第4話 ルームメイト




 一日が、終わろうとしている。


 ……いや、正確にいえばまだ夕方なのだが、放課後という学校一日の終わりは今の園辺そのべ歩子あるこにとって、集中と緊張を強いられる時間の終わりを意味している。


 保健室で一応の一休みをしたことで心も下の方も落ち着いたし、その後、教室に戻ってもごく普通にクラスメイトたちに溶け込むことが出来た。


 ボロが出ないよう、神経を研ぎ澄まし常に気が立ってはいたものの……母が昔のビデオテープを引っ張り出し、幼稚園や小学校の時の学芸会の映像を見せてくれたのを思い出した。俺は出来る子、俺は演技がうまい。何度も言い聞かせた。とても微笑ましい馬だった。幼い頃の綾野あやのもいたが、それはともかく。


 御園辺みそのべあるくは、「園辺歩子」という女の子を演じきったのだ。


 どっと疲れはしたが、一日やりきったという事実は今後の大きな自信に繋がる。


 女の子たちとお昼をご一緒する緊張感や、一応男子トイレもあるのだが女装してる都合上、女子トイレに入らざるを得ない背徳感も、初日だから刺激が強くはあったものの、時が経てば慣れるだろうレベルだ。問題ない。


 とりあえず、今のところは。


 今日は座学系の授業しかなかったが、今後は体育など、着替える機会も出てくるだろう。


 そう、体育――着替えはもちろんのこと、ペアを組んで準備運動をしたり、身体能力の面でも気を抜けば男だと露見しかねない。

 女子の着替えを堂々と覗けたり、汗を流す少女たちの姿を拝める絶好の機会ではあるが、相応のリスクも覚悟しなければ。


 最初に囲まれた時、「もしかしてスポーツとかやってた?」と訊ねられた。あれは体格に不信感を抱かれたからだろう。そこまで露骨な体つきはしていないつもりだが、もっと根本的に、男女の違いというやつが出ていたのかもしれない。病弱設定とも矛盾するし、今後似たようなことを指摘された場合の対応も考えておかなければならない。


 考えることはいっぱいだ。そして、それがいざという時に応用できるよう心に余裕をもっていなければならないだろう。


 ……大丈夫。

 俺はやれる。やれるが、それもともかく――


 今は。


(やっと……)


 クラス委員の輿美水こしみずに案内され、校舎を回り終えた。

 学生寮の設備やルールを教えてもらい、ようやく、自分の部屋に辿り着く。


「ここが園辺さんの部屋ね。……13号室――」


 部屋の前には事前に郵送した歩子の荷物が置かれている。段ボール箱ひとつ。大したものは入っていない。というかほとんど私物じゃない。逆に、ほぼ新品しか入っていないことに不信感を持たれないだろうか。そんな細かいことに気付ける俺、えらい。


 気付いたついでに、一つ聞いておこう。


「あの、輿美水さん……」


「……何?」


 ここまで淡々と、それでも親切にいろいろ案内してくれた彼女だが、呼びかけ振り返った今、一瞬だけ表情に険しさが差していた。


「えっと……」


 何かしただろうかと考えを巡らせながら、声の低さに気を付けつつ、


「この学校って、幽霊とか……出る?」


「幽霊?」


 我ながら間の抜けた質問だという自覚はあったが、それを受けた輿美水が本当に間の抜けた表情をしたので少し恥ずかしくなった。


 それから、輿美水はわずかに眉を顰める。


「誰かから、何か聞いたの?」


「え? えーっと……、」


 食堂で昼ご飯を頂いている時にちらっと耳にしたのもあるが、何より、保健室での一件が頭を離れない。

 あれはただの、歩子同様に保健室で休んでいる生徒だったようだが――


(ほら、ここ伝統と格式ある……っていう、要するに古い建物だし。学校見て回って改めて思ったけど――なんか、出そうだよな……)


 そういう雰囲気があるのだ。

 別にホラーなどが特別苦手という訳ではないのだが――やっぱり保健室で出くわした、髪の長いお化け(生徒)の印象が尾を引いているのだろう。


「特に、七不思議とか、そういう怪談はないけど……」


「?」


 まだ出会って一日だが、ここに来て初めて見せる表情だった。


 薄く、口元に浮かんだ意味深な笑み。


「この部屋、この学生寮の13号室には、ある噂があるの――」


「っ……」


 それだ、食堂で小耳に挟んだ――



「この部屋に入った生徒は、呪われるのよ」



 ぞくりと、具体的に何がホラーなんだか分からないものの、背筋に寒気が走った。


「前にこの部屋にいた子は、夜な夜な金縛りに襲われ、不眠症になったらしいわ。その前にいた子はある日を境に突然ひとが変わったようになって、毎日何かに怯えていたそうよ。その前にいた子なんて――」


「あ、もういいです」


 女の子というのはオカルト話が好きだというイメージがあったが、どうやら輿美水さんもそのたぐいだったらしい。お陰で自分でもいろいろと馬鹿らしくなってきて気が緩んだ。


「……そして、」


「?」


「最後にはみんな、この学園を去っていったわ」


「…………」


 最後だけやけに重いトーンで、真実味があった。


(えっと……仮に真に受けるとして――そんな部屋に俺、入るんですか?)


 ともあれ、あくまで噂話だ。現に輿美水も何事もなかったかのように、


「この荷物、運ぶの手伝いましょうか?」


「あ、いや……、」


 これくらいなんてことない、と段ボール箱を持ち上げて、


(は)


 はたと気付く。今のは女子的にマズかったか? 病弱キャラにはそれこそ荷が重い感じであるべきだったか?


 恐る恐る輿美水の顔色を窺うと、


「園辺さんって、けっこう――」


「こう見えてけっこう軽いんですのおほほほ……」


 実際持ち上げると顔まで隠す大きさこそしているものの、重そうなのは見た目だけで中には衣類くらい入っていない。女子でも簡単に持ち上げられる軽さだろう。


 しかし、輿美水さんはむっと顔をしかめる。何か不審がられたか、それとも今の反応はお気に召さなかったか。


 ともあれ深くは言及せず、両手の塞がった歩子に代わって輿美水が部屋のドアを開いてくれた。


「ど、どうも……」


 ですの、とか言いそうになって口をつぐんだ。あの口調は聞いていると伝染する。


(よっと……)


 荷物で前が見えないが、なんとか部屋の中に入る。新居――ではないか。とはいえ今日からここが俺の新しい部屋、と荷物を床に下ろし満面の笑みとともに顔を上げ、



「SADAKOぉ……っ!?」



 バケモノが立っていた。


 実は背中を向けているのではないかというほどに伸びた黒髪――しかし身体の向きは確かにこちら側で、つまりは胸や腕や膝や爪先などが前を向いている訳で、にもかかわらず、後ろ髪のごとく

 首がぐるりと百八十度回転したかのごときその姿!


 つまり



「……暗藤あんどうさん」



 と、輿美水さんの冷めた声。


 そう、暗藤さん――保健室でも聞いた、保健室でも出くわした妖怪だ。



 暗藤ともる――



『そういえば、園辺さんは13号室よね? さっきの……暗藤さんと相部屋だから、仲良くしてあげてね』



 ……と、保健室の泰観やすみ先生にも言われていた。


 相部屋――そう、この私立美知志みしるし学園高等部の学生寮は相部屋なのだ。


 つまり、ルームメイトがいる。

 それは事前に知っていたし、覚悟も決めていた。


 しかし、まさかそれが――いやそれも保健室で聞いてはいたのだが。


(だーがー……)


 こう、改めて実物を前にすると、いろいろと驚かされて心臓に悪い。


 それから、恐らくだが、たぶんさっき普通に男っぽい声が出ていた。それも取り繕わなければ――


「それじゃ」


 まるで何事もなかったかのように、輿美水は去っていく。

 支えを失ったドアがゆっくりと、歩子の後ろでばたんと閉じた。


「…………」


 不気味な少女と二人きりになる。

 部屋の真ん中に佇み、部屋着なのか裾の長い白い服を着ているし、猫背気味なためよけいに不気味に映る。


「えっと……こ、こんにちは……? あ、もうこんばんは、かなー……?」


「…………」


 ぷい、と。

 顔を背け、ぺたぺたと、壁際にある二段ベッドへ向かう。ぎしぎしなる梯子を上り、上の段へ。そのまま寝転がってしまい、部屋の玄関口に立つ歩子からその不気味な姿は見えなくなった。


(特に歓迎の挨拶もなかったが……)


 泰観先生いわく、


『暗藤さんは大人しくて無口な子だから』


 ……とのことらしいが、とりあえず荷物など好き勝手置いてもいいのだろうか。


 玄関に当たる場所でスリッパを脱ぎ、部屋に上がる。

 床はフローリングで、靴下のままだと滑りそうになる。段ボールを抱え直し、奥に進む。


 寮の部屋は簡素で、入ってすぐ奥の方にベランダが見える窓と、青いカーテン。右手の壁際には二段ベッドとクローゼット、少し中に入って、左手側には本棚と、机が二つ並んでいる。

 そして、事前に聞いていた通り、中に入って左手側に洗面所とトイレに続くドアがあった。これで学園潜入に備えて会得した「三分でそれっぽく見える女装メイク」も人知れず行えそうだ。ルームメイトに気兼ねなく着替えることが出来る。


(はて……これといって暗藤さんの私物は見当たらないが、奥の机が彼女のか? 鞄とかあるし。じゃあ手前の机を使わせてもらうとして……)


 段ボールをそこに置く。ベッドは下の段を使えばいいのだろうか。


 ふと、壁にかかったブラウンのブレザー、そして皺の少ないブラウスとスカートが目に入る。


(保健室で出くわしたけど……教室じゃ見なかったな? 違うクラスなのか?)


 まあそれはそれとして――


「…………」


 ちらりと見ると、暗藤さんは上段のベッドに寝転がり、足をふらふらとさせながら読書か何かしているようだ。こちらの様子など気にも留めていない。我関せずというか無関心というか、まるでいないもののように扱われている。

 前も後ろも長髪なので果たして仰向けなのかうつ伏せになっているのかも定かではないが――


(これでも一応、女の子……)


 深呼吸すると、胸いっぱいに吸い込まれる女の子の匂い――


(相部屋かぁ……)


 問題しかないが、つい顔がにやけてしまうのもまた事実。


(まあ、相手がこれなんですけどね。変なことするつもりもないんですけどね。なんかね……)


 ラノベの主人公ってこんな気分かな、それにしては下心出すぎかな、などと思いながら荷解きを進めて行く。



 ――この時の歩子は、思いもしていなかった。



 まさかこの夜、あんなことが起ころうとは。



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