第7話 初夜(3)荒波に揉まれる




 ――昔から、絶体絶命の逆境を思いもよらぬ策で乗り切る物語が好きだった。


 そのため御園辺みそのべあるくは普段から他人の行動を観察し、その目的や理由を考えるくせがついていた。


 しかしそうしていても、何かあった時、その盤面をひっくり返すような名案なんてそうそう浮かぶわけもなく。


 出来てせいぜい逆転の一手。どうにかこうにか切り返す程度の、考える時間さえあれば誰にでも思いつくものだ。


 ただし、それが必要な時、必要な状況で思いつけるかはまた別の話である。




                   ■




 突然の足音、その正体に歩子は気付く。



(見回りか……!? ここ寮だもんなぁ……!)



 疑問が氷解するなんて生易しいものじゃない。ダイナマイトで弾け飛ぶ勢いで頭の中に閃きが訪れた。


(時間を気にしてたのはこれが理由か! 消灯前にも見回ってたけど、聞いた話じゃ夜中も廻ってるとか! なんでも以前、寮を抜け出して男子と会ってた子がいたとかなんとか!)


 そしてこの夜の見回りを行っているのは、男性嫌いで知られる先生だとか。


(マズいマズい、マズい……!)


 形勢逆転から一転、またも逆境だ。



(ここでこいつに騒がれたら終わりだ……!)



 こちらに顔を向けた暗藤あんどうの口を慌てて塞ぎ、片手で彼女の両腕を掴みその頭の上で押さえつける。足の方もなんとか出来そうだが、それでも歩子あるこの焦りは消えない。


 見回りの先生は先ほど歩子の起こした騒ぎを聞きつけてこの部屋に向かっているのだろうか?

 不覚にも暗藤に見惚れていて接近に気付けなかった。足音はもう歩子の耳にも聞こえるほどの距離にまで迫っていた。いや、聞こえない。止まっている。ドアの前。恐らく中の様子に聞き耳を立てている――


(どうするこれ絶対絶命だ、さっきよりも酷い!)


 先生は扉を開くかもしれない。いや間違いなく開く。なぜならこの部屋には鍵がかかっていない。というより、寮室のドアには鍵そのものがないのだ。あれば今頃歩子は暗藤に締め出されていてもおかしくない。


 開かれれば、一巻の終わり――ひと目見れば誰でも分かる、現行犯逮捕だ。この際女装がどうのという話は関係ない。状況からして問い詰められるし、そうなれば必然的に発覚する。


 まるで未来が閉ざされたかのように、視界が薄暗くなった。

 絶望に覆われる。



 終わった――と、思いかけた。



(あ……?)



 ふと、ことがきっかけだった。



 暗藤の横顔を照らす携帯の照明が操作されないまま放置されたことで光度を落としたのだ。

 思わずそちらに目をやって――


(ははは……! まだいける……!)


 今後の明暗を分かつ、一か八かの可能性。

 歩子は己の全てをその名案に賭けた。




                   ■




「おい、何かあったのか? 入るぞ――」



 と、数回のノックに反応がなかったからか、ドアを開く音が聞こえてきた。


 薄目越しに光を感じた。懐中電灯でも使っているのだろう。

 光はまずベッドの下段、仰向けに眠る歩子に向けられた。眩しさにまぶたを動かさないよう必死に堪えた。


 それから、光は上へ移動する。


 上段――暗藤のベッドだ。

 光は今、そちらに向けられているようだった。


(そろそろ――、)


 歩子はあえて自ら踵でベッドの床を叩く。すぐに光が向けられるが、逃れるように寝返りを打って背を向けた。


(……ふう)


 まだ危機は脱していないものの、少しだけ安堵を覚える。

 あとは先の騒音の正体が歩子の寝相の悪さが原因だと判断してくれれば、この場は乗り切ることが出来るはずだ。



(頼む、出てってくれ……!)



 祈りを込め、そして息を潜め耳を澄ませた。



「 …………、 」



 微かな吐息。寝ているこちらを気遣ってか静かな足音、寮室のドアが開き、そっと音もなく閉じられる気配――立ち去る足音を数える。



 一歩、二歩、三歩……、



「勝った……!」



 万感の想いが口からこぼれた。


 立っていたらきっとその場に倒れこんでいただろうが、今の歩子はベッドの上だ。横になっている。脱力する代わりに、勝利を噛み締めるように腕の中の少女を抱きしめた。


 一か八かの賭けに勝ったのだから、喜びも安堵もひとしおだ。


 と、一息つく前に、



「ちょっとッ、先生いったんだからもういいでしょっ!」



 暗藤が歩子の拘束から逃れようともがく。


「誰が放すか」


 現在、暗藤は歩子の腕の中にいる。


 あの状況で暗藤をベッド上段に帰す余裕はなかったため、歩子は見回りの先生をやり過ごす策として、暗藤をそのまま掛け布団の中に潜ませることにしたのだ。

 恐らくだが、暗藤もいざという時そうしてやり過ごそうとわざわざ掛け布団をかぶっていたのだろう。別にホラーを意識した訳でもあるまい。


 とはいえ、暗藤がどれだけ歩子に密着しても、人がふたりもいれば不自然に布団は膨れてしまう。


 幸い、ベッドの両サイドにある柵が高く一見すると気づかれないものの、歩子は念のため枕を折って二重にし頭の位置を高くすることで、布団が膨れているのではなくそもそも身体がそのあたりまであるよう、柵に隠れたベッドの床自体が傍目に見るより高いように細工した。


 問題は暗藤不在のベッド上段だが、これはほとんど運任せだった。

 見回りや掛け布団の件もあるし、暗藤はこうした夜這いに手馴れている――おそらくこれまでのルームメイトたちにも同様のことをしてきたのだろうから、そのへんの対策も万全だろうと踏んだのだ。

 実際、先生が来ても声を上げずこちらに協力の意思を見せていた。それはこちらが彼女の〝弱味〟を握っていたからかもしれないが、それはともかく。

 ベッドの方は布団に抱き枕でも仕込んでいたのか、案の定、先生は不審に思わず見過ごしたようだった。


 それから、上段をなるべく観察されないようにとタイミングを見計らって踵を鳴らして注意を引き、騒音の正体を誤解させることに成功した。

 その後は拘束も兼ねて暗藤を抱きしめたまま寝返りを打ち、どうにかこうにか今に至る。


 緊急事態とはいえ正直、女の子とこうも密着し続けることには思うこともあったが――


「あっ、こらっ、暴れるな……!」


 声は意識的に抑えてはいるが、歩子の内心はこれまでになく切羽詰っていた。


 自分で招いたことではあるが――胸のあたりにある暗藤の頭、薄いシャツ越しに感じる柔らかさと体温は、ちょうど歩子の下腹部のあたりを前後する。


 緊張の瞬間を経たというのに――いや、だからこそ、あるいは乗り越えたことがよけいに影響しているのか――暗藤が拘束を逃れようとすればするほどに。


「待ってっ、暗藤さ、擦……、」


 いっそ暗藤を放しまえばいいのだが、まだそうするには懸念があって……なんて躊躇しているうちに――


「何……? 硬い――?」


 暗藤がハッとなって硬直した時にはもう、時すでに遅く。



(……死にたい)



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