第2話 初めましてのご挨拶




 園辺そのべ歩子あるこのお嬢様学校潜入、一日目――


(我が人生でいまだかつてあっただろうか――)


 自己紹介をしたホームルームの直後、何やら様子を窺うような視線をちらほらと感じ、歩子は気まずい時間を過ごした。

 隣の席の女の子に声をかけられはしたが、まだ社交辞令な感は否めない。

 果たして違和感なくクラスに、本物の女の子たちに受け入れられたかどうか――


(こんなにもたくさんの女子に――)


 授業が終わり休み時間になると、その戦果が自ずと明らかになった。



(――笑顔で囲まれるなんて……!)



 歩子の席に、女の子たちがやってきたのである。


「ねえ園辺さん前はどんな学校にいたの?」


「引っ越してきたのー?」


?」


 期待と不安がないまぜだったものの、彼女たちの反応に好感触を得る。

 これは――、


 ある女の子が、囁くようにたずねた。



?」



 ――勝った。

 特に最後の質問を受けて、今度こそ確信した。


 マスクの下に笑みを隠しながら、かすれた声を絞り出す。


「わ、わたし、前は共学に通っててー……、」


 母の再婚相手がお金持ちで、その新しい父親の仕事の都合で引っ越し、せっかくだからとこの学園に転入することに――という事前に決めてきた設定をなんとか話しているうちに、少しずつ舌も回るようになってきた。


「園辺さん大丈夫? 顔、赤いよ?」


「そ、そうかしら……?」


 女装していることへの羞恥からか、顔だけでなく全身が熱かった。初夏を過ぎた季節にもかかわらず長袖のブレザーなんて着ているせいかもしれないが。一方で下半身の方は普段と違ってすーすーと風通りが良くて困る。

 ともあれ、現状違和感なく受け入れられているようで安心だ。


(俺のキャラが定まってない感はあるものの……まあ、女子とこんなに話すのなんて小学生とかぶりだし。……いや、浮かれてませんよ? これは綾野についての情報収集の一環で――)


 心の中でおじさんに言い訳しながら、歩子は疑似的なモテ状態に浸る。

 とはいえ、ちゃんと仕事はしているつもりだ。


(聞いてる感じ、うちの学校の女子と口調に大差はない……)


 見た目の上でもそれほどの違いは見受けられないし、お嬢様とはいっても普通の女の子とそう変わらないようだ。

 それに、肝心の……ごきげんよう、おほほほ、いやでございますわ――みたいな台詞も特に聞こえてこない。例の口調で話す生徒は今のところ見当たらない。


 と、思っていた矢先に、



「ちょこぉっと、どいてくれますことー?」



 それっぽい台詞が、女の子たちの向こう側から飛んできた。


(いや、この声は……、)


 周りを押しのけるようにして、歩子の前に現れたのは――



「ごきげんよう、園辺歩子さん!」



 綾野あやのだ。

 高飛車な印象を受けるハイテンションな口調。演技がかったような甲高い声。

 例のお嬢様口調で喋る実物を前にすると、さすがにインパクトが違う。お上品じゃない、まさしく色モノだ。思わず面食らったが、それどころじゃなかった。


(わざわざフルネームで!? まさか気付かれ……、)


 歩子の胸中は焦燥に支配される。


 目の前にやってきた綾野はにっこりと微笑み、



「――初めまして。わたくしは高路こうじ綾野よ!」



 最初の一言に、思わずへたりこみそうになった。

 初めまして――つまり、初対面の相手だと認識されている?

 さすがに「幼馴染みの男子が女子校の中にいるはずがない」という常識フィルターによってすぐには気付かれないとは思うが――


「な、何か……な?」


 じぃっと……、見つめられている。


(こいつ……常識フィルターが作用してるとしても、あまり凝視されたらさすがにバレる――)


 何か違和感があるから、気になるから、だから歩子を観察しているのだろう。

 もしもその違和感の正体に気付き、あまつさえそれを思わず口に出してしまうようなことがあれば――これまで笑顔だった少女たちをもう直視することが出来なくなる。


 なんとかして気を逸らさなければと、歩子はそれとなく周囲に視線を巡らせた。


「…………」


 歩子は転入初日のためブレザーを着ているが、歩子の周りの少女たちはみんな夏服、つまり白いブラウス姿だ。

 周りが同性ばかりのためか……共学だった歩の学校の女子たちと違って、なんというか、みんな無防備だ。ブラウスのボタンはきちんと留められていないし、うっすらと下着が透けて見えていたりもする。


 ちょっとでも顔の角度を変えれば何か見えそうな――目に映る肌色率が高いせいか、さながら湯煙モザイクのように視界が白く染まる。マスクのせいで、吐き出す息がメガネのレンズを曇らせるのだ。それだけ呼吸が荒くなっているためだろう。


 不自然に思われないよう、時間を稼ぐためにもマスクを軽くずらしてみるのだが、そうすればどうだろう。今度はなんだかいい匂いが鼻をつく。香水ではないだろうからシャンプーとかそういうものか。なんにしても女の子の匂いであることには違いない。


「――――」


 緊張や羞恥のせいか、全身が熱い。鼓動が早まり呼吸は荒く――なんだこれ、血流が下半身に集中している。そんな感じがする。変な汗が出る。


(な……、)


 こんなことは初めてだ。

 歩子は現在、椅子に座っている。しかし立っている。何を言っているのか分からないかもしれないが、肉体的・概念的には座っているのだ。しかし同時に、立ってもいる――どこがとは言わないが、とても自己主張をしているのである。


 これは緊張や羞恥のせいじゃない。

 興奮しているのだ。


(俺が……? この状況に……?)


 確かに緊張スリルはある。今の自分を知人が見たらと思うと恥ずかしさで死にたくなるだろう。でもまさか、こんな公共の場で、そんなことで――



(俺は……変態だったのか……?)



 愕然とする。

 これでは名実ともに変質者になってしまうではないか。病弱なメガネキャラ路線を目指していたのに、今の俺はただの変態むっつりスケベ――



「……園辺さん?」



 周囲の声でハッと我に返る。


 こうしてはいられない。今でこそ机の下に隠れているからいいが、スラックスでなくスカートを穿いている現状、この激しすぎる主張は隠しきれない。

 何より、こんな状態で衆目に晒され続けるのは心臓に悪すぎる。


「ちょ、ちょっと……持病のあれが……」


 言い訳も苦しいが、下の方も苦しい。状況も芳しくない。


「次、移動教室よ」


 ……そんな声が聞こえてきた。この状況で立てと? もう立ってるが、それでも歩けと? 前かがみになってもスカートだと不自然さが拭えない。どうすればいい?


「ほら、みんな早く準備して」


 と――



「園辺さんも転校初日で大変なんだから、あんまり質問攻めにするものじゃないわ」



 凛とした声が女子たちの間から割って入る。


 見れば、フレームの細いメガネが良く似合う、いかにも優等生といった印象の少女がやってきた。

 制服も着崩れしてないし、髪も肩までの長さできれいに切り揃えている。生真面目そうな印象から「委員長かな」と思えば、彼女を「委員長」と呼ぶ声がして驚く。


 彼女の登場で周囲の少女たちが「園辺さん、またね」と言って離れて行く。歩子には彼女が天使のようにも思えたが、正体がバレたら真っ先にこの少女に刺されるのではないかと直感して肝が冷える。

 そんな感じの鋭い視線は歩子から、未だ机の前にいる綾野へと向けられた。


「高路さんも、早く仕度したらどう?」


「そうしたいところは山々なのだけど、」


 ちら、と綾野がこちらを見た。


「もしかしなくても園辺さん、体調が悪いんじゃない?」


「え……?」


 体調はすこぶる悪い。下は元気いっぱいな感じだが、今にも吐きたいくらい心情は最悪。


「ま、まあ、ちょっと……その、お腹の調子が……」


 トイレとか行きたい。


「初日だものね、緊張してお腹をこわしたのだわ」


「それじゃ、保健委員に――」


 と、委員長の子が言いかけて、口を閉ざす。その目は綾野を見て、気難しそうな顔をしていた。


「それじゃあ、保健委員のわたくしが連れていってさしあげるわ。行きましょうか、園辺さん?」


「……う、うん……」


 綾野に手を取られ、お腹をかかえるようにしながら前かがみになって立ち上がる。こんなに心は崖っぷちなのに、どうして下の方は今にも飛び立ちそうなほど勢いづいているのか。いくらなんでもおかしくないか。


(何か元気の出るものでも食べたか――)


 そういえば今朝、コーヒーのような何かを飲まされたが……まさか。


(おじさん……?)




                   ■




「――私だ」


 黒塗りの車の車内――双眼鏡片手に遠くを観察しつつ、男は電話に出る。


「あぁ、問題ない。〝例のあれ〟はちゃんと飲ませた。……しかし、その必要があったのかね。何か問題でも起きたら――いやまあ、それがないと信じて送り出したのだが」



『全ては学園のためですよ――そして、お互いの利益のためです』



 うふふ、と電話の相手は笑った。



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