第8話 リハーサル

「音の聴こえ方はどうかな? 音程が取りづらかったり、リズムが合わせづらいとからないだろうか?」


「大丈夫だよ」


「これくらいのキャパシティになると、イヤモニがあれば良いのだろうけど」


「みんなの音は問題なく聴こえてるよ。ありがとう眞莉愛ちゃん」

 

「感謝を言われるほどのことじゃない。良い音楽にするための必要な気遣いさ」


 目の前に広がる大集会室の空席は闇の中に潜んでいる。開演前の社交会のような貴賓と静かさを兼ね備えた客席は、宝塚南と此花学園のリハーサルを、沈黙のまま眺め続けていた。


「もう少しヴォーカルへのスポットライトを強めて貰えますか? うちらの明かりは絞ってもらって構わないんで」


「では、バックバンドはブルーなイメージで、ヴォーカルにスポットライトというのはどうですか?」


「試してもらっても良いですか?」


 みなこの隣で、明梨が舞台監督の女性と会話を交わす。こういうイベントは慣れているのか、眞莉愛や明梨は舞台作りのコミュニケーションをそつなくこなしている。


 じわじわと舞台上の照明が暗くなり、夜明け前のような明るさになった。青いレースのカーテンから世界を覗いたような色合いは、寂しさと懐かしさを兼ね備えている。心の奥にいつも潜んでいる切なさが溶け出した色合いなのは、ジャズ音楽の中に流れる遠い時代のアメリカの空気に似ているせいだろうと思った。それからすぐに、窓の隙間から差し込む月明かりのような真っ白なスポットライトが、ステージの中央に立つ奏を照らし出した。


「これくらいの暗さなら、客席からバックバンドの皆さんも見えていると思います。希望のイメージになったでしょうか?」


「はい。ありがとうございます」


 大人に対する明梨の態度は明るく丁寧だ。当たり前と言ったら当たり前だけど。もっとがさつな態度を取りそう、などと思っていたから怒られてしまいそうだ。


 舞台監督の女性が舞台中央へと移動して、全体に合図を送る。客電を除く照明が一気に灯った。ステージに掛けられていた夜の魔法は一瞬で解けてしまった。マイクを通したに舞台監督さんの声がステージに響く。


「『Fly Me To The Moon』はこれで大丈夫ですか?」


「問題ありません」


 眞莉愛の声はマイクを通さない地声だ。腹式呼吸から発せられるハキハキとした声だから、広い客席の後ろの方にまでしっかりと届いているはずだ。


「それでは、最後に『明るい表通りで』の確認をさせてください」


 はけていた宝塚南の一年生が、舞台の袖から出てくる。残った部員は素早くポジションを修正した。


 結局、奏は『Fly Me To The Moon』と『明るい表通りで』の二曲を歌うことになった。『ルパン三世のテーマ』から『Rain Lilly』と続けたあと、満を持して登場する奏のヴォーカル。演出も曲順も彼女をメインに据えた構成になっているのは間違いない。


 舞台の中央で単独のスポットライトを浴びる奏の背中は、恐縮しているのか、いつもよりも小さく見えた。


「あまり明るくしすぎない程度の光量でお願いします。赤、……いえ、オレンジや白で朝焼けをステージに作るようなイメージです」


 ステージのイメージを伝えるのは明梨の役割らしい。こういうのは、眞莉愛が主導権を握っている印象だったので意外だった。


「もっとぱっと華やいだ方が良くない? 明るい表通りを歩くわけやし」


 演出の話をしていた舞台監督と明梨の間に、めぐが割って入っていく。宝塚南の中心人物として、ステージをよりよくするための意見を躊躇なく言うのは、めぐらしいと思った。


「『Fly Me To The Moon』の流れで明る過ぎるとアンバランスかなって」


「うーん、それでも暗過ぎるのは、曲のイメージを損なってしまうちゃうかな」


「そこまで暗くするつもりはないんやけど、そういう考えもあるか。めぐのイメージは昼間?」


「そうやな。もちろん、朝ってイメージも理解できる。けど、朝焼けって言うよりかは、八時とか九時とか、陽はしっかり登っている時間」


 二人のやり取りを見かねたのか、眞莉愛が空咳を飛ばした。ならば、と頬を緩めて、二人の顔を交互に見やる。


「徐々に照明を明るくしてもらうのはどうだろう? それなら、めぐくんが所望する明るさでも違和感は与えないだろうし、明梨くんが危惧するアンバランスさも解消出来るはずだ」


「そうやなー、それで一回試してみよか。お願いします」


「徐々に明るくですね。朝の表通りをイメージして照明を作ってみます」


 ジャンパーの襟についたマイクを使い、舞台監督は照明のスタッフへ指示を出す。こちらが思い描いた色を、監督は専門的な言葉を使って伝えているはずだ。そこに齟齬があれば、その都度、修正案を提示して、また細やかな調整を入れる。その繰り返しで、ステージを作り上げていく。


 イベントはかなり力が入っているらしく、一高校生のみなこたちにも十分なリハーサル時間が与えられていた。


「それと先ほど思いついたアイデアだが、この曲のサックスは佳奈くんのソロでいくのはどうだろうか?」


 君に出来るかなと、言っているような少し挑戦的な眞莉愛の節回しに、「もちろん」と佳奈は躍起になった様子で首を縦に振った。


「奏くんの歌声を支えるような素敵な演奏を頼むよ」


「だから、任せてって」


 早くしろ、と言いたげに構えた佳奈のサックスを、頭上から差し込む明るい朝日が照らし出した。

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