紙の月

 口に出したことがないから、忘れてしまった言葉がある


 サイダーのように心に刺さって、

 日差しを透かしたラムネ瓶のように輝いていて、

 天の川のように夜を満たしていた言葉なのに。


 一筋の風が通り過ぎて、何処かへと運び去った。

 手の届かないほど遠くへ。

 空が終わるほど、彼方まで。

 


 したためた筈の便箋も、気がつけば無くしていた。

 ペンに注ぐモノクロな言葉さえも、零れてしまった。

 土曜日には必ず、雨が降る。

 そして縦書きの雫に濡れて、

 心がすべて、空っぽになる。

 夜が来る。






 何もない。






 孤独な午前三時

 街の片隅のミニシアターで見るレイトショー

 幼い夢と旋律が、物語に乗って小部屋を満たす

 

 微睡みの世界に、耐えきれずに飛び出した


 口に出したことがないから、忘れてしまった言葉がある

 大切だった筈なんだ

 そのためなら、何もかもを捧げてもいいくらいに


 抱えきれなかった思いが、空っぽだった身体を走らせる

 汗だくの身体を引きずって、夜の街をただ駆ける

 星が降る夜に溶けゆく空の箱

 削って壊して、深海のような底を探る




 もがいてあがいて、かたちを無くして触れたのは、

 くしゃくしゃに潰れた、

 いつか捨てられなかった、紙の月。

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