第18話 振り返りながら歩こうか(1)




 綾野あやのとともに病室を出る。

 廊下には誰もおらず、歩子あるこはふっと息を吐いた。


「……最後、あのままで良かったのか?」


「あのままって?」


「なんか……また怒らせたみたいだったし」


 元はといえば、綾野のフォローをするつもりで女装潜入の裏事情を打ち明け、和花わかの質問に答えていたのだ。その結果、和花はまた不機嫌になり、綾野とも口をきかないまま別れる羽目になった。


「いいですわ。むしろああして別れた方が和花さまをやきもきさせられますもの。わたくしを怒らせたかと悩んだり、ほんとにもうこないんじゃないかと不安になったりするのですわ。……飴と鞭、時には素っ気なく接するのが一番ですのよ?」


 そう言って綾野は不敵に微笑む。さすが、というべきか。和花の扱いに慣れているのだろう。


「お前もなかなか胆が据わってるっていうか……。というか、せめて俺といる間くらいその口調やめないか?」


「いつ誰が聞いているとも限らないもの、やめる訳には、」


「誰か聞いてると恥ずかしいからやめろって言ってんだけど?」


「普段から心がけていないと素が出てしまうもの。それより、歩子さんの方こそ、誰が聞いているか分からないのだからもう少し気を付けるべきですわよ?」


「む……」


 まあ、その通りなのだが。

 やっぱり正体を知られた上で続けるのには耐えがたいものがある。


 決心のつかない歩子を置いて綾野が先に行く。歩子は和花の病室を最後に一瞥してから、綾野を追いかけて並んで歩く。


「ところで、歩子さん? さっきの話ですけど……」


「さっきのって――、」


「もしかして、入学の話を持ち掛けたのはうちの父親じゃなくて?」


 ……まあ、感づかれているだろうとは思っていた。


 学園側にどんな事情があれ、白羽の矢の立った相手が、たまたま自分の幼馴染みなんていう偶然……普通はまず訝しむ。和花もその点が引っかかって、綾野との狂言の可能性を疑ってかかったのだろう。


「それに、今日の体育」


「……ですよねえ……」


「最初はさすがにそんな訳はないと我が目を疑いましたけれどね。だけど、それこそ歩子さんがいましたもの。歩子さんの正体に確信が持てた一因でもありますわ。お父様が絡んでいるのなら、と。どうやらお父様、うちの学園の理事長……女性なのですけど、何やら昔馴染みらしいですわね」


 さすがに父親の女性関係には綾野も顔をしかめるらしい。


 ……少し、難しいところだ。


「それで? 歩子さんはどうして学園に? お父様の指図なんでしょう? どうしてまた。……それとも、わたくしにも言えないのかしら?」


「……それだよ、それ」


 こうなったら、せっかくだしここで打ち明けてしまおう。

 帰り道、学園に着くまでには話し終わるはずだ。

 バスはもうないだろうし。


 病院の階段を降りながら、


「それ、と言うと?」


「お前の……綾野さんの、そのおかしな口調よ」


「おほほ……ぷー、くすくす」


「おい笑うな。しかもわざとらしく」


 お前が言ったから注意したのに――ともあれ。


「……この前の連休、家に帰ったんだろ? お前がそこで、その謎のお嬢様口調で話すもんだから、おじさん心配してたんだよ。学校で何かあったんじゃないかとか」


 いろいろ理由を考え、話し合った。


 親バカなおじさんは、綾野がクラスでいじめに遭っていて、精神的に追い詰められた末に……とかなんとか突拍子のないことを言っていたが、そこまで突飛でなくても、相当な事情があるのだろうと歩子も思ったものだ。

 だって、何もないのに突然お嬢様になるなんておかしい。どうかしてる。一応家柄でいえば、お嬢様と言えなくもない家庭ではあるのだが。


 そう思って考えたのが、綾野なりのコミュニケーション説。


 他には、綾野はおじさんと理事長の繋がりを知っていて、自分はその繋がりがあったからこそ入学できた……いわゆる裏口入学かもしれないことにコンプレックスを抱き、せめて雰囲気だけでもお嬢様にして学園の空気に馴染もうとしたのではないかという説。


 その仮説から分かる通り、歩もおじさんに感化され不安になり、実際にクラスで浮いている綾野を目の当たりして心配したが、前後関係でいえば今の口調になったから浮いていることが分かって謎が深まった。


 せっかくだから真相を追及したいところだが――


「学校の件も嘘じゃないけど、俺の第一目的はお前の様子を探ることな訳だよ」


「あぁ、〝その1〟ってやつですのね」


「そういうこと」


「…………」


「まあ、その、なんだ……」


 続ける言葉に迷っていると、会話が途絶えた。

 沈黙を引きつれたまま病院を出る。


「……卒業したらどうするのか知らないけど、さ……お前も家に戻るかもしれない訳で。そうなると、自然とおじさんと二人になる――、」


 少し、言いよどんだ。


「……おじさんとの、関係改善の一助になれば、と」


 二人になってもならなくても、このままが続けば――いずれ必ず訪れる〝別れ〟の時、きっと後悔すると思うから。


 学園の存亡なんて大きなプレッシャーを背負ったのも、綾野のことを考えたからだ。


 ……いや。正直なところ、学園の未来とかはそこまで深く考えていない。


 綾野は夏休みなどの長期休暇にも実家に帰らないことがあるらしい。それはおじさんと二人きりになるのを避けるためではないか。だとすれば、寮生活は綾野にとってある種の救い、避難場所。


 それが廃校になることで失われれば――決心のないまま無為に過ごしても、関係は平行線、時間が解決してくれるなんてこともなく、綾野とおじさんは最期まで変わらないかもしれない。


 一緒にいるからこそ、変われないこともある。

 適度な距離をとることも、時には必要なのだ。


 そういう後悔を知っているから、綾野には同じ想いをしてほしくない。


 せめて、考える猶予を。覚悟を決めるためのモラトリアムを。その場所を。


 守ろうというのは――いささか、お節介が過ぎるだろうか。


 でも、こればかりは――これからは、他人事ではないから。


「あ、勘違いするなよ? 別におじさんがそこまでしろっつったんじゃなく、俺が勝手にやってるだけだから。おじさんはお前がおかしくなったんじゃないかと心配してただけで」


「おかしくなったとは失礼な、ですわ」


「とってつけたように……」


 とはいえおじさんにもそれが関係改善に繋がればという想いはあったのだろうが、そこまで変に深読みしなくていい。


 今はただ、自分の父親が心配していること、娘を大切に想っていることさえ汲んでくれれば。


 たぶんそれはもう、ちゃんと伝わっているのだろうけど。



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