第6話 初夜(2)寄せては返す
(――終わってたまるかぁああああああ!)
――お前、男……?
致命的な
しかし――
体の上で馬乗りになった
白い掛け布団を頭から被り、携帯電話のディスプレイに顔を下から照らされた彼女はさながら月夜に佇むヴェール姿の花嫁のよう……に見えなくもない。
ただ、彼女をいくら美化したとしても、その長すぎる前髪がホラーテイストを醸しているし、現実は変わらない。天使のような優しさで全てを許してくれるはずもない。
女装している――男だと、見破られてしまった。
この事実はもはや覆せそうにない。
(終わるのか……? こんなところで? まだ女子の生着替えも目にしていないっていうのに……? いやまあ女装してる都合上さすがに同じ更衣室で着替えるのはリスク高すぎるから今のところ拝むあてはなかったけども、それでも!)
それ以前に、女装が発覚するということはつまり――
(社会的に終わる……。ミッションを果たせないだけじゃない、俺はこれから先、お嬢様学校に女装して侵入した変質者の烙印を押されて生きていくんだ……)
具体的にどのような制裁が待っているかは分からないし知りたくもないが、おじさんいわく、学校側もこのような不祥事は隠ぺいするだろうから大事にはならない、とのこと。
ただし、発覚した状況にもよる。
一生徒が教師に告げ口した場合、おじさんの言うような隠ぺいが行われ、他の生徒たちにも知られることなく退場できるだろう。
(だけどこのクレイジー暗藤さんがみんなのいる前で暴露したら……?)
噂は広がり、収拾がつかなくなる。お嬢様学校とはいえ現代社会の一部、今日はあんなに仲良くしてくれた彼女らも、SNS等を通して学外の家族や友人にことの詳細を面白おかしく脚色して伝えるかもしれない。
(おまけに
しかし――ここまで考えて、まだ自分に希望がないわけではないことに気付かされる。
(そうだ、こいつを黙らせればいい)
混乱と絶望を経て、失敗した先を見据え――目的を見定める。
一か八かでも、勝ち目がないわけじゃない。
それならそこに賭けようじゃないか。
後がないからこそ、スリルがあって面白い。
そして、後先気にせず全力になれる。
(まずは――腕)
両手の拘束は簡単に解けるものではないが、先ほど暴れたお陰か多少は緩くなっているように感じる。頑張れば片手くらい抜けそうで、片方通ればだいぶ余裕が生まれるだろう。
問題は、暗藤に気付かれずにどうやって拘束を逃れるか、だ。
ひとの寝込みを襲ったりとやることが大胆なようでいて、その実、暗藤はとても慎重だ。この腕の拘束や胴体の固定といい、だいぶ手馴れているように見える。
そんな彼女の隙をつくのは容易なことではない。隙といえば男だと発覚したあの瞬間こそまさに絶好のタイミングだったが……。
(暗藤さんは〝ガチ〟だ。俺という美少女の寝込みを襲うくらいにヤバい。だから俺が男だと分かれば諦めて退くはず……。せめて喋れたら、もっと穏便に話し合いで解決できそうなのに)
そうすれば自ら拘束を解いてくれるだろう。案外男であることも黙っていてくれるかもしれない……というのはいささか楽観がすぎるか。
(しかし実際、暗藤さんは何もしてこない。戸惑ってるんだろ? だったらこのまま引いてくれ――、)
願いを込めて暗藤を見上げる。
暗藤は動かない。青白い肌が光に照らされ闇の中に浮き上がるようだ。しかしその前髪のせいで視線の向きは窺えなかった。
(――いや。そうか、こいつは俺を見て固まってるんじゃない、携帯だ)
暗藤がライト代わりにしている、
(もっといえば……時間か? 時間を気にしてる? 何かあるのか? 操作してる風には見えないし、実は黒幕がいてそいつからの指示待ちとかじゃあないよな。だったらなんだ?)
なんでもいい。とにもかくにも暗藤の注意は手にした携帯に向いている。今がチャンスだ。
「っ!」
歩子は死にもの狂いで身をよじった。暗藤がはっとしたように取り押さえにかかるが、そこに生じた一瞬の――男に触れることへの躊躇いを歩子は見逃さない。
(いっつぅ……ッ! 手首、痛っ、)
さすがに相手が男だと分かるとしがみつくにも抵抗があるのだろう。すぐには抑え込まれない。好機だ。
拘束から手首を引き抜こうとしながら、歩子は足をばたつかせた。踵がベッドを叩く。太ももを上から押さえつけられているため足首がぎりぎり動くといったところだが、それだけでも充分効果はあった。暗藤が重心をずらし、歩子の下半身を集中して拘束しようとする。騒ぎを止めるためだ。
(俺が騒いで人が来たら困るだろうから――)
歩子が暴れると、暗藤が抑え込もうと身を押し付ける、体重をかける。
下腹部を圧迫する暗藤の体温――血流が集まっていくのを感じる。
(……!?)
手首の関節が外れたのではないか、というような勢いで片手がすっぽ抜ける。これで腕を拘束していた輪に余裕ができ、もう片方の手も容易に引き抜けそうなのだが、
(ちょっ、まっ――)
声にならない声が上がる。
今が好機なので全力で暴れて逃げ出そうと、歩子の理性は身体を動かす。
その一方で、全力で逃がすまいと抑えにかかる暗藤がこちらにしがみつき、その身体が押し付けられ――自分の身体の、制御の出来ない部分が強い自己主張を始める。
暗藤は必死なのか、〝それ〟に気付かない。
なんとかそれを止めたい歩子だが――今朝からの我慢のせいもあってか、押し寄せる感覚の波に抗えない。
「く――」
不意に、暗藤が腰を浮かした。腕の拘束が解かれたことに気付いたらしい。歩子の腕を掴もうと手を伸ばすが、もう片方の手に携帯を握っていることが仇となった。
暗藤が伸ばした手をとっさに掴み、歩子はその手首を捻りあげる。そうしながら、空いた片手は彼女の腰に回した。そして全身を使って、互いの位置を入れ替える。
すぐさま暗藤がそうしたように彼女の上に馬乗りになって、彼女の両手首を掴みベッドに押し付けた。
まさしく言葉通り、形勢逆転だ。
「はぁ……はあ……、」
口を塞いでいたタオルを吐き捨て、ようやくまともに息を吸い込む。深呼吸できるほど落ち着いてはいられないが、何度も呼吸を繰り返す。辛いものでも食べたか、まるで火でも噴いているかのような熱い吐息、荒い呼吸。自分の中の熱が急速に引いていくのを感じる。
暗藤を抑えつける手の力は緩めないまま、最後に一度、ちゃんと深呼吸をする。よどんでいた体内が浄化されるかのような心地にさせられた。不思議と空気まで爽やかな匂いがして――
「……っ、」
思わず息をのんだ。
枕元に転がる暗藤の携帯。そのディスプレイの光に照らされ、闇の中に浮かび上がる透明な横顔。線が細く、顔立ちもまたシャープで儚さがある。わずかに見開かれた両の瞳は波立つ水面のようで、吐息の漏れる唇は淡い色合いをしていた。
長すぎる黒髪が白いシーツの上に広がっていて、顔の上にも流れる髪の毛が不思議な陰影を落としている――
歩子は眼前の、自分が押し倒し組み敷いている少女の素顔に目を奪われた。
(え? 何こいつ……? 誰……?)
一瞬、別人じゃないかと疑った。
というか、そもそも相手が暗藤だったという確証もない。
髪が長かったからそう思っただけで……。
「暗藤、さん……?」
見つめ合った時間はものの数秒か、それよりも短かった。
彼女は顔を背け、その先にあった携帯のディスプレイに目を細めた。
(こ、こういうのもギャップ萌えっていうのか……?)
思わず気が抜けそうになって、慌てて堪えた。このまま倒れ込むと、それこそマズい。
(なんでこいつ、こんなにきれいなんだよ――)
予期せぬその素顔に魅せられて、心が揺さぶられた。
不意に殴られた、というより胸倉を――心を掴まれたかのような。
そんな動揺が歩子に状況を思い出させる。
腕を押さえつけ、馬乗りになって暗藤を見下ろすこの状況を。
(完っ全に、犯罪者っていうか――、)
自制できずそうなってしまいそうなシチュエーションが出来上がっている。
夜の学生寮、二人きりの密室。この時間、誰も部屋を訪れることはないだろう。
――邪魔は来ない。
目の前には、女の子。園辺歩子の正体を――
――弱味を握るか?
「……っ」
――弱味は、今、つくることが出来る。
固唾を呑み込む。手のひらや額に汗を感じた。心臓が、全身が脈打つ。先の感覚を思い出す。体が、頭が熱くなる。ぎりぎりで踏みとどまったあの余韻が、
――――っ、
「!?」
鼓動が一段階あがって、メーターがぶっ壊れたかのように止まった。
音がしたのだ。
足音。学生寮の硬い床を踏みしめる、鋭く重みのある、そして連続した足音。
近付いている。いや、こちらに向かっている――!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます