第13話 花のように可憐で、猫をかぶったような可愛く(2)




「言われなくちゃ気付かなかったわ――」


 吐息混じりにつぶやかれる声は目の前にある美脚の主のものだ。今、彼女はいったいどんな表情で自分を見ているのか、顔を上げようという気力が萎えていく。


「技術もあるんでしょうけど、もともとの顔立ちとか体格が良くないと、女の子の許容範囲内に仕上げられないわよね、これ。まあ、さっきの声は完全に男のものだったけど」


「驚いててもキャラがブレないワカさまは素敵ですけど、今のはちょっとやりすぎですわ」


「やり過ぎも何も、この格好で学園に入った不届き者なんでしょう? なら成敗しなくちゃ」


 鈴を転がすよう、という表現がどういった声音を指すのか分からないが、そんな言葉がふと思い浮かぶような笑い声だった。実に楽しげで、笑いながら人を刺しても不思議じゃない残忍性がそこにある。



「仮にほんとに女の子なら、ワカさまは土下座でもして謝ったのかしら?」



「――はっ。言われたら気付く程度の女装だよ? そんなのありえないから」



 歩子あるこは思わず顔を上げそうになった。


「ぐ……」


 ところが、歩子の頭を温かな感触が押さえつける。

 

 ――足だ。



「で? 何? はこいつをどうしたいわけ? わざわざ私のとこまで連れてきちゃってさ」



 無理やり床に膝をつかされた格好のまま足の裏で頭を撫でられながら、歩子は気が動転しそうな想いだった。


 突然の状況の変化に思考が追いつかない。心臓がばくばく音を立てる。

 それでもなんとか耳を澄ませた。少しでも何が起こっているのか、状況を把握したかった。


 頭上から響く声。ベッドの上に腰掛ける彼女はまるで女王様。

 声は違わないが、口調は若干違う。そして何より、その醸し出す雰囲気が異なる。

 この部屋に自分の知らない第三者がいるかのような気さえした。


(な、何なんだよ……? 深窓の令嬢どこいった……!?)


 さっきまでの優しくて守ってあげたくなるような女の子は、こうやってひとを足蹴になんかしたりしない。


「とりあえず、ワカさま。幼馴染みの惨状をスルーして話を続けるのはさすがに忍びないですわ。解放してくださらない?」


「じゃあ代わりに、もう二度と私の前に現れないでくれる?」


「それは約束できないけれど、あるくを解放してもらわないことには話が進みませんし、わたくしが帰ることもないですわ」


「……とは言うけど、これってむしろご褒美なんじゃない? ほら、だって起き上がろうと思えば普通に出来るでしょ? それなのにしないってことは、ねえ?」


 和花わかの爪先が背筋をなぞるように滑る。制服の薄い布地越しに爪で引っかかれ、思わず声が漏れそうになった。


「何も言えないの?」


 踵で肩甲骨のあたりをとんとんと叩かれ、マッサージでもされているような心地よさを覚えて力が抜ける。



綾野あやのの幼馴染みって、とんだ変態だね」


 

 ペットを愛でるような慈愛を感じさせながらも嘲笑う、それはまさしく嗜虐的な行い。

 ただ、歩子はそれに打ち震える自分を隠すために這いつくばっているのではない。


「……いや、その、なんていうか、紳士的な俺としては顔を上げるのが躊躇われるとうか――」


「?」


 和花だけでなく綾野も困惑している気配が伝わってきた。

 歩子は恐る恐る、上目遣いになりながら少しだけ顔を上げる。

 肩に載っている和花の脚を頬に感じながら、その根元の方へ、太腿に視線を滑らせた。


 するとどうだろう。


 この、ベッド脇に膝をついている歩子の目線からだと、ちょうどベッドに腰掛ける和花の腰のあたりが目に入るのだ。

 裾口の広いハーフパンツから、だいぶきわどいところまで視界に収まってしまう。

 具体的にいえば、空色をしてらっしゃるのだ。



「ラッキースケベとして受け入れるには、やや能動的かなぁと、躊躇われてしまうわけで」



「~~っ!?」



「痛ぁっ!?」



 歩子が肩を蹴り飛ばされ仰け反ると、和花はすぐに膝を畳んで抱き寄せ、いわゆる体育座りのような格好になりながらも、女子がスカートを押さえる時にそうするように片手をハーフパンツの裾口に押し当てた。


(しかし、まあ……眼福です)


 顔を真っ赤にして目を見開き、こちらを凝視している和花の可愛いことといったら。

 表情がだらしなく綻ぶのを抑えられない。

 そうやってにやにやしていると、横合いから、


「さすが歩ですわ、まさか会って早々ワカさまをデレさせるなんて!」


「デレてない! 死ね! ていうか出てけ変態ども!」


「あら。ワカさま、病院でそんな大声出したら何事かと思われますわよ? ふだんワカさまがわたくしに言ってることですわよ? おほほ」


「っっっ」


 ぐぬぬぬ、という音が聞こえてきそうな表情で綾野を睨む和花。

 至福から一転し、歩子はただただ戸惑うばかりだ。

 顔を上げて和花を見てみれば、あの病弱少女の面影はどこにもない。さっきまでよりも表情豊かで、親しみやすそうでありながらもどこか距離を置いた微笑とは決定的に異なるものがある。


 素直な感情が、それこそ顔を覗かせているかのようだ。


「えーっと……綾野さん? あの……?」


 戸惑いつつ、この状況を説明してくれそうな幼馴染みを振り返る。


「俺は急激なキャラの変わりようについていけてないんだけど……紹介してもらえますかね? この方はどちら様で……?」


「ん? そういえばそうでしたわね、勝手に話すすめてましたけど」


 そう言って綾野は、めちゃくちゃ嫌そうな顔をしている少女を紹介してくれた。



「この子は霧開きりひら和花。わたくしのクラスメイトであり、そして――親友と書いて〝とも〟と読む感じの、わたくしの親友ともだちですわ」



「それはあなたの空想上のお友達なので実在の人物すなわち私とは一切関係ありません。以上」



「……何なんだ、この二人……」


 本当に親友ともだちなのかと疑ってしまうほど、霧開和花はめちゃくちゃ嫌そうな表情でそっぽを向いている。


 綾野はそれをまったく気にする素振りも見せずに、


「ワカさまは、初対面の相手には人見知りしてつい猫かぶっちゃう、素直になれない系の可愛い困ったちゃんなのですわ」


「うるさいわ」


「〝猫かぶり〟を〝灰かぶり〟とかけて、みんなからは『シンデレラ』の愛称で呼ばれておりますの」


「そんな恥ずかしいあだ名は初めて聞いたわ。そもそも〝みんな〟って誰? 誰が私のこと呼ぶのよ。綾野の頭の中のお友達? やめてよね、巻き込むの。私まで怪電波受信してるように思われるでしょ」


 なんだろうこのふたり。本当に友達なのだろうかと歩子は綾野の言葉を疑いたくなる。


(まあ、ケンカするほど……って、パターンなのか? でも霧開さんの言う通り、最近の綾野は変なの受信してるからな……)


 綾野が勝手にそう思ってるだけという可能性を否めない自分がいた。


「――で? 用がないんならさっさと帰ってくれる?」


 なおも何か言い募ろうとする綾野を遮るように、和花はうんざりしたような顔でため息を漏らす。


「女装が趣味の彼氏でも紹介しにきたの? ――ふふっ、」


 と、嫌味を言ったかと思えば、和花は唐突に鼻で笑った。


「うわっ、この組み合わせ超ウケるかも」


「生憎ですけど、歩とはただの幼馴染みですわ。ねえ?」


「え? あ、あぁ、そう、うん」


 突然綾野に振られ、それとなく彼女の顔色を窺っていた歩子はとっさに反応が遅れて嘘くさい返事をしてしまう。


「……ふうん? まあなんでもいいけど、これから手術だから、用があるなら手短に済ませてくれない?」


「手術って……、」


 それにしては軽い感じだが、綾野が無反応なのを見るに厄介払いの常套句なのかもしれない。不謹慎な患者もいたものだ。


「わたくしはいつも通りお見舞いに来ただけですわ。歩はその手土産」


「おい」


「ほら、いつも手ぶらで来ると文句言ってましたでしょう? それから、歩は歩でワカさまに何か用があるみたいですわよ?」


「は? 何?」


「え? 俺?」


 揃って声を出してから、歩子と和花はお互いに顔を見合わせた。


「いや、なんであなたがそんな表情かおするのよ」


 ちょっといろいろあって本来の目的を忘れていた。


 今日こうして病院を訪れたのは綾野の口調の謎に迫るためだ。少なくとも当初はそうだった。


(それが綾野と出くわして……どうやら個人的な好奇心も満たせるらしいと分かった)


 せっかくだ。こうなったらもう聞けることはなんでも聞いて帰ろう。


 ……そうでもしなければ、割に合わない。



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