第3話 異世界で目覚めて

 目が覚めた。知らない天井が見える。


「こんなんばっかだな」


 ぼんやりとした頭でそんなことをつぶやく。これで自分の部屋だったら何も言うことはなかったんだけど、そうは見えないな。


 最後の記憶は―――そう、でっかい熊に襲われて、そいつに拳をお見舞いして、なぜか体中に激痛が走ったんだ。ぼんやりとしていたから詳しくはわからないけど、結構血も出ていた気がする。


 誰かが治療してくれたんだろうか。治療込みで牢屋にも入れられていないってことは、好意的な人に助けてもらえたってことなんだろう。


「ぅ、くっ」


 いつもなら二度寝しているところだったが、不思議ともう眠くない。だったらいつまでもごろごろしているのは性に合わない。


 身体が何かの型に入れられたのかと思うくらいに、カチコチに固まっている。


 体中をぽきぽきと言わせながらベッドを降りた。部屋の広さは6畳ほどだろうか。1人暮らしのアパートの一室程度の大きさだ。装飾品は特にない。机や椅子も。本当にベッドだけがある部屋だ。ベッドの反対側には扉がある。


 起きたらまずはカーテンを開ける、んだけど、部屋にある窓にカーテンはなかった。代わりに窓を開けて外を見てみる。


「家がある……!」


 軽く感動してしまった。ちらほらと歩いている人も見えた。ただ寝て起きて、人を見かけただけだというのに涙が出てきてしまうそうだ。この日常が直前の出来事でどれだけ貴重なのかよくわかった気がする。


 と、後ろにあった扉が開く音がした。


 扉から入ってきたのは男女のペアだ。年齢は俺と同じくらい。だが男性の方は大人びて、女性の方は幼く見える。


 赤毛の男は短髪で、所々撥ねている。女の子の方は焦げ茶色の髪をこめかみのあたりで少しだけ束ねていた。男の子のほうが着ている服は素晴らしい。


 2人そろって俺を見て目を丸くしている。


「あ、どうも、おはようございます。とてもお世話になっていたみたいで……」


 挨拶する。


「め」

「目?」

「目を覚ましたんだね!」


 女の子の方が、ズイズイと近づいてきた。俺の手をぶんぶんと振り、ペタペタと触りだした。初対面の男性に対してだいぶ近いなこの子! 


 しかし、反応して妙な場所を触ってしまった時には目も当てられない。両手をあげて無実を表明しつつじっとしている。


「おいっ、メイ! やめないか!」


 固まっていた赤毛の男が再起動した。俺に張り付いていた女の子を引きはがした。両手をあげて動けなかった俺も、ようやく力を抜くことができた。同時にお腹の中に穴が開いたような、強烈な感覚が襲ってきた。そう、強烈な空腹だ。


「今の音……」

「お恥ずかしい」

「……何か用意させよう」


赤毛の少年の厚意に甘えることにした。






 案内されたのはとてつもなく豪華な部屋、というわけではなかった。語彙が貧弱な俺が表現するとすれば、洋風にしたおばあちゃんの家? 箪笥や食器などの家具がごっそり洋風のアイテムに置き換わっているって感じだ。


 広さもそこまでではない。俺が寝ていた部屋の2倍程度といったところだ。


「ちょうどよかった。15時の刻に近くて。メイ、君も食べていくとよい」

「ホント!? やった!」

「特別なんだ。あまり他の者には言いふらすなよ」


 赤毛の少年は白と黒の動きやすそうなデザインの、いわゆるメイド服を着た女性に支持を出し、人数分のティーカップをテーブルに用意させた。実際にメイドさん見るのは初めてだ。イメージと違かったな。普通に職業人だ。


 出されたものはカップケーキだった。作りたてらしく、香ばしいにおいがお腹を絞るように刺激してくる。


「軽食で済まない。あと3刻もすれば夕食の時間になる」

「とんでもない。ありがとうございます」


 用意してもらったものにケチをつけるなんてそんなことをするつもりはない。


「いただきます」

「……ふむ?」

「あら?」


 食べる前に手を合わせて挨拶する。日本人なら誰でもしている挨拶をすると2人は眉をひそめた。


「何か?」

「やっぱり! ユキネさんの知り合いなの!?」

「ゆ、雪音?」


 女の子―――何度もメイと呼ばれているし俺もそう呼ぶことにする―――は目を輝かせて身を乗り出す。いったい誰のことを言っているのだろうか。クラスの女子にもそんな娘はいなかったと思うが。


「メイ! 礼儀がなってないぞ! お前はまずいうことがあるだろう」

「ぁ、う、うん! そうだよね! わかってるよ、そんなことは!」


 赤毛の少年はティーカップを口に含む。


「お前の知り合いだという女性が一月も前にこの村を訪ねてきている。 顔も直に見て間違いないと言っていた。名前はユキネ・ホリキタだ。なにか心当たりはないのか?」

「そう言われてもな……」


 本当に覚えがないものは仕方がない。ってちょっと待ってくれよ。


「俺、いったいどのくらい寝ていたんだ? あの熊を倒してから、そもそも俺怪我をしてたよな?」


 聞いたわけではなく、口に出して確認していただけだったが、赤毛の少年はスラスラと答えてくれた。


「なら、一から説明するとしようか。食べながらでいい」


 言われてから、俺はあんなに腹が減っていたのにもかかわらず、全くカップケーキに手を付けていないことに気が付いた。言葉に従って手に取り、かぶりつく。


「うっま」

「ね! ほんと美味しいんだよなぁ。やっぱり使ってる材料が違うんだよね、きっと!」

「メイ、お前って奴は……はぁ。まずは礼を言わなければならない。貴様、名前は何という?」

「石森 翔太郎です」

「ショータロー。私はエインヘリル六等騎士家長男、エッジ・エインヘリルだ。此度は友人の命を救ってくれたこと、感謝している。ありがとう。メイ、お前もだ」


 そう言って頭を下げてきた。


「メイです。ありがとう。あの時はもうだめだと思ったの。本当に、本当にありがとう」


 ワイワイ騒いでいたメイも同じように頭を下げてきた。


 2人から頭を下げられている状態だが、幸いこれには心当たりがあった。あのでかい熊を撃退したときのことを言っているのだろう。


「俺にできることをしただけです。それよりも長い間ずっと世話をしてくれたみたいで、お礼に釣り合っているかわからなくて」

「命の対価に命を救うのは当然のことだ。私にとっては友人の命を救ってくれたことはそれ以上の意味がある。気にする必要はない」

「ちなみに、俺はどのくらい寝てたんですか?」

「だいたい、二か月くらいだよ」

「神父も助かったのは奇跡だと言っていたぞ」


 そんなに危ない状態だったのか。地球でも二ヶ月間意識不明とかシャレにならない怪我のはずだ。それを起きてすぐにここまで歩き回れるなんて……


 俺、もう完全に異世界を受け入れてるのな。これだけ目の前で不思議なことが起こったらもう信じないとやっていけないってのもあるけど。


「血まみれのメイが村に駆け込んできたときは、大騒ぎになったな」

「しょうがないじゃない! ブラックグリズリーに会ったら、きっとエッジだって泣きべそかくんだから!」


 少なくとも俺は泣きべそをかいていたとは認めたくない。


「いや、メイがケガをしたのではないかという心配だが……まあいい」


 エッジは途中で言葉を切り上げた。メイはぷりぷりと怒っているため、そんな少年の様子に気が付くことはない。


「メイの誘導で貴様を見つけ、村まで連れ帰った。私も詳しい怪我の状態を見たわけではないが、見た目ではもう助からない状態だったらしい」


 そんなにズタボロだったって訳か。致死量の血液が出ていたという事か。こうして聞くと他人事のように思える。なんせその後遺症と言うものが全くないんだからな。


「だが、メイがどうしてもと言ってな。一晩だけという約束で治癒の魔法をかけてみた。そうしたら」

「まさかびっくり、治っちゃったってことか」

「正確には容体が安定してきたという程度だ。しかし、持ち直してきた者をいまさら見捨てることは出来ない。そのまま治癒を続けた結果、2週間ほどで完全に傷は塞がった。それから一月半眠り続けてきたということだ」


 寝る場所は、この村を統治しているエインヘリル家の屋敷の一室を提供してもらった。眠っている間、メイはずっとお見舞いに来てくれていたらしい。そして1月ほど前、俺の知り合いと言う女性―――堀北 雪音がこの村を訪ねてきた。


「こんなところになるな」

「なるほどな……」


 この人たち良い人すぎないか? 見ず知らずの俺を治療してくれて、二ヶ月も泊めておいてくれるなんて。


 もしも俺が山賊とかなんかだったらどうするつもりだったんだ?


「その場合はその場合だ。貴様が悪人でもメイの命を助けてもらったことは変わりない。法の裁きはその後に受けてもらう。もっとも、その心配はないようだがな」


 なんて真面目な人だ。


「お」


 そこまで話したところで、外から鐘の音がかすかに響いてきた。


「16刻の鐘が鳴ったな。そろそろ、みな帰ってくる頃だろう」

「いっけない! お母さんの手伝いしなきゃ! エッジ、私帰るね!」


 メイは椅子から飛び降りるように立った。まだ残っていたお茶がカップからこぼれそうになり、エッジは眉を顰める。


「メイ、だからはしたないと……っ!」

「また明日ね! エッジ、ショータロー!」


 お小言はいつものことなのか、メイは手を振りながら行ってしまった。元気が取り柄なのはいいが、少々、家の雰囲気とは会っていなかったな。


「すまないな。メイも悪い奴じゃない。もう少し淑女としてのマナーを身に着けてもらいたいと思っているんだが」

「あれはあのままでいいと思いますよ? 無理して変える必要はないかと」

「そう言ってもらえると助かる……それはそうと、君も迎えに行くかい?」

「はい? 誰のですか?」

「ユキネに決まっているだろう。彼女も狩りに出ていたからな。戻ってきているはずだ」


 ユキネ―――雪音。俺を探してはるばる訪ねてきたという謎の女性。昏睡状態の俺を待って一か月も村に滞在するなんて相当だ。


 絶対に何かある。


 二か月も眠っていた俺とは比べ物にならないくらいの情報を持っているはずだ。会わないという手はないな。


 敵か味方かは、会ってから考えるしかないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る