第17話 冗談みたいな、真面目な話をしよう(3)




 昔から、絶体絶命の逆境を思いもよらぬ策で乗り切る物語が好きだった。


 そのため御園辺みそのべあるくは普段から他人の行動を観察し、その目的や理由を考えるくせがついていた。興味を持っていろいろと想像したり、可能であれば直接本人に訊ねたりもした。


 しかしそうしていても、そうそう何かが起こるわけもない。


 つらいことや悲しいことはたくさんあっても、楽しくて胸躍るような、スリルと興奮に満ちたイベントなんて、普通に生きているだけじゃ出会えない。


 だから――



「利害の一致というかだね、これはまたとない機会だ! と思って」



 綾野あやのの謎口調についても興味はあったし、話を持ち掛けてきたおじさん相手に断れなかったというのもあるが。


 退屈な――友達はいても彼女はいない、それ以前に恋愛に対してあまり魅力を感じない。運動神経も人並なので熱中できるスポーツも見つからず、文化系の部活にもこれといった興味が湧かない――高校生活。


 人間観察しゅみと実益を兼ねた放課後の接客業バイトだけが楽しみの、我ながら味気ない日々だった。


 そんな、アニメや漫画、ラノベのような超展開を期待するだけの日々に訪れた、奇跡めいたチャンス。

 掴まないという選択肢はなかった。


 そしてもちろん――


 女装してお嬢様学校に潜入!(思ったより本格的な女装訓練と準備期間を経た)

 無防備な女の子たちの姿!(大胆過ぎて逆に引くこともあった)

 始まる禁断の百合展開ラブロマンス!(夜中に襲われた)


 ――とまあ、そうした女の子だけの秘密の花園への期待したごころを胸に、歩はこの話に乗ったのだ。


「……はあ」


 ひとがせっかく質問に答えたというのに、理由を聞いた和花わかは呆れたように顔をしかめた。

 一瞬その瞳に落胆の感情いろが覗いた気がするも、和花は目を伏せ、まぶたの裏に真意ひとみを隠す。


 ふと生まれた静寂に、歩は自分が和花の期待の応えられなかったのだと悟った。

 彼女が何を知りたがっていたのかは分からない。

 ただ、それに答えを返せなかったことがとても悔やまれる。

 もしかすると今、猫かぶりな彼女が初めてその秘めたる心の内の一端を見せてくれたのかもしれないと思うからこそ。


 リノリウムの廊下を叩く音。コツコツ。がらがら。人の声。ノック。ぱたぱた。


 どこからか届く環境音によって、ここが病院であることを思い出す。



「――要するに」



 しばしの沈黙を挟んでから、



「あなたは変態マゾ野郎な、トンデモリスクジャンキーってことね」



 ため息交じりに、お姫様はそんな暴言をのたまった。


「……いや。何か誤解してませんか?」


「だってそうでしょ? どんな背景があるにせよ、最終的には自ら望んで女の子だけの学校に女装してやってきて、それを楽しんでる訳なんだから。社会的に死ぬリスクを冒して……むしろそのリスクに興奮してる変態」


「……訂正させてもらうと、今回の件はある程度の安全が保障されてる訳で、俺はその上で乗っかってるんだ。まあ確かに不測の事態が起こらないとも限らないけど、そんなのなんにだってありえることだし」


 女の子たちの偏見と侮蔑の眼差しに晒されるリスクはあるものの――それはあくまで失敗した場合。むしろ、そうした刺激スリルがあるからこそ面白いのだ。人がゾンビやスプラッタなど、ホラー映画を楽しむ心境に近い。

 ただ、ホラー映画を好む人がそうであるように、実際に女の子たちの偏見と侮蔑の眼差しを浴びながらなじられたいわけではない。


 和花の言いようだと、まるで歩が命の危険も厭わないように聞こえるが、さすがにそこまでトンデモな思考は有していない。リスクはあくまでスリルのため、それ自体はもちろんご免だ。

 たとえるなら、『完全運まかせ! 外せば即死、ロシアンルーレット!』みたいなことはしないが、『見た目で判別できるか? 外れは激辛、ロシアンたこ焼き!』のようなことには率先して挑戦する、といった具合だ。


「失敗したら大変なことになるかもしれないけど、それは自分の努力と少しの運次第でなんとかなる。完全な運ゲーじゃない。そんな特殊な状況を、ずっと待ってた」


 そんな状況をちゃんと楽しめるように、これまで準備をしてきて――その甲斐あって、あの夜も乗り切った。

 うん、まあ……喉元過ぎればなんとやら、今では良き想い出だ。


「よくも、まあ……」


 そんな下らない、起こるとも限らないようなことを期待できるものだと。和花はそう言いたげな呆れ顔。


「俺は人生諦めてないから」


 生きていればいつか面白いことが起こると、そう信じているから。


「…………」


 和花は一瞬、息を詰まらせたような顔をしたが、


「……やっぱり綾野の回し者じゃない。下らない。カッコいいこと言ってるつもりなんでしょうけど、自分の格好お忘れ? 女装男」


「……それは言わんといてくださいよ……」


 別にカッコいいことを言ってるつもりもないし、今のは会話の流れから自然と口を衝いた本心なのだが――それも相まって、なんだかとても恥ずかしくなってきた。


 その時だ。


 コンコン、と。


霧開きりひらさん? 検診の時間なんだけど――」


 病室の扉が開き、看護師が顔を覗かせた。

 そして不思議そうにきょろきょろと室内に目を向けて、



「……あれ? 男の子の声が聞こえた気がして、入るの遠慮しようかと思ってたんだけど……」



「……っ」


 歩は――歩子あるこに戻る。和花に向き直り看護師に背を向けた格好で、自分の表情を取り繕う。何かマズいことはないかと自分の全身に視線を走らせながら姿勢を正した。


「ふふ……」


 和花が上品に微笑む。その目には「こいつどうしてくれようか」と、追いつめた獲物を甚振る前の猫のような怪しい光。歩子はぞっとした。

 恐ろしいまでの変貌具合ねこかぶりもそうだが、ここにきてまた和花さまのご機嫌を損ねてしまったようなのだ。


 看護師のいる前でいったい何を言うことか――



「――そういう訳だから、歩子さん? 悪いけど、今日はもう帰ってもらえる?」



 そして二度と私の前に姿を現さないでくれる? と、歩子にだけ聞こえる棘のある声。


 本気で蔑むような目を向けられ、一瞬気圧されるが、それよりも彼女の雰囲気の変化に驚かされた。


「ある……歩子さん、今日はもうお暇いたしましょう」


 綾野でさえ切り替えに若干のラグがあったというのに、和花の変貌たるや、猫かぶり歴の相当な長さが窺えた。


 こうなってはもう、たぶんまともに話すことは出来ないだろう。


 仕方なく、歩子は綾野ともども引き上げることにした。



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