第19話 振り返りながら歩こうか(2)




「ま、まあ? 杞憂だったみたいだけどな……?」


 歩子あるこは気まずさと気恥ずかしさから、不自然に思われない程度の脈絡を意識して話題を切り替える。


「お前は何かあって、おかしくなってたんじゃなく――」


「さっきから……、歩子さんもお父様もいったいわたくしのことなんだと思ってますの?」


「――友達のため、なんだろ?」


 綾野あやのがおかしく――妙な口調になった理由は、歩子やおじさんが心配していたようなネガティブなものではなかったと、今日和花わかに会って確信した。

 まだほんの〝さわり〟でしかなく、その深いところまでは想像するしかないが、全ては和花のためなのだろう。



「えぇ、歩子さんの想像通り――暗藤あんどうさんのためですわ」



 ん……?


 いやまあ、ちょっと予想からは外れたが――


「暗藤さんは途中編入組……中学の時に美知志みしるしに来たのですわ。それは知っていて?」


「ん、まあ……。詳しくは聞いてないけど……」


「あの頃はまだ前髪も今ほど長くはなく、まだ良識の範囲の髪型をしていたのですわ」


 あの夜に見た暗藤の素顔を思い出す。あんな美少女転校生が来たら、みんな放っておかないだろう。


「ただ、今ほどひねくれてはいませんでしたけど、あの頃から暗藤さんは人見知りで、陰気な女の子だった……さながら車に引きずられた猫の死骸、道路に残されたその黒い染みのように……」


「とんでもない表現だけど、そのニュアンスは分からなくもない」


「聞けば暗藤さんは、義理のお父様とうまくいかず、母方の実家の方で暮らしていたそうなのだけど、その祖父母が亡くなったことがきっかけで学生寮に入ることになったとか」


 実の親でないにしろ、心を寄せることの出来る相手の死はつらいだろう。


「だけど、そんな事情はクラスメイトたちには知る由もない。態度も悪い、付き合いも悪い暗藤さんは……まあ、途中編入組ということもあって、進級組の方々とのあいだに溝をつくってしまった。加えてあの見た目、風紀を乱すほどではなくても、明らかに社会不適合な髪型なものだから……」


 生真面目な輿美水こしみずさんあたりは気に喰わなかったのか。


「正直なところ、わたくしもあの頃の暗藤さんなんかどうでも良かったのですわ」


「ほんと正直だな。まあ……」


 中等部の頃の綾野を詳しく知る訳ではないが――こちらも、母親の死をきっかけに周囲を遠ざけ、自分の殻に閉じこもっていたのではないか。


「ただ、ワカさまが――高等部になって、暗藤さんと相部屋になったワカさまが、あの子のことを気にかけるから。まあ、仕方ないから、わたくしも相手をしてあげることにしたのですわ」


「…………」


 文脈から察するに――和花は、綾野を暗黒期から救い出してくれた光だったのだろう。

 あのツンデレ……もとい、容赦ないドSお嬢様がどうやって綾野を元気づけたのかは想像するしかないが、たぶんそれなりにスパルタしたのではないかと思う。


 誰かを救うというのは、意図してやるものじゃないのだ。

 ただ、ごく当たり前に――そこにいてくれるだけで、誰かの何かを変えるのだ。

 たとえ本人にその気がなかったとしても。


 しかし今、綾野は自ら動き、暗藤を――恐らくはその先にいる和花を、救おうとしているのだろう。


「ワカさま亡き今、あの引きこもりを連れ出すのはわたくしの役目。……この口調は、そのためのわたくしなりの皮肉ジョークですのよ」


「ジョーク……?」


 それとワカさま生きてるから、それこそ悪い冗談だ。


「そう、お高くとまった進級組の方々への皮肉」


 あるいは、反抗。その意思表示。そしてそれは、暗藤の味方であると告げるメッセージでもある。


「それから、ユニークなわたくしがクラスにいれば、あんな陰キャなんて誰も気にしないでしょう?」


「あぁ……」


 つまり、道化ピエロなのか。

 連れ出すのではなく、暗藤が自ら出てくることが出来るように――


 そして、



「暗藤さんが教室に戻れば、きっとワカさまも帰ってくる気になる」



 歩子はただ『何か』が起こるのを待っていただけだが、綾野は違ったのだ。

 自分から変わることで、自ら『何か』を起こそうとした。


「和花さまは、学校なんて――生きていたって面白いことなんてない、人生なんてつまらない、と。それは何もしないから、つまらないと想っているからだって……」


 格式とか伝統とか、建前とか世間体とか、そんなもの全て笑い飛せるような、面白さ。

 そんな面白さを提供すれば、和花の興味が惹けると思ったのだろうか。

 あの暗藤を連れ出した、それだけの面白さがあればなんとかなると。


「正直、お前のセンスはどうかと思うけど――まあ、面白いよ。なんでこいつ『おほほ』とか笑ってんだろって、俺も興味持ったし。転入したのにいろいろ理由はあるけど、やっぱりそれが気になったのも大きい」


 学校に行きたいと――生きたいと、そう思えるような面白い出来事。

 和花を連れ出すためだけに、クラスで浮くことも厭わず、すれ違う人たちから変な目で見られることも構わず――


 それが、綾野の覚悟か。


 少しだけ、その深みが覗けたような気がした。


 ――生きていたって、面白いことなんてない。


「……実際外に出てみたら違うんだってこと、わたくしは歩から教わりましたから。わたくしは、それを和花さまにも伝えたかったのですわ」


「……俺から?」


「お母様が……それから、どっくすが死んだ時、塞ぎ込んで、引きこもったわたくしを連れ出したのは歩でしょう。……いいことなんかない、世の中つらくて悲しいことしかないって、いろいろ諦めてたわたくしを無理やり引っ張り出して、外に出たら面白いこともあるんだって、わたくしの世界を変えてくれましたわ」


 俯くように視線を足元に落とす綾野の口元には、淡い微笑。昔のことを思い出しているのだろうが――もう少し、前のことにも思いを馳せるべきだ。


「……違うぞ、それ」


「え?」


「お前が俺を連れ出してくれたから、俺はお前を連れ出せたんだ」


 教えてくれたのは綾野だ。綾野が歩の世界を変えてくれた。

 歩はそれを返しただけだ。


 ――父の死。


 幼いながら、最期まで父とちゃんと話せなかったことがずっと悔やまれた。

 引きこもりはしなかったが、以降、歩は誰とも話せなくなった。

 最後の会話ことばはなんだっただろう。それは父を傷つけてはいなかったか。そんなおぼろげな記憶が見せる後悔の傷跡に悩まされた。

 綾野が言ってくれた――気にしなくていい――その言葉が、どれだけの救いになっただろう。


 最後の会話がなんだったかなんて、こんなにも気にしてる歩が忘れるくらいなのだから、おとうさんもきっと忘れてる。

 忘れてることで悩んでても仕方ないし、それに――何かを言ってても、それでもおとうさんと〝話してる〟んだから、歩のおとうさんはうれしかったと思うよ?


(歩のおとうさんはたぶんまぞだから何言っても傷つかないよ……とか)


 思わず笑ってしまった。それが救いだった。

 それからの歩は細かいことはあまり気にしないように努めた。些細なリスク、不測の事態を恐れていては先に進めない。

 そして、なるべく話そうと思った。後悔しないように。たとえ進むことで相手を傷つけても、その傷を癒せるくらいにまた話そうと。


 綾野のお陰で今の自分があると思っている。

 だから、綾野のために何かをしたいというこの気持ちは、恩返しのようなものだ。


 綾野が和花を『親友』と決め、そのために恥を忍んでお嬢様キャラになりきるなら――



「付き合うの?」



「……それ以外の方向で」



 そう答えると、綾野は楽しげに笑った。


「一つ、聞きたいんだけど」


「何かしら?」


「お前と、霧開さんと……それから、暗藤さん。いったいどういう関係なの?」


「回想つきで説明しましたわ」


「いやあ……」


 深い意味はない。いやほんと、幼馴染みが百合展開に突入してるんじゃないかとか、そういうことが知りたいのではなく、単純な興味で。馴れ初めとか聞いておきたい。


「わたくしと和花さまは親友ですわ。わたくしが中等部に上がって、学生寮で相部屋になったのが和花さま。それから三年間一緒でしたわ。最初はあの学園らしい雰囲気のお嬢様キャラでとっつきにくかったのですけど、今ではすっかり化けの皮も剥がれて、あの通り」


「……暗藤さんはとワカさまは?」


「暗藤さんなんて知りませんの」


 どこかツンとしたその様子から、歩子は事情を察した。


「お前……暗藤さんに妬いてるのか?」


「何を馬鹿な……」


 和花と暗藤はおそらく、親しい。それぞれの性格――猫かぶりで本性はサディストな和花と、根暗で陰険で人見知りで口も態度も悪い暗藤の組み合わせはあまり相性が良いとは思えないのだが、少なくとも二人はルームメイトだった。綾野と和花が中等部の三年間一緒だったのなら、和花と暗藤は高等部に上がってからの一年ほどか。


 怪談の真相を得意げに……暗藤をディスっていた和花はなんとなく楽しげで、そのあと歩子が暗藤とルームメイトであることを打ち明け、綾野がなんだかんだと言い始めたあたりから和花の機嫌が悪くなったことから察するに――和花もやきもちを焼いていたのではないか。


「お前が突然『歩に気があるんじゃないかしら?』とか小学生みたいなこと言い出したから、変だと思ったんだよ」


「…………」


 そうやって歩子と暗藤の関係を匂わせ、和花をあおろうとしていたのだろう。

 それを指摘された綾野は照れたようにそっぽを向いた。それこそ小学生みたいな、素の感情が表に出ていた。


「可愛いやつめ」


「うるさいのですわっ」


 肘で小突くと、綾野はぶっきらぼうに、


「……だって、三年も一緒だったわたくしよりも、一年足らずの付き合いしかない暗藤さんといる方が、楽しそうなんだもの。そりゃあ中等部の頃のわたくしは根暗で、暗藤さんみたいな面白い外見もしていなかったから? ……暗藤さんなんて、一度もお見舞いに来ないのに、和花さまはいつも――、」


 大切な親友だからこそ、なのだろう。

 しかし、綾野には悪いが、歩子には気になることがあった。


「変だな……? それなら霧開さんと暗藤さんは相思相愛なのに、お見舞いに来ないっていうのは……」


「はあ……?」


 綾野がかみつきそうな勢いで振り返る。歩子は携帯を――暗藤から没収した彼女の携帯を取り出した。

 暗藤は気付かなかったようだが、歩子の偽装胸には隠しポケットがあり、暗藤の携帯はそこにしっかり収まっているのだ。


 その待ち受け画面に映る、髪の長い少女。


「これ、霧開さんだろ? 髪長いけど」


「……ですわ。入院する前の。最近になって突然ばっさり切ったんですの。どうして歩子さんがこんな写真を持ってるのかしら? 没収しますわっ」


「いやこれ暗藤さんの携帯だからっ。ていうか、こっちの方が"らしい"のに……霧開さんの雰囲気に似合ってるのに、なんで切ったんだろうな? 髪は女の命だってうちの母さんもよく言ってたし、何か特別な理由でも……」


「…………」


「もしかして、長い髪を見てると暗藤さんのこと思い出して寂しくなるからだったり――痛っ」


 今の綾野は親友を他の子にとられてやきもちを焼いているというより、片想いの相手が他の女と仲良くしているのを見て、妬いちゃってる恋する乙女のようだった。


 相手が幼馴染みとはいえ、お嬢様学校に入ってこういうのが見たかった歩子は内心わくわくしていた。殴られた脇腹は痛かったが。


「……あんな、暗藤アン・ドゥさんなんて……」


「アンドゥって」


 綾野は苦笑して――少しだけ、気分も晴れたように見えた。


(アンドゥさんと、ワカさま、か……)


 二人の間に何があったのだろう。

 暗藤は何を思って歩子を和花の元へ向かわせたのか。

 和花は暗藤がお見舞いに来ないことをどう感じているのだろう。


「……やっぱり」


「?」


「こうして人の関係に首を突っ込むと、いろいろ考えることがあって……面白いな」


「歩は変わってますわね」


「お前にだけは言われたくない」


 二人して笑いあう。

 なんだかようやく〝幼馴染み〟に戻れたような気がした。



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