第21話 ――これまでとこれからに(1)
――心地よい疲労感。このままベッドに沈むように、眠ってしまいたくはあったが。
真っ暗闇の中、そこにあるはずのベッドの天板に目を凝らす。
「……
「寝ようとしてる」
暗に話しかけるなと言っているかのような、不機嫌さを感じさせる低い声。
深夜の、二人きりの寮室だ。囁くようなその声も良く聞こえる。
「知ってるとは思うけど、放課後、病院行ってきた」
「……医者に女装してるって見破られた、と」
「まあ……当たらずも遠からずかな」
予期せぬ形で見破られたのは当たっていた。
それにしても、アクシデント続きとはいえ、けっこうな人数に男であることがバレてしまっている。ここに来るための準備期間だったあの一ヶ月はなんだったのかと、自信を失くしそうだ。
「いろいろバレたりもしたけど、君のお陰で
「…………」
「照れてる?」
「……ありがたく思うなら、携帯、返して」
「そうしたいんだけどさー……」
こうも強力な
「ワカさまだいぶ暗藤さんのこと意識してる風だったけど? なんでお見舞い行かないの?」
「…………」
「友達……というか、なんというか。まあそれなりに親しいんだろ? ほら、携帯」
「……何それ脅迫……?」
「いや、そうじゃなくて」
暗藤の携帯の待ち受け、あの画像は
「それに――俺にワカさまのこと教えてくれたのは、」
「携帯のため」
「……綾野のあれを知ってたから、ワカさまの興味を惹けそうな面白い人間であるところの俺を会わせようとしたんだろ?」
つまり、暗藤は和花に、学園へ戻ってきてほしいと思っている――はず。
「君たちの関係が分からないから、ハッキリしたことは言えないんだけどさ……」
ズバリ聞きたいことがあるのだが――ええい、ここは思い切って。
「お二人さん、付き合ってたり?」
しばし、沈黙が落ちた。どきどきと、自分の心臓の音がやけに大きく響く。
「は……?」
「……は? とは?」
「……何馬鹿なこと言ってるの」
「いや、君ってほら、あれじゃん? ルームメイト襲ってる常習犯じゃん?」
ガン! ……と、上から物音。
「違うし」
ガン! ゴン! 天板が落ちてきそう。
「……先生くるから騒ぐのやめよう? な? ほら、携帯」
「…………」
「もしかしてこの部屋だけ重点的にチェックされてんじゃない? 怪奇現象の件で」
歯軋りでも聞こえてきそうな間があった。
(まあ……)
暗藤はおそらく〝自分〟のことを話すのが苦手なのだろう。そもそも他人と話すこと自体苦手なようだから。今日だって、帰ってきた歩子を気にする素振りは見せたものの、自分から病院での結果について聞こうとはしなかった。
ここは自分が察して話を促すべきでは……とは思うものの、暗藤と和花、二人の関係が分からないのだから仕方ない。
とりあえず、安易かもしれないが、
「ケンカでもした? なんかワカさまも君のことディスってたし?」
「…………、」
……失敗だったかもしれない。心を閉ざすような
だた、それに近いようなトラブルがあっただろうことは分かった。
「ケンカして気まずいんなら……いっそ、ちゃんと会っちゃえば?」
「……意味分からない」
「いやさ、案外当たって砕けたらどうにかなるものらしいから」
自分が思っていたほど、悪い状況ではないのかもしれない。
歩子は綾野とおじさんの関係について、どうしたものかと頭を悩ませていたのだが――病院からの帰りに試しにおじさんと会わせてみたら、というか歩きがつらいので車を呼ぶことにしたら、おじさんは緊張こそしていたものの、綾野は平然と、お嬢様口調を貫いてはいたが……ふたりはちゃんと話していた。
おじさんは、綾野のためと言いながら、娘と距離を置いたこと――全寮制の学園に入れたことを少しだけ後悔していた。学園に事務員を装って潜入したのも、娘がおかしくなった理由は学園にあるのではないかと思い、これまで
だけど。
『わたくしはお父様に感謝していますわ。お陰でこの学園に入って、人生の充実を知りましたもの』
綾野はむしろおじさんに感謝してすらいたのだ。
……「人生の充実」なるものが何なのかと、それはそれで気になっていたようだったが、それはそれとして。
『それに、いろいろ停滞していたタイミングで、歩という最強の助っ人を投入してくれたことも感謝していますわ』
その言葉に、ほっとした自分がいる。
「……俺も、ここに来るまで、綾野と会うのが少しだけこわかったんだ」
「何、急に……」
「特に何か気まずくなるようなことがあったわけじゃないんだけど、さ……。あ、そうだ、会わない時間が長いと、何もないのに気まずくなる一方だぜ? 学校いかないのと同じ心の働き」
「…………」
「ま、まあ……。実際会ってみたら、割と普通に打ち解けられるかもしれないって言いたかったわけですよ、うん」
「……別に、ケンカしてるわけ、じゃないけど」
と、歩子の精いっぱいが伝わったのか、暗藤が自分から口を開いてくれた。
「一緒に死んでって……そう言われた」
どしりと、重いものが胸の奥に落ちてきたかのような。
「……正確には、『一緒に死んでくれる』かって……」
「もしかしなくても、拒否った……?」
「…………」
それなら、気まずくなっても仕方ない。
それが最後の……それ以降気まずくなって、そのまま和花が入院してしまったのなら。
「その夜、だった……」
「?」
なんだその怪談みたいな話し方は。
歩子は音を立てないようにそっとベッドを抜け出す。
「……私が、今みたいに寝てたら……突然――て、何してるの」
「いやー……女子は怪談が好きみたいだから」
てっきり適当な話でごまかされるのかと。
歩子はベッドに備え付けられている梯子に昇って、上段にいる暗藤の顔を覗き込んでいた。薄紫色のパジャマ姿の彼女はちょうどこちらを向いて横になっており、長い前髪が流れて闇の中に浮き上がるような白い頬が露わになっている。
話の真偽を計ろうとその顔を直に見に来たのだが、闇に目が慣れても前髪がヴェールのようになっていて、相変わらず表情は読めなかった。
「……突然、和花が」
「えっと……?」
「私に覆い被さってきて」
「…………」
まさか、襲ってきたのはあっちの方だったのか――?
「ハサミ持ってて……」
「……う、うわ……」
「……殺されるかと思った」
吐き出された声の、なんと安堵感に満ちたことか。
その日の昼に「一緒に死んでくれる?」なんて言われていたら、そう思うのも無理はない。むしろそうとしか思えない。
さすがに和花の〝本性〟については知っていたとは思うが、襲われたその時に知ったとしたらかなりショックでしばらく人間不信になるかもしれない。
「そりゃあとんだ寝起きドッキリだね……。けど、そっちもつい昨日、俺に同じようなことしたんだぜ?」
「……私はあんな
「その見た目が充分凶器だから」
呪われたかと思った。
「……でもそれって、暗藤さんの髪を切ろうとしてたんじゃ? あの子ならやりかねない」
「…………」
「入院する前に……思い残すことがないように、とか」
暗藤は普通にしていたら――前髪を切って、その素顔を見せていれば、普通に声をかけられたりと、クラスにも溶け込めるのではないかと思う。
ただ、暗藤は人付き合いが苦手そうだし、むしろ話しかけられないための前髪なのかもしれないが。
(でも……そのままには、しておけなかったんだろうな)
友達なら、大切な相手なら――もしも自分が明日死ぬかもしれないなら、その前に――
「あぁ……そういうことか」
あの質問の真意は。
だけど歩子は、応えられたはずなのに、答えなかった。
明日はちゃんと話そうと思う。
でも、今は――
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