第7話 スモーブロー

「部長候補かぁ」


 カラフルな野菜が乗ったオープンサンドを佳奈が丁寧にナイフで切り分ける。ロースハムに、オニオン、アボカド、オレンジ。スモーブローというデンマークの伝統料理らしい。落ち着いた温もりのあるお洒落な店内は、中央公会堂のそばに位置する中之島図書館の二階にあった。ゲネプロ前の休憩にこのお店に行ってみたいと提案してきたのは奏だ。

 

「みなこちゃんとめぐちゃんの二人で決めないとだめなの?」


「そうやねん」


 みなこの口の中にサバのマリネの風味が広がった。食パンとサバというマッチングは如何なものかと思ったのだが、ハーブの香りがうまく両者の良いところ引き立て合っている。主張の激しいトランペットとトロンボーンをまとめようとするピアノのようだと思った。


 ガラスのカップに入ったダージリンティーを飲みながら、そのピアノがため息をこぼす。


「毎年のことなんやろうけど、今年は難し過ぎる」


「雨宮さんじゃあかんの?」


 一口頬張った瞬間、佳奈の表情がパッと華やいだ。よほど美味しかったらしい。彼女の背後を縁取る木製の窓枠からは、青々とした木々が堂島川を吹き抜ける風に揺れていた。


「すみれちゃんも有力候補の一人やで。生徒会やらやってた言うし。でも、組織をまとめ上げるには、もう少しだけ大人にならなあかんかな」


 めぐの言葉を受けて、佳奈は緩んでいた表情を真顔に戻した。黙ったまま咀嚼をする目が少し不服そうに見えるのは、自分の意見が却下されたからではなく、人のことを言えないと思っているからだろう。「あれから佳奈は大人になったよ」とみなこが言えば、左の肘が脇腹に飛んできた。


「でも、確かに難しいよね。立候補じゃなくて指名制っていうのは」


「奏ちゃんは誰かを指名するって苦手そうやもんな」


「佳奈だって得意じゃないやろ」


「そうやけど、改めて言われると不服」


 今度は視線のパンチが飛んでくる。こちらにそんな牽制を送りながらも、サンドを口に運ぶたびに瞳の色が輝くから可愛らしい。


「なんか、次期部長と副部長は大変そうやなぁ」

 

「本当に。苦労を知って欲しい。そういう七海はいつもお気楽でええよね」


「ふふっ、本番前以外はどんとこい!」


「本番前こそビシッとしなさい」


「始まっちゃえばへっちゃらなんやけど」


 本番前は緊張で固まったり、あたふたしてしたりしている七海だが、いざ本番が始まればきっちりと自分の仕事をこなす。テンポがほんの少し早くなるのは玉に瑕だけど。


「七海ちゃんは誰がいいと思う?」


 問いかけた奏に、「七海に聞いても……」とみなこは乾いた笑いをこぼす。それが癇に障ったのか、「来年の最上級生として意見させて頂きます」と七海は語気を強めた。


「部長なら佳乃がええんちゃうかな!」


「佳乃ちゃん?」


「佳乃は思いやりのある優しい子やん!」 


「それは知ってるけど、少し責任感が強すぎるというか。それってなんか危うくない?」


 佳乃の中に潜んでいるのは、強烈な加害者意識じゃないだろうか。誰かを傷つけてしまったと感じた時の罪悪感に非常に敏感だ。そういう者が部のトップにいると、何かの拍子にバランスが崩れた時、取り返しがつかなくなるような気がして仕方なかった。


「みなこの言いたいことは分かる! やから、つぐみが上手く支えて上げればいいんちゃう!」


「マネージャーとして?」


「ううん、副部長として」


「でも、つぐみちゃんはマネージャーやん?」


「マネージャーと副部長で兼任出来ひんの?」


 ルールを確かめるように七海はめぐの方へ視線を向ける。フォークを咥えながら、めぐは頭を振った。ちなみにめぐが食べているのは、鶏肉とマッシュルームのオープンサンドだ。


「ほら、そんなルールはないやん」


「マネージャー自体が、この間出来た制度やからなぁ。でも、仕事が被るのは大変なんちゃう?」


「つぐみはプレーヤーじゃないねんから、練習時間は空いてるわけやん。プレーヤーと副部長、マネージャーと副部長は負担同じくらいやろ! 兼任がそれほど難しいことには思えんけど?」


 七海のくせに的を射たことを。不服さを表情に出さないように、みなこはアイスティーが少し器官に入ったふりをして誤魔化す。


「……ちなみに奏ちゃんは誰がいいと思う?」


「私の意見も七海ちゃんとほとんど同じかな」


「ほぉーら」


 どうだと言わんばかりに七海の鼻がふんと膨らむ。少し腹が立ったけど、みなこから遠い方の誕生日席に座っているせいで物理的な反撃は出来ない。


「みなこちゃんが感じてる不安は、相手を思いやれるっていう佳乃ちゃんのいいところだと思う」


 優しいレモネードも香りが、空調の効いた部屋に差し込む陽光と混ざり爽やかな夏を彩る。


「思いやりや優しさは、部にとってプラスに働くものかなって……。それにそういう人が部長になった時に、どういう音楽になるのか、っていうのも好奇心も本音としてあるんだけど。もちろん、その優しさがプラスにばかり働くなんて思ってない。みなこちゃんの言ってることを理解できるところもあって。けど、誰が部長になったって良いところもあれば、悪いところもあるんだよ。七海ちゃんの言ったように、つぐみちゃんなら、上手く佳乃ちゃんを支えてくれると思う」


 奏の言うように誰にだって長所と短所があるのは当たり前のことだ。完璧な人間なんているわけはない。部長に相応しくないレッテルを張っていけばきりなどないわけで。思えば、自分だって副部長にふさわしい人間ではないはずなのだ。それでも先輩は副部長に指名してくれた。その意図を考えなくちゃいけない。


 ――こんな部活になって欲しい。


 任命するということは、そんな願いを託すということだ。先輩に渡された意志のバトンを、次の代へと、自分たちも繋いでいかなくちゃいけない。


 それならば、佳乃は適任であるはずだ。


「佳乃ちゃんは分かった。七海や奏の言うように、部長を任せても良いのかもしれない。けど、つぐみちゃんが適任だって言うのは?」


 みなこの質問に答えたのは、意外にも佳奈だった。


「小幡さんは、人を取り持とうといつも動いてくれる。マネージャーの仕事も細やかなところまで行き届いて、気が利いてるし。副部長になれば、みなこが心配しているような問題の種は育つ前に摘んでくれるんちゃう?」


「なるほど。佳奈も言うようになったなぁ」


「どういう意味?」


「そのままの意味やけど」


 また小腹に肘が飛んできた。照れ隠しなのか、頬が僅かに赤い。


「それにさ、小幡さんは、みなこのこと尊敬してるみたいやし」


 自覚がないと言えば嘘になる。慕ってくれることは知っているし、可愛い後輩だと、みなこもそれを受け入れている。けれど、背中が痒くなるのは、自分に先輩としての自覚が足りからかもしれない。


「それがどうして?」


「みなこってそういう仕事してるやん? 小幡さんもそれを真似してるんやと思う」


 いたずらに口元を緩めた表情が憎たらしくて、みなこは佳奈の小腹に肘を優しく一発いれてやった。

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