第8話 初夜(4)そして、静寂




 とりあえず、ベッドの上でお互いに距離をとった。

 正座でもしたい気分だったがそうするとベッドの天板に頭がぶつかるので体育座りになって、暗闇の中で歩子あるこ暗藤あんどうと向き合う。


 正直何もかも放り出してシャワーかトイレに行きたいところだったのだが――


「う、動くなよ……? 声も出すな? こっちにはこれがあるんだからな……」


 さながら人質のように、片手に持った暗藤の携帯電話ガラケーをちらつかせる。


 暗藤の弱味だ。


「…………」


 ベッドの隅で膝を抱えてこちらを睨む(前髪に隠れて見えないがたぶん睨んでいる)暗藤は何も言わない。今すぐにでも部屋を出るか、洗面所に立てこもるかしそうなイメージだったのだが、お嬢様とはいえ女子高生、やはり携帯は命の次に大事なのだろう。


(まあ、意味合いは他と違うかもしれないけど……)


 ……正直なところ、こんな駆け引きじみたことをしているような心境ではないのだが、全部出して逆にすっきりしたのか、今やもう恥も外聞もへったくれもない。こうなったらもう自棄だ。


 再三言うが正直もう死んでしまいたいくらいなのだが――まだ、なんとかなる。たぶんだけど恐らくなのだがもしかするとこれは楽観的な希望的観測にはなるのでしょうけども――全ては歩子の服の中で起こった出来事だ。案外暗藤には何も気付かれていないかもしれない。


 それでも事実としてそれは起こり、その事実に歩子は――いや、一人の男として、御園辺みそのべあるくは強い羞恥心と自己嫌悪に襲われているのだが。


「ええい……!」


 それが言い訳になるかどうかはともかく――歩子は、暗藤の携帯を開いた。暗藤がとっさに動こうとするが、それを歩子は片手で制す。いやそうしなくても暗藤は近づかなかった。何かを思い出したかのようにハッと固まり、委縮するようにベッドの隅で丸くなる。


 その姿とこれから自分がやろうとしていることに後ろめたさとか罪悪感とかいろいろあるものの、


(全部お前が悪い)


 責任転嫁するように――暗藤の携帯を確認する。

 これがスマートフォンであればいろいろ問題もあったが、暗藤のそれはいわゆるガラケー、パスワードなしで操作可能だ。


(この子は誰だ……?)


 まず目に入ったのは待ち受け画面、そこに表示された壁紙――写真だ。

 それは少し離れたところから撮られたと思われる、見知らぬ少女の横顔だった。

 伏し目がちで、何かを見て柔らかく微笑んでいる――


(ヤバいとは思ってたけど、これたぶん盗撮だよな? 美人だけど、女の子の写真を待ち受けにしてるんだしやっぱ〝ガチ〟か……)


 先ほど見かけたのもこの写真だ。この横顔が希望を、全てを良い方向へ進める策を授けてくれた。歩子にとっての幸運の女神。勝利の女神といってもいい。実際女神のように微笑んでいる。可愛い。


(まあ暗藤さんの性癖はさておくとしても、だ――)


 ひとの携帯を覗いている理由は他にある。

 スマホに慣れていてガラケーの操作が覚束ないものの――


(この携帯はきっと、俺にとっての〝切り札〟になる……)


 その確証が得られれば、今夜の一連の騒動に対する口封じになるはずだ。


 見回りの先生が来た時、暗藤は助けを求めようと思えば出来たはずだ。危うく貞操の危機に陥っていたにもかかわらず、彼女がそうしなかったのは。

 そもそも、そうなった原因である彼女の〝夜這い〟の理由は。


(13号室の噂……呪い、金縛り。挙動不審になったり病気になったり……)


 具体的に何があったにしろ、この部屋の住人はみんな学校を去っていったという。

 どこまでが真実かはさておくにしても、その原因が暗藤灯であることはもはや間違いないだろう。


 そして――だとするならば。


(携帯を持ち込んだのは照明にするためだけじゃない――)


 試しに開いた画像フォルダには――まるで、アダルトサイトのような写真が並んでいた。

 ぎりぎり未成年でも閲覧できそうなレベルの、アイドルのグラビアと言い訳できるかどうかという種類の――写真の数々。


(なんとなく、想像はしてたけど――弱味を握ったんじゃなく、つくったのか)


 彼女が歩子に対してしたことを鑑みれば、おのずと答えは見えていた。


 しかし、想像こそついてはいたが、さすがにありえないと頭の片隅では疑問を覚えていた。雑誌記者みたいにルームメイトにつきまとって、相手の弱味となるスクープ写真を手に入れ脅迫――よくてこういうところだろう、と。

 それがまさか、ルームメイトの寝こみを襲って、歩子にしたように拘束し服を脱がせ、恥ずかしい写真を撮っていたとは。


(ネットに晒すとか脅して……部屋から追い出したのか? そりゃあ体を壊して病気になったり、嫌になって転校とか退学する子も出るよな)


 下手したら歩子も写真を撮られ……歩子の場合それが男である証拠写真となっていた。暗藤もさすがに歩子が男だと知って戸惑ったのだろう。撮影されてすぐに削除してやったが。


(俺も首絞められてたし、最初は嫌がらせとか怪奇現象めいたことで怖がらせて、それでも出ていかないなら……ってことかな。まだ良心的というべきか、なんというか)


 追い出すことが目的だったのか、単なる暗藤ともる個人の趣味なのか、それとも他に理由があるのか――気にはなるものの、肝心なのはそこではない。


 今、重要なのは――これが、暗藤灯に対して対等な立場をとるための〝武器〟であるということ。


 そろそろ、〝交渉〟を始めよう。


 ……いい加減、この微妙な空気も、怨霊よろしく恨めし気な視線を寄こす暗藤との対峙もつらくなってきた。お互いのためにも、さっさと決着をつけて就寝だ。


「暗藤さん、私と――いや、俺と、取り引きしないか」


 男だと知られてしまった以上、暗藤の前で〝歩子〟を演じ続けるのは羞恥心との戦いになる。ここはあえて素の口調に戻り、こちらの立場が上であることを意識させるためにも高圧的な態度で臨もう。


「俺は君が前のルームメイトたちにしたこと、その証拠を持ってる」


 あの写真を見て、暗藤のこれまでの行動を分析したことにより訪れた閃き。運の要素は多分にあるが、それさえ実力とするなら、この証拠は自分の力で勝ち取った〝武器〟だろう。

 ただし、この携帯に収められている写真で誰かを傷つけるような真似はしない。この〝武器〟は自分の身を守るために振るう。


「俺の言うことをなんでも聞けとは言わない。ただ、俺が男だってことを黙ってくれるだけでいい」


「……学校内に変質者がいることを、隠せって? それは私の良心に反する」


 初めてまともに口をきいたかと思えば、笑わせてくれる。


「何が良心だよ。こんなことするやつに言われたくないね。俺は別に下心があって女装してるんじゃない。崇高な目的のもとに潜入してるんだ」


 下心がなければそもそもこんなこと請け負おうとも思わなかったが、暗藤のように強引な真似はしてないし、するつもりもない。というか恐ろしくて出来ない。


 ……まあ、時と場合による、としか今の歩には言えないのだが。



「いいか? 俺のことバラしたら、この学園に未来はないぞ?」



 さすがにこれは言い過ぎか。というか学園の未来なんて彼女みたいなサイコパスは興味ないか――と、思いきや、



「…………」



 気のせいかもしれないが、こころなしか、彼女の態度に変化があったような……。


「?」


 学園に男子が紛れていたことによる風評被害が自分にも及ぶかもしれないという保身だろうか。サイコパスならありうるかもしれない。


 ともあれ、


「ほんと、黙ってくれてたら、それでいいから――もしも何か事件が起こったら、その時は今日のことを誰かにチクってもいい」


 自分を戒めるためにも、そう告げておく。


「この携帯は、保険だ。君が俺のこと……今夜のことを誰かに話せば、俺はこの携帯の中身を晒す。お互いの社会的地位を守るためにも、ここは穏便に済ませようぜ?」


 暗藤はしばらく答えなかった。

 歩は携帯を構えたまま、その返答を待つ。


 闇の中、静かに睨み合っていた。



「ひとつ」



 やがて、彼女が口を開く。



「……条件がある」



 しばらくの沈黙を挟んでから、暗藤は口を開いた。


 闇と髪に隠れ、その表情は窺えないが――それは、膠着したこの状況を動かす希望だった。



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