第3話 保健室にてR15(推定)




「さっきのは我がクラスの委員長、輿美水こしみずさんですのよ。〝ミミズちゃん〟と呼ぶと怒られますわ」


 やや前かがみになりながら、園辺そのべ歩子あるこ高路こうじ綾野あやのに肩を担がれ廊下を歩く。


 廊下は静かだ。既に授業が始まっているせいもあるだろうが、そもそもの生徒数が歩のいた学校とは違うことも理由の一つだろう。

 近くにはほとんどひと気がなく、まるで綾野と二人きりのような気分になる。


 ドクドクと、心音というか血流というか、何かそんな感じの音が耳の奥で鳴り響いている。気分は優れない。だんだんと気持ち悪くなってきた。本気で吐きそうだ。


(元気になるドリンク……)


 どこがだ。下の方か。


(おじさんは学園の内情に詳しかったし……こうなるのが狙いだったのか?)


 綾野に連れられ、保健室を目指している現状。

 彼女が保健委員だと知っていて、こういう展開になるように仕向けたのだろうか。


 一方で、まるで二人きりになるように歩子を連れ出した綾野――


(こいつ……俺のことに気付いてる? だったら変に園辺さん演じるより打ち明けてしまった方が気が楽だけど……)


 しかし、仮に打ち明けたとして、綾野が実は何も気づいていなかったとしたら?


 ……いくら幼馴染みとはいえ、さすがに引かれるのでは……。


 万が一、女装の件が受け入れられたとしても――下の問題に関してはどうだ。これは絶対アウトだろう。歩子が……いや歩が女でもそう思う。今現在、自分自身が一番引いているくらいだ。


(俺は変態だったのか……。それとも何か、開いてはいけない扉に触れてしまったのか……。どっちにしても変態だ……)


 と、歩子が一人いろいろ悶々としてる横で、


「輿美水さんは初等部からの、いわゆる〝進級組〟。中等部や高等部に転校してきた〝途中編入組〟を目の仇にしてますわ。委員長だから学校の案内くらいしてくれるでしょうけど、何か問題でも起こせば残りの学園生活は惨憺たるものになりますわよ。園辺さんもお気を付けになって」


「へ、へえ……」


 やはり女子校だけあってグループとか派閥とかそういうものがあるのだろうか。

 やや現実に引き戻される。そんなグループに、歩子が女装してると知られたらどうなるだろう。勝手なイメージだが、女子のいじめは陰湿だ。これをネタに酷い目に遭うかもしれない。性的な嫌がらせなども考えられる。少女漫画にありがちなやつだ。健全な青少年(だと信じている)御園辺みそのべあるくにとってそれは苦痛以外の何ものでもない。


「わたくしも一応、中等部からの進級組ですけれど、輿美水さんからは目の仇にされてますわね。……おほほ、これだから庶民は、ですわ」


「…………」


 その口調が原因なんじゃないかと思うが。


(よくもまあそんな状況で……)


 なるほどおじさんが心配する訳だ。クラスの委員長ボスから目をつけられているようだし、もしかすると綾野はクラスでも浮いているのかもしれない。

 となるとますます謎である。彼女はいったいぜんたいどうして、そんな妙なキャラ変をしようと思ったのか。


 個人的にも興味があるし、仮にも幼馴染みとして心配するものの――


(現実というやつは、なかなかどうして……)


 肌と肌が触れ合いそうな……長袖のブレザーのせいでぎりぎり触れ合っていないこの状況。謎の液体のせいか妙な気持ちになっているのもある。が、それ以上に、ここまで濃密に接触しているとさすがにいろいろとマズいのではないかという焦燥に駆られて仕方ない。

 吊り橋効果というやつはこうして生まれるのかもしれないというほど、異様に心臓が脈動している。静かすぎる廊下で、この距離。胸の鼓動が綾野にも聞こえているのではないか。というか胸の入れ物に気付かれやしまいか。


 ぐるぐる、ぐるぐる。眩暈がしてくる。


(どうする……? どうすればいい……? この感じだとバレてない気もするし、分かった上で忠告してるのかも? バレたらバレたで――いやでもおじさん的にはなるべく知られたくないんだよな……? 俺だって幼馴染みに女装してるなんて知られたくないし、バレてないんならそれが好都合なわけで――)


 そうこう考えているうちに、保健室に辿り着く。


「こんこん、泰観やすみ先生ー、いらっしゃいますかしらー?」


 綾野が呼びかけると、保健室の中から「はーい」と女性の声が返ってくる。


(……保健室の先生……。触診とかされるとマズいのでは……!? というかそれ以前の問題では!?)


 ふと気づくのだが、その時には保健室のドアはすでに開いてしまっていた。


「いらっしゃい、どうしたの?」


 現れたのは、白衣を着た若い女性。こんなきれいな人になら……、なんて想いが一瞬よぎるも、同時に冷たい目で蔑まれることを想像して気持ちが沈んだ。こころなしか下の方も落ち着きを取り戻してきたような気もする。やはりこれは謎ドリンクの影響であって、自分が変態という訳ではないのかもしれない。少し元気になった。


「転校生の園辺さんですわ。体調が悪いらしいんですの」


「あらあらまあまあ」


 親戚のおばさんみたいな反応をしながら、上から下まで視線が巡る。歩子はとっさにブレザーの裾を引っ張った。スカートを押し上げるあれに気取られないよう祈りながら。


「中に入って? どこ? お腹が痛いの?」


「……あ、はい……」


 一瞬声につまるも、なんとか平常心を保って頷いた。どうやら、特に違和感は抱かれなかったようだ。


 綾野とともに保健室に入る。お嬢様学校とはいえ、内装は歩子も知るごく一般的な保健室だ。奥のベッドのカーテンが閉じていて、うっすらとシルエットが浮かんでいる。誰かいるのだろう。マガが開いているのか、かすかにカーテンが揺れていた。


「それじゃ、これ飲んで。はい、お水」


「?」


 痛み止めか胃腸薬か。特に触診などはされず、錠剤と水だけを渡された。実にあっさりしている。拍子抜けだ。


(ズル休みにきたと思われてる……? それとも――女子校だから? 女の子特有のあれだと思われたのか?)


 飲んでも大丈夫なのだろうかという一抹の不安を覚えたので、錠剤は口に入れたふりをした水だけ飲みこむ。眠気に襲われても困る。もう薬にはこりごりだ。もったいないが後で捨てておこう。


 しかしこれは、不幸中の幸いというか、思いもよらない幸運に恵まれた。


「少し休んでいく?」


 保健室にはベッドが三つあって、そのうちの一つを促される。隣に誰かいるようなので変なことは出来ないが、カーテンで隔離された空間で一人になれることが今はどんなにありがたいか。


(せめて下が落ち着くまで……)


 綾野がいる前で仰向けに寝るのは危険すぎるので、彼女に背を向けるように横になった。


「あ……、高路さんありがとう。しばらく休んでから……」


「ええ、それじゃお大事に」


 ――と、思いのほかあっさりと、綾野は保健室から去っていった。


 カーテンが閉じる。

 心に平穏が訪れた。


(想定外のトラブルがあった訳だけど……こんな調子で、これからやっていけるのか……?)


 不安がよぎる。


 一番の問題はさておくとしても、他にもいろいろと気がかりはある。


 お嬢様学校とはいえど、ここも高校だ。教師も含めて周りが女性ばかりというハーレムめいた環境であっても、毎日が恋愛イベントなんてそんな頭の悪いことはない。むしろその逆、まだ一時間も受けていないが、授業内容はさすがにレベルが高い。少なくとも歩の学校よりは進んでいる。

 とはいえ、歩子も転入試験をパスしてきた身だ。事前に問題を丸暗記したのもあるが、努力次第では追いつけないこともなさそうである。


(あとは……そう、生活面だな)


 この学園は全寮制で、当然ながら歩子も学生寮に入ることになっている。まだ部屋を見てはいないし、こちらも懸念があるのだが――それ以前に、歩子はこれまで、平日以外はほとんど自堕落といってもいい生活を送ってきた。寮生活というものに馴染めるだろうか。


 そして、休日も基本的にはこの学園の敷地内にいることになる。おはようからおやすみまで、いろんな場面で学園の生徒と顔をあわせるのだ。どんなところから男子であることが露見するか、まったく想像がつかない。


(一応……お嬢様っぽい所作その他を仕込まれてきたが、しょせんは焼け石に水だからな。今みたいな不意打ちのトラブルで〝地〟が出てきたら……)


 現実は、想像していたよりも問題が山積みだ。

 女の子を演じようとすれば、一挙手一投足はもちろん、言葉の端々まで常に気を配り気を遣わねばならない。

 その苦労は、きっと想像して余りある――


 後悔してももう遅いのだが、今からでも〝御園辺歩〟に戻れるだろうか?


 目の前にも暗い影がよぎる――


「……?」


 目の前を覆う白いカーテンに、何者かのシルエットが浮かび上がる。

 風にそよぎ生まれた隙間から、何かが、歩子を覗いている――



 長い、黒髪――ぎょろりと、瞳が光る。



(SADAKOぉおお――っ!?)



 絶句して声を上げなかったのが、それこそ不幸中の幸いだった。



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