第20話 愛と下心の駆け引き・前篇
――がやがや、ざわざわ。
何を言っているのか聞き取れないそれらはまさしく雑音だった。
あるいは映画の始まる前、舞台の幕開けに相応しいカーテンコール。
ただ、それらが何に対してざわついているのかはおのずと分かった。
教室の入口に二人の少女(?)の姿がある。
一人は女の子にしてはどことなくしっかりした体格をしているが、男性的な頼もしさを感じさせると言えばそうなるかもしれない、黒髪の美少女だ。
先日転校してきたばかりの彼女は早くもクラスに馴染んでおり、彼女が登校したくらいで教室はここまでざわつきはしない。
クラスメイトたちの視線が集まっているのは、その傍ら、まるでホラー映画の中から抜け出してきたかのような容姿をした少女の方だ。
隣に並ぶ
彼女には悪い噂がある。
それは、彼女と相部屋になった生徒は呪われる……というものだ。
実際に彼女と相部屋だったある少女は病気療養のため休学しており、以降相部屋になった少女たちも心身の不調を訴え授業を休むことが多くなったかと思えば、部屋の変更を申し出るため、暗藤のルームメイトは短いスパンでころころと替わった。
いったい何があったのか。黙して語らない者もいれば、深夜、金縛りにあったと証言する者もおり、やがて13号室では怪奇現象が起こる、暗藤灯は呪われている……といった噂に発展していったらしい。
中には転校した生徒もいるそうだが、聞けば家庭の事情によるものらしいので、実際のところ呪いというものが存在するのかは怪しいのだが、一度生じた噂は様々に尾ひれがついて広がり、今ではすっかり暗藤灯は『呪われた少女』としてみんなから気味悪がられているようだ。
それを気にしてかしばらく教室に姿を見せなかった彼女が――その日、唐突に登校してきた。
クラスメイトたちがざわつくのも仕方がないだろう。
そして――そうした喧噪を鎮めるのが、クラス委員の務めである。
『暗藤、さん。久しぶり、ね。おはよう』
『…………』
暗藤はそれに応えない。いや、わずかに頭を下げたようにも見えるが、なにせこの毛量だ。髪は揺れるも会釈したかどうかは定かじゃない。
それが、進級組である彼女には気に喰わなかったのだろうか。
『ねえ、挨拶くらい出来ないの。これだから……庶民は!』
暗藤の前にやってきた
■
「――はい、ここまで」
と、教室の風景が黒く染まる。
歩子は持っていたビデオカメラを閉じて、ベッドの端に並んで腰掛ける
「どうですか? 今日の我がクラスの様子を撮影してきたんだけど」
「何この茶番」
和花は吐き捨てるようにそう言って、顔を背けた。
「続き、気にならない? 久々の登校、しかし委員長との確執は未だ深く……腕を振り上げた委員長! その後、暗藤さんはどうなるのか!?」
「何あの演技、棒じゃないの。優等生でしょ、あの人」
「台詞を丸暗記するのと演技するのとでは違うんですよ」
「……はい、言質。台詞、演技。しかと聞いたわよ」
「ん……。でも気にならん? 暗藤さん頑張って登校したんですよ。でもまだ一人じゃ心許ない。それをイメージした映像が今のです。脚本・監督は俺」
「…………」
呆れきって言葉も出ないといったところか。
和花と知り合ってから、数日――いろいろと、考えた。
これから自分が首を突っ込もうとしているのは、部外者が立ち入ってはいけないような重たい話だと自覚した。
そのうえで――第三者として、あるいはそう、観客として。
こうなってほしいという結末を思い描いた。
そのために邪魔なのは、進級組だとか編入組だとかいうグループの問題。
聞けば、和花は初等部から学園に通う生粋の進級組。その家柄もなかなかのものらしい。そのためか、たとえば輿美水といった進級組とつるむことを要求される。身分にあったお付き合い、というやつだ。
そんな和花が暗藤のような編入組と付き合っていることが気に喰わない向きの方々がいるようで、暗藤はその見た目もあって嫌がらせを受けていたという。
が――
(そういう問題は、当人たちにとっちゃ大したことじゃないんだ。多少気がかりではあるだろうけど――)
いろいろと端折りはしたが、事情を話すと輿美水は先の動画の出演を承諾してくれた。その棒の演技を馬鹿にするつもりはないが、お陰で面白おかしい(と思う)映像になった。
グループとかそういうものは、本当に大した問題ではないのだ。
輿美水も暗藤が引きこもっていることに責任を感じているようだったし――そうやってみんな後悔を抱えながら、前に進めないくらいなら。
(お節介な第三者がいてもいいじゃんか)
暗藤は和花と最後に交わしたやりとりがずっと引っかかって、まるで和花の気を引こうとするように引きこもり、教室に姿を見せなくなった。
何もかも面倒になった、と暗藤は言っていたけれど、それは――和花のいない学校に、通う意味を見出せなくなったからではないか。
和花が戻ってくれば暗藤は教室に姿を見せるかもしれないが――状況は停滞している。
いくら待っても、和花は戻らない。
彼女を連れ出す、誰かが必要だ。
(綾野はワカさまを連れ戻すために……なんだか無気力なワカさまの興味を惹こうと、あれやこれや手を尽くしていて)
暗藤がいればいいのではと、暗藤のために『おほほ』を始めた。中等部からではあるが、それでも立派な進級組の綾野が仲裁に立って、進級組と暗藤との仲を取り持とうと――あるいは道化となって、嫌がらせとかそういう目から守ろうと。
たぶん、暗藤にとって嫌がらせなどは苦ではない。
それよりもっと、和花を拒絶したことに苦しんでいるはずだから。
だから、暗藤は自ら踏み出すことが出来ない。
この複雑に絡みあった人間関係の、その問題の中心にいるのは――
「どうっすかね? 久々に暗藤さんの顔見て」
「……はあ?」
「会いたかったんじゃないのかと思って。お見舞いにも来てないんだろ?」
「……別に。というか、そもそも顔なんて見れないじゃない、あんなの」
「まあ……俺もこうしてビデオで見ると、ほんっとホラーだって思うよ、あれは」
特に映像の中の暗藤は髪の向きが違うのではないかというほど、前髪が後ろ髪と大
差ないほど長く見えた。
「自分はどうなのよ」
「……あれは園辺さんっていう、俺とは違う人なので」
「入院したら?」
肝心なのは、彼女の気持ちだ。
「ワカさま、病気なんだよね? それも、命のかかわる類の」
自分でも驚くくらいあっさりと、核心をついた。
返事はないが、事情は綾野に聞いて知っている。
和花が最近、大部屋の病室からこの個室に移ったのも、その病気の治療のためらしい。
そして、手術を予定しているものの、和花自身がそれを拒んでいるというのだ。
「そうよ。病気、病弱なの。今にも死にそうなの。分かったらそっとしておいてくれない?」
「手術とか、しないの?」
「そしたら必ず助かるわけ?」
「…………」
必ず助かるという保証はなく、後遺症が残る可能性も否めないというから、彼女が苦痛を伴う本格的な治療や手術に踏み込めない気持ちも、分からなくはない。
だけどそれ以前に、彼女には生きようという気持ちが欠けているのだ。
……少なくとも、綾野はそうじゃないかと思っている。
だからあんなにも頑張っているのだ。
「私は堅実だから、そんなギャンブルはしないの」
そう言って和花は自分の肩のあたりに手を伸ばすが、その指先は空をつまんだ。
歩子はポケットから携帯を取り出した。その待ち受けには、肩より下まで伸びた黒髪の少女。綾野によれば、最近になって――入院してから、切ったらしい。
「髪、切ったの……それ、治療のせい?」
「……無様に醜態さらしてまで、生きようとは思わないのよ」
かみ合っていないような答え。しかし、つまりそういうことなのだろう。
「綾野はさ、お母さんを亡くしてるんだよ」
「……だから友達には死んでほしくないって? 勘違いしないで。私、あの子とは友達でもなんでもないから」
「それ、もう赤の他人だから自分が死んでも悲しむな的なやつだろ?」
「違うけど」
「またまた~、」
「仮にそうだったとして。……そうした方がいいに決まってるでしょう? 少なくとも、あの子は私が自分の友達だって、アホなこと思ってるんだから」
「君が死ななければいいんじゃね?」
「簡単に、そんな軽いノリで言わないでくれる?」
「そんなノリじゃなきゃ、こういうことは話しづらいんだよ」
少なくとも、綾野には悲しんでほしくないと、そう思ってることだけはハッキリした。
「……幼馴染みなら、あの子に言ってあげて。これから死ぬ人間相手に大事な時間使うくらいなら、この前点数が悪かったって言う歴史の勉強でもしてろって。その方がまだ有意義だって」
「過去のことには興味ないんだよ。そんなことより、今と、これからが大事なんだ」
「思い出したくない黒歴史ばかりなんでしょうね。じゃあ将来に支障をきたす前に、あのおかしな口調やめさせなさいよ」
「まあ、あれを『面白い』と思ってるあいつのセンスは改善した方がいいんじゃないかとは思うけど、さ」
なんと言えばいいのだろう。言葉が思いつかない。
人の生き死にに関わる問題なんて、自分には向いていない。
「綾野は……なんていうか、昔からいろいろ無理するやつだったんだよ。意地っ張りで、無理だろって言われたら意地になって、出来ないくせに、涙目になってまでやろうとするような」
だけど、言葉を尽くしたい。やれることをやりきりたい。
「それで結局出来なくて、落ち込んで、ヘコんで、お母さんに泣きついて。そのお母さんが、亡くなってからは……まあ、当然だけど、だいぶ塞ぎ込んでて。俺が無理やり外に引っ張り出してからは、少し明るくなったように思うけど……それでもやっぱり、無理してたんだと思う」
だから歩の母が夕飯に誘ったりしても、それを頑なに断っていたのだろう。
「たぶん、おばさんがいなくても大丈夫だって、一人で頑張ろうとしてて……それから、美知志に転校したもんだから、綾野とはだいぶ疎遠になってたんだけど。まあ、女装して《こういうかたち》とはいえ、あいつと再会して――」
おかしな口調になってこそいたが、それでも彼女は明るくなっていた。
「……君のお陰だよ」
彼女と知り合い、触れ合って、仲良くなり――変わっていったのだろう。
「何? 私に妬いてるの?」
顔だけこちらに振り返った彼女は、皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
「むしろ、君の方こそ俺に妬いてるだろ?」
歩子は不敵に微笑み返す。和花の眉に微かに皺が寄る。歩子の手の中にある、暗藤の携帯を見つけたのだ。歩子は待ち受け画面を隠すように携帯を閉じた。
「……何よ、どういう意味」
「分かってるくせに」
「……別に、灯があなたに気があったって、私には関係ない」
どうやら、この前の綾野の言葉を気にしていたらしい。
「――よし」
と、歩子は携帯を脇に置いて、代わりにビデオカメラの電源を入れる。
「一応受け答えしてくれたし、約束通り俺と暗藤さんが仲睦まじくしてる映像の続きを見せてあげよう――ぐほっ、」
脇腹にエルボーを喰らった。これが思いの外キツい。
「く……うう……泣きそう」
「死ねば良かったのに」
「ま、まあ、俺を殺すかどうかは、続きを――いや、『暗藤さんピンチ編』はやめといて、」
「何本あるの……」
「この一週間ほど、俺たちは映像研究会の手などを借りつつ、スクープを探して学校中を駆けずり回っていたんだ」
「女装に加えて、盗撮ね……」
「はいはい、次いきますよ――」
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