第11話 この物語のお姫様へ告ぐ
職員室に行ってくるわね――と、診察と処置を終えた養護教諭・
そして、用を済ませて帰ってきた。
その意味するところは。
「大丈夫かしら?」
カーテンが開き――白衣姿の、黒髪を短めのカールにしたきれいな女性が現れた。
歩子はとっさにタオルケットを引き寄せて体を隠した。
今更仕方ないとは分かっていても――こんな哀れな様を見ないでください。
「ふふ、隠さなくっても大丈夫よ」
そりゃあそうでしょうよ、と愚痴りたくなったが、ふとそのニュアンスが想像と異なるものであると気付いた。
それ以前に、咎めるような雰囲気もなく、泰観先生は裏を感じさせない穏やかな笑みを浮かべている。
というか、やや呆れたような――これはもう、間違いないのだが――
「私はあなたの〝事情〟を知ってるの、
歩子も思わず息を呑んだが、ベッド脇の
まるで同じ秘密を共有している共犯者のような連帯感を覚えたが、今回はあの夜とは何もかもが異なっている。
(この人、まさか――味方、なのか?)
学園内には協力者がいる。それはおじさんから事前に聞かされていた。
どういうコネによるものか知らないが、
考えてみれば学園内で何かあった時――今回のような目に遭った時など、保健室に運ばれれば正体が露見することは避けられない。それならなるほど、養護教諭の彼女が協力者なのは頷ける話だ。
どういう理由で協力してくれるのかは分からないが……。
(……買収されたのかな?)
なんにせよ、いっときはこれで学園生活も終わりかと思っていた分、押し寄せる安堵感もひとしおだった。
「え……? 何? どういうこと……?」
一方、事情を知らない暗藤は戸惑っていた。
「先生はこいつが変態女装男だって知ってたの……?」
「おい」
「変態かどうかはともかく、」
「あの……?」
「女装していることは知ってたわね。そうじゃなきゃ、何かあった時すぐに処置できないもの。というか、暗藤さんも知ってたのね……?」
「…………」
暗藤はほっとしたような困惑したような微妙な顔で歩子と泰観先生とを見比べてから、「ふう」と一つ息を吐いた。
「……驚いた、けど。でも考えてみたら、納得。先生たちも知ってたのね」
「全員が知ってる訳ではないけどね」
「じゃあ、先生はどうして職員室に……。こいつのこと、報告しにいってたんじゃ」
「どちらかというと、
その作業員……おじさんの安否(?)も気になるし、綾野とはそれからどうなったのかも気がかりだったが――
――先生公認なら、と。
事情を全て説明してもまだどこか不信感を抱いていた様子の暗藤が、ようやく心を開いてくれたのか。
「どうせ病院に行くんなら、ここに寄ってみたらいい。……私が教えたってことは、言わないでよ」
暗藤から渡された、一枚のメモ用紙。
どうやらそこに、
放課後――といっても目覚めた時にはもうそうだったのだが、ともあれ、歩子は怪我の検査がてらそのメモに記された場所へ向こうことにしたのだ。
■
『206 〝
その場所に向かうために乗ったバスで――
「…………」
「おほほ」
なんだその意味のないアピール。
綾野がどこまで把握しているのか知れない現状、うかつなことは口に出来ないし、今もって女装しているため、もし正体を知られているのなら下手な芝居は羞恥心を刺激するだけだ。
そのため無言を貫いているのだが、なんともいたたまれない。
バスの他の乗客がそれぞれお喋りしたり電話したりしているから、なんとか間のようなものはもっているのだが――
(それにしてもこいつ、どこに行くんだ……? まさか俺についてきた訳じゃないよな……? 順当に考えるなら、この――)
霧開、という人物に会いにいくのだろうか。
暗藤が渡したメモに記されているのは部屋の番号、それも恐らくは、病室の。きっとその人物は入院しているのだろう――
「怪我は」
と、不意に綾野が口を開いた。
「怪我はどうだったのかしら」
「……えっと、まあ、ぼちぼち……」
その詳しい検査をこれからしにいくのだが、泰観先生が言うには特になんてことはないだろう、とのこと。鼻に違和感はあるし後頭部は思い出すと痛みを感じるものの、特別心配するようなことはないと……思いたい。
「念のため、検査するくらい……」
外出するも含めて答えないのは不自然だし、かといって変に心配をあおって「じゃあ付き添ってあげますわ」なんてことになったら元も子もない。
検査はもちろんだが、この外出の一番の目的は――綾野の、その口調の謎を知ることだ。そのことを綾野に悟られる訳には――
(……ん? 別にいいのか? そんな「ザ・答え」ってほど分かりやすいものじゃないだろうし、ただ人に会うだけだろうし……。むしろ、どうせ一緒になるかもなんだから、この霧開さんって人について聞いといた方がいいか?)
彼氏だったらどうしよう、それはもう気まずいどころの話じゃなくなるんだが――などとつらつら考えて結局歩子が何も言えずにいると、
「話は変わりますけど、」
「は、はい……?」
何か来るか、とつい身構えてしまう。
「わたくしのお父様は、いわゆる仕事人間でしたわ」
「ほ、ほう……」
そういう話題は予想していなかったが、やはりそういうことになりましたか。
しかし、かたちはどうあれ好都合だ。
(俺の目的の一つは、綾野がおじさんのことをどう思ってるかを探ることでもあるからな……。俺としては、それがあの口調になった原因じゃないかとも考えてるし)
綾野はおじさんを敬遠するためにあえておかしな口調で振る舞ったのではないか、という仮説だ。あるいは、そうすることでなんとか親娘としての関係を築こうとする綾野なりのコミュニケーションなのではないか。
歩とおじさんが疎遠なら、綾野とおじさんは家族であるからこそ他人のような関係性だった。仲の良し悪し以前の問題で、歩はふたりが親娘として過ごしている光景を知らない。もしかすると例の録画映像が初めてかもしれない。その映像もどこか不自然で、綾野の口調を抜きにしてもたどたどしかった。
ないがしろにしていたというと言葉が悪いが、おじさんはこれまで積極的でなかった親娘関係の溝に直面している。仕事を辞め家で過ごす時間が増えたおじさんはなんとか綾野との時間を取り戻したいのだ。
たとえ綾野が寮生活を送っていて、学園を卒業すれば大学や就職のため一人暮らしをしたりと家を離れることになったとしても――いや、だからこそ、まだ修復のきく今のうちに開いてしまった距離を埋めたいのだろう。
たったふたりきりの、家族なんだから。
「わたくしの父は――家庭を顧みないたぐいの、仕事人間でしたわ」
改めて、そう告げる。
じわりと押し寄せる緊張を隠しながら、黙って綾野の声に耳を傾ける。
「母が臥せった時も……その、最期も。父はわたくしたちのそばにいなかった」
一番いてほしい時に、そばにいなかったのだと――
(綾野の気持ちは分かるんだけど、でも、おじさんだって家族のために働いてたんだしな……。というのは、男の思考なのかな。家族のための仕事ったって、その家族の大事な時にそばにいれないんじゃあ、な……)
いろいろと、複雑な心境だ。
その当時の綾野のことをよく知っているからこそ――その当時のおじさんの状況や想いを聞いたからこそ。
何も言えない今の自分が少しだけもどかしい。
「けど、母はそんな父を恨んだりしなかった。だから、いっそ嫌えてしまえれば楽なのに、わたくしは複雑ですわ」
綾野も知っているのだろうか。
その当時、おじさんの会社が危うい状況にあったことや、それでも激務の間を縫ってなんとかおばさんのお見舞いに訪れていたことを――。
ついてなかったと、おじさんは言っていた。
「ついてなかったんだって、母は言っていたわ」
しかしその時がなければ、今頃綾野はこうしてお嬢様学校を経由するバスに乗ってはいなかっただろう。
「それでも父は頑張って勝って、未来に繋ぐんだと――今に繋いでみせたから、私も文句は言えなくて」
そう言って綾野は苦笑した。
「お父様のせいで、申し訳ないことをしたわね」
あぁ――そうか。
「……まあ、あれは事故だから」
ひとまず、悪い方向に転がらなくて良かったと。
今は、そういうことにしておこう。
■
バスは病院前に停まり、歩子と綾野は二人揃ってそこで降りた。
やはり綾野も綾野で、病院に用事があるらしい。
「友人のお見舞いですわ」
「友人って……、」
結局バスの中では話せなかったが、カードを切るならここかもしれない。
問題はどう自然に切り出すか、だ。
歩子はそっと息をついてから、
「もしかして、〝霧開さん〟のこと?」
暗藤によれば、その人物が綾野のお嬢様口調の原因らしい。だがそれを直接訊くわけにもいかない。
歩子はそれとなく綾野の様子を窺う。彼女の反応次第によって、どう踏み込むかを考えなければならない。
「? 知ってるのかしら?」
綾野は少しだけ驚いてみせたが、すぐに何か察したのか、「あぁ、暗藤さんね」と頷いた。歩子は綾野に不信感を抱かれる前に言葉を続ける。進み方は決まった。
「この前、小耳に挟んだんだけど……〝13号室の呪い〟の話。それがちょっと気になって……。そのことを暗藤さんに話したら、このメモをくれたの。知りたいなら自分で聞いてこいって」
霧開という人物と暗藤の件が関係している確証はなかったが、綾野の反応を見て何かしらの繋がりがあると踏んだ。
(それに例の怪談には〝病気になって休学した子〟がいるらしい。この霧開さんも学園の生徒だとすれば……
となれば、呪いの影響で休学した子に話を聞きに行く……という口実で進もう。
うまく綾野の口から霧開について、そしてそこからお嬢様口調の謎について迫れればいいのだが――
(興味本位みたいに聞こえるし、相手はたぶん入院してるだろうから、それで綾野が気分を損ねたら困るとこだけど――)
そこは賭けだ。案外綾野なら乗ってくるかもしれないし、友人の古傷に触れるかもしれないことは許容できない可能性もある。
「…………」
綾野の様子を窺うと、珍しく難しい顔をしていた。
(やっぱり目的を告げるのは失敗だったか……? でも目的地は同じだし……)
しばらくしてから、
「……暗藤さんがそのメモを寄越したっていうのなら」
ということは……?
「行きますわよ。どうせそのまま行ってもあの子には会えなかったでしょうし、園辺さんはついていますわね」
「え? あ、うん……?」
綾野が先に行くので、歩子は慌ててその後を追った。
通い慣れているのか綾野は迷う素振りも見せずに、確固たる足取りで院内に入り、階段を上り――
「あれ? 206って二階なんじゃ……」
「最近部屋を移ったのですわ。暗藤さんは知らないから、そのメモ通りに行っても会えずじまいだったでしょうね」
念のため、帰り際に206の病室もチェックしておこう。綾野がこちらを騙している可能性も否めない。疑りすぎか。性分だから仕方ない。
しかし辿り着いた三階の個室にはちゃんと、『霧開
「…………、」
その病室前で綾野はわずかに立ち止まり、ひっそりと深呼吸をする。それから簡単にノックすると綾野は返事も待たずドアを開き、歩子も綾野を追って恐る恐る病室に足を踏み入れた。
(個室か……あんまりいい思い出はないな)
ただの印象だが、子供の頃に覚えたそれはいつまでも頭にこびりついて離れない。
場所は違っても、病院はどこもやっぱり独特の、似通ったにおいがする。
「ワカさま、起きてるかしらー?」
「さま……?」
首を傾げつつ視線を向けた病室の奥、そのベッドに――彼女は座っていた。
(この子――、)
――知ってる。
「今日は転校生を連れてきたのですわ! このまえ話しましたわよね、うちのクラスに転校生が来たって。その子を早速連れてきましたわ!」
綾野はここにきて急にテンションを上げると、ベッドの端に腰掛ける少女に歩子を促した。
「紹介しますわ、こいつが――女装して学園に転入してきた、わたくしの幼馴染み、御園辺歩ですわ!」
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