイクがごそごそとしたノイズを拾い、視界がぐるりと回転――
「…………」
『あ』
画面いっぱいに、顔を真っ赤にした暗藤灯が映し出される。
「……そう」
実に素っ気ない声だった。
個室で女の子と二人きり、黙ってビデオ鑑賞なんてちょっと気まずかったが、今のでよりいっそう胃が締め付けられるような思いに襲われる。
それに。
一人分のスペースを置いて隣に座っている和花の横顔を盗み見る。こちらの手の中にあるカメラに目を向けていて……こころなしか、先ほどまでより硬くなっている気がするが――実際のところ、他人の考えていることなんて、表情から全ては読み取れない。
一か八か……緊張を抱えつつ、ビデオの続きに目を戻す。
「……ここから先はごく穏やかな日常の光景が続きます。ちなみに『暗藤さんピンチ編』はこの後に録りました」
「そ」
「輿美水さんだけでなく、みんな初めて見る暗藤さんの素顔にときめいていました」
「…………」
「髪を切れば、暗藤さんは一躍クラスの人気者間違いなしです」
和花がカメラをひったくる。特に理由はないだろうが、ビデオの映像を巻き戻し始める。
「ところでさ……この前の、あの質問なんだけど」
「…………」
何か言ったっけ、とは言わないまでも、そんな感じに興味なさげだった。
「そのー……再婚するらしいんだよね」
「
詳しくは知らないが、既に再婚しているはずだ。暗藤が寮に来たのはまだ再婚前の段階だったのだろうか。まあ、暗藤の家庭がうまくいっているなら――いずれは、暗藤もちゃんと向き合えるだろう。
その再婚の話が暗藤の人生に暗い影を落とし、あるいは彼女は母親に「追い出された」と思ったりもしたのかもしれないが――悪いことばかりでも、なかっただろう。
――それがきっかけで、和花と暗藤の心の距離は近づいたのだろうから。
「いや、そっちじゃなくね……」
ようやく和花が顔を上げた。手元の映像が目的のシーンを過ぎて巻き戻っていく。
「俺が言いたかったのは……昨日の、なんで俺があの学校に潜入することになったのかって話」
「……そういえば、二人きりね」
映像が最初に戻り、和花はカメラの画面に視線を落とす。偽暗藤を観察しているのはなんだろう。照れ隠しか、手持無沙汰からか。
「この件の首謀者が綾野の父親でさ……そのおじさんと、俺の母親が再婚するんだ」
一瞬、和花の動きが止まった。それから、言葉の意味を呑み込んだのか、ゆっくりと吐息をもらし――口元には苦笑が浮かんでいた。
「なるほどね」
「――そういうこと。俺はその仲介っていうか、綾野とおじさんのわだかまり解消要員なわけですよ。まあ、俺としても、親同士が再婚するんなら、その前に綾野とちゃんとしときたかったというのもあって……綾野にはまだ話してなかったから、この前は言えなかったわけですね、はい」
別にプレッシャーでもなんでもなかったが、少しだけ、心の重荷がとれたような、すっきりとした気分になる。
「再婚したら、俺と綾野は〝きょうだい〟になるわけで、しかし同い年だから、どっちが上かはっきりしない。そこで俺はこうして綾野に恩を売って、再婚した暁には、俺が『お兄ちゃん』になろうって魂胆なんだよ」
冗談めかして言ってみると、和花は鼻で笑った。
これでいい。こういう、軽く、温かな雰囲気の方が話しやすい。
「だからさ、綾野は大丈夫だよ。俺っていう立派なお兄ちゃんがついてるから」
「それはそれで不安だけど」
再生されていた映像が止まる。あの一瞬、暗藤がカメラを覗き込んだ瞬間だ。
「で、これは何」
「……ドジっ子な暗藤さんがやらかしてしまったんですよ。他はせっかく面白くなったってのに、暗藤さんってば削除しようとしてさ……ほらあの子、機械音痴じゃん? スマフォ使えないから未だにガラケー持ってるくらいの。映像の消し方分からないもんで、カメラごと壊そうとしてたんだ……」
「…………」
「そんなこんなで編集できなかったんで、暗藤さんのあられもない姿がそのまま残ってる次第です」
「…………」
……失敗だったろうか。微かな不安がよぎるが――
「暗藤さんはさ、君がいなくなってから、寮に引きこもってたんだ。保健室登校してさ。おまけに忠犬みたいに君の帰りを待って、新しいルームメイトが入っても嫌がらせして追い出して……例の怪談の真相はそれだよ」
そんな彼女が――
「今日、勇気を出して登校した。髪を切るってことが暗藤さんにとってどういうことか、ワカさまなら分かるだろ?」
これは賭けだ。
髪を……過去を断ち切って、暗藤が前進した。それはともすれば、和花のことを忘れる決心をしたと、とられかねない。
そうならないように、言葉を継ぐ。
「ワカさまも、勇気を出して手術を受けてほしいっていう――、」
そこで、和花はこれみよがしに大きなため息をついた。歩は口を閉ざす。予想していた反応とは違ったのだ。やきもちではなく、これは……落胆か。しつこいと呆れられ、飽きられてしまったのか。
「別に、恐いから手術を受けない訳じゃないわよ」
「…………」
思わぬ形で――彼女の本心に触れる。そんな予感がして、歩は思わず居住まいを正していた。
「休学だって、なにも入院するからってだけじゃない」
「……じゃあ」
ざわりと、胸の内を冷え切った手で撫でられたような悪寒。
「うちの親が経営してる会社が傾いててね。ま、要するに――手術に出す金がないっていう話」
どうしようもない、現実を突きつけられる。
「いや、でも……」
実家はお金持ちなんだー、とか軽口を言おうとして喉につっかえた。言いたいのはそういうことじゃない。たとえば、ほら、じゃあどうして入院を――だけど、言っても何かを否定することは出来ない気がして言いよどむ。
そんな葛藤を察した訳ではないだろうが、和花は自嘲じみた笑みを浮かべながら、
「正確には、私のために金を使えば、会社は倒産、家族は路頭に迷いかねない状況ってこと」
ビデオカメラを閉じて、こちらに押し付ける。
「しかも、その手術も百パー成功するって保証はない。大枚はたいて、結果失敗して完治しないんじゃ……ね? 分かった?」
――私は堅実だから、そんなギャンブルはしないの。
ここにきて、あの言葉の重みを理解する。
「加えて言えば」
「……まだ何かありますか」
「妹が出来るのよね、私」
「…………」
真偽のほどは分からないが、仮にそうだとすれば――分の悪いギャンブルは出来ないか。
未来に希望のある、これから生まれてくる妹に貧しい暮らしはさせられず、新しい娘が生まれるなら、残される両親にも希望が残る。
「万が一、手術を受けて治ったとしても……学園には戻れない。あの学校だって慈善事業じゃないし、ロクに学費も払えない生徒なんかいらないでしょう?」
和花は片膝を抱えると、膝の上に頬を乗せて上目遣いにこちらを見て、薄く微笑んだ。
「……っ」
自分の下全てがまるで仇になったような歯がゆさに襲われる。
「だけど、」
「手術費でも出してくれるの?」
何か言おうと口を開けば、先んじられた。
「やめてよね、そういうの。……他人に借りを作ってまで生きたくない。特に――」
空回っている――そう感じた。
(特に、綾野には……か)
綾野は恐らく、この事情を知らない。知っていればきっとおじさんに頼むなりして手術費を捻出しようとするだろう。
だけど、それだけは嫌なのだ。
綾野とは、対等でいたいから。
そして、綾野と兄妹になるかもしれないという先の話のせいで、和花は歩に対しても一線を引くのだろう。
「それでも……寄付を募るとか」
「綾野が考えそうよね、それ。……それこそ、知らない他人、しかも大勢に借りを作ることになるじゃない。というか、海外いって手術する訳でもなし、寄付なんて誰がするってのよ」
「…………」
借金なんて、それこそ、だ。
ただえさえ会社の経営が傾いているというのだから、そんなこと、和花は絶対に許さないだろう。親が借金するくらいなら自ら命を絶ちかねない。
「本当はさっさと退院して、余生を家で読書でもしながら消化したいんだけどね」
「……まあ、治療する気がないくせに、個室を占領されてもな」
「でしょう? それに、うるさい子もくるしね」
何か、ないか。
暗闇の中を手探りで進むように――感覚が触れる硬さから逃れようと、必死に頭を巡らせる。
「何か……」
生きたいと思える、理由。
たとえば、将来の夢。希望。恋とか。好きな漫画の続きが読みたいとか、そんな素朴な理由でもいいから、何か。
そして、暗闇の先――ここが袋小路だと知る。
(……ないんだ)
あれば、恥を忍んででも、他人に借りを作ることになっても、生きたいと望むはずだから。
じゃあ、逆に、だ。逆に何か――死ねない理由は。
生きていても何もなくても、死んでしまうと未練になるような――
(……くそ)
自分は今、取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
「多少の不安は残るけど、綾野にはあなたがいる」
「……っ」
「髪を切れたんなら、灯だって大丈夫でしょう。私は要らない」
まるで歩の心を見透かすように。
告げる言葉にはネガティブな感情は一切なく、いっそ清々しいくらい、思い残すことはないと安心しきった穏やかな笑みが浮かんでいた。
「なんだかんだ、あなたのお陰ね」
人として、「死にたくない」という生存本能はあるはずだ。
だけど、「死にたくない」だけじゃ、人は"生きられない"。
生き続けられない。
「これで心置きなく、死ねるわ」
今の和花には、「それでも生きたい」と思える理由がない。
(本人に生きる意志がないんじゃ……)
伏せた視線につられるように、うつむいた。
――詰みだ。
それでも。
「どうせ捨てる命ならさ」
「嫌な言い方しないでくれる? ……別に好きで捨てる訳じゃないし、こうした方が最善だから、」
「残される側のことも考えてくれないかな」
「我ながら完璧に考えてるじゃない。まあ、ほとんどあなたに丸投げな感はあるけれどね。それに」
「なんだよ」
「死んだ後のことなんて分からないんだし。もう私には関係ないんじゃないかな」
「この自己中め」
「知らなかった?」
「もっと周りのことを気にかける優しいツンデレちゃんだって思ってたよ」
「素敵な夢ね。そういえばうちの親もそんな幻想信じてたみたい。何考えてるのか知らないけど、こんな嫌な娘に投資する気も失せたんじゃないかしら」
「投資じゃないよ。親なら……こんな嫌な娘でも、死んでほしいなんて思わない。だから、」
「どんな幸せ家族に囲まれてきたかは知らないけど、うちの親の何を知ってるっていうの――」
「《《だから」」」
顔を上げ、真っ直ぐ彼女を見つめた。
「ギャンブルだ。病院で言うのもあれだけど、君の命を賭けて」
「勝ったら手術を受けろって? 都合いいわね。……そっちが負けたら?」
「お好きにどうぞ」
「じゃあ、一緒に死んでくれる?」
その問いに、一息ついてから――魅惑的な微笑に応える。
「喜んで」
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