第8話 サマーミュージックフェスティバル

「みんなおる?」


 スタジオに入ってくるなり、里帆が辺りを見渡した。手には何やらプリントの束を持っている。視線が合ったのか、ピアノを弾いていためぐがその手を止めて質問に答えた。


「美帆先輩と桃菜先輩がまだ来てません。それ以外の部員は、揃ってると思います」


「そっか。美帆と桃菜は、とりあえずええや。来月の合宿の詳細が決まってきたから説明するわ。空き教室に行ってる部員、集めてきて」


 宝塚南の合宿は、例年、夏休みに入ってすぐの七月の下旬に滋賀県の彦根で行われる。ジャズ研の顧問でありOGでもある川上が、同じくOGであり彦根でライブハウスを営む横山に場所を提供して貰っているからだ。普段からプロの卵たちを見ている横山の指導は厳しく、合宿のたびに部員は着実な成長を遂げることが出来る。


「適当でええから座ってー」


 ぞろぞろと集まり出した部員に声を掛けながら、里帆がホワイトボードを部室の中央辺りまで運んでいく。いつもよりも雑に並んだ椅子に腰掛けて、部員たちは里帆を見遣った。


「えっー、来月の下旬に行われる合宿の日程が決まったのでお知らせします。プリントは親御さん向けなので、帰ったらきちんと渡すようにしてください」


 一番前に陣取ってしまったため、みなこは里帆からプリントの束を手渡された。経費や注意事項の書かれた紙を、左右と後ろに適当にバラして回していく。左隣にいた愛華が、おずおずとした挙動で、それを受け取った。


「場所は、例年通り、彦根のライブハウスです」


「おぉ! ライブハウスで合宿するんっすか!」


 感嘆の声を上げたつぐみに、「ライブハウスに寝泊まりするわけちゃうで!」と七海が先輩面をして口角を上げる。


「それくらい分かってますよ」


「えぇ……」


 つぐみの冷めた返しに、七海ががっくりと肩を落とす。七海に対する冷たい態度は、わざとだったらしく、つぐみがこちらに目配せを送ってきた。やってやりましたよ、と言わんばかりのつぐみの面差し。どうも、一年生たちも七海の扱い方を分かってきたらしい。こみ上げる笑いを堪えながら、みなこは頬を緩めて答えた。


 ゴホン、と里帆が空咳を飛ばして注目を集める。


「詳しい予定は、生徒用の冊子を配る際に説明しますが、例年と異なる部分だけ先に報告しておきます」


 そう言ったあと、里帆はくるりと踵を返して、ホワイトボードの方を向いた。一つに束ねられた髪が空中に弧を描く。張り付いていたマジックペンを手に取り、キャップを外した。


 小さな背をグッと伸ばして、ボードに文字を書き記していく。いつもは大樹の役割だが、今回の報告に彼は関与していないらしい。何を書くのだろう、という期待の眼差しを、細い里帆の背中に向けていた。


「例年は二泊三日で行う合宿ですが、今回は五日間を予定しています」


「どうしてまた?」


 質問者は航平だった。想定内の問いかけは、スピーチを円滑に進める。里帆は首だけをこちらに向けて、歓迎と言いたげに、にっこりと笑みを浮かべた。


「それはこれの為です!」


 書かれた文字が見えるように、里帆はゆっくりとホワイトボードの隅へ寄った。こちらを向き、手のひらで白い板を軽く叩く。部員の注目は、ボードに書かれた可愛らしい丸文字に向いた。


「ひこねさまーみゅーじっくふぇすてぃばる?」


 ボードに並んだアルファベットを七海がゆっくりと読み上げた。片言な言い回しに、杏奈がケタケタと笑っている。笑わないでください、と拗ねた態度を取りつつ、今度は流暢な言い回しで、七海は同じ言葉を繰り返した。


「そのイベントに出演するんですか?」


 みなこが訊ねれば、「そう!」と、里帆がこちらに向けて指を鳴らした。


「このイベントは、横山さんが主催で、CLOVER HIKONEを中心に行われるライブイベント。開催は今年が初めらしんやけど、アマプロ問わない十数組のアーティストが、ライブハウスや四番街スクエアに設置される野外ステージでパフォーマンスを行うかなり大規模なイベントになるみたい」


 四番街スクエアは、大正ロマンをコンセプトにした新しくも古めかしい洋風なデザインの家々が数多く並んでいる彦根の観光スポットだ。横山のライブハウスもその一角にあり、通り側は、カフェも併設されている。明治の時代へタイムスリップしたような気分になることが出来る素敵な町並みがとてもお洒落で魅力的だ。


「プロの人も出るんですか?」


 どうやら、佳奈はプロという言葉に反応したらしい。喉元が小さく震えているのは、好奇心を押さえきれないせいだ。


「CLOVER HIKONEから巣立った人たちがプロになってたりするらしくて、横山さんを慕うプロの方も何組か出演するみたい。それに出演者は、ジャズだけじゃなく、地元のアンサンブルユニットからインディーズのロックバンドまで。多岐に渡るジャンルの音楽で夏休みに入ったばかりの町を活気づかせようって企画。私達は、そのオープニングアクトを任せられてるから、責任重大!」


「ひゃー、まさかの重要ポジションやな」


 驚く大樹に里帆がすんとした態度で背筋を伸ばした。


「それくらい期待してくれてるってことやろ。この数年、大会でしゃんと結果も残してきてるんやもん。一般的な認知度はまだまだやろうけど、ジャズ好きの人からは、宝塚南の存在はちゃんと認識されてるはず。それに恥じないパフォーマンスをしないと」


「横山さんには毎年お世話になってるし、イベントを成功させるためにもしっかりがんばらんとな」


「そういうこと。毎年、使わせて貰ってるばっかで、ろくな恩返しも出来てへんから、イベントの成功の力にならなきゃ」


「編成はどうするん?」


「こっちはビックバンドで行く予定」


 大樹との会話の中で自然と出た言葉のまずさに気がついたのか、「あっ」と里帆が声を漏らす。はっと口元を抑えるが、時すでに遅し、同時に「こっちは?」と、七海が昼間の太陽を見つめる猫のように目を細めた。


「部長ー、何か隠してはりますねー」


 妙なところで七海は勘が鋭い。探偵が犯人を追い詰める具合に、「話してもらいましょう!」とツンと跳ねた髪を揺らした。


「まだ、確定じゃないから、本決まりしてから言うつもりやってんけど。まぁ、ほぼほぼ確定やからええか」


 里帆は、すぐに観念したように肩を落とした。大樹を見遣って、ええよな、と不毛に思える確認作業をする。もちろん、大樹は静かに頷いただけだった。


「今、説明したイベントの前日にも、彦根城で行われるイベントに出演することになりそうです」


「二つ、同時進行ってことですか?」


 航平が驚くのも無理はない、と思った。二つのイベントを同時進行で準備するというのは、初めての経験だからだ。横山が主催するイベントでも手一杯のはずなのに。残り一ヶ月あると言っても、その間に期末試験だってある。


「大丈夫!」


 里帆が腰元に手を当てて、はっきりとした言葉を言い放った。不安げな空気を感じ取ったというよりかは、そうなることを予想していたという方が正確かもしれない。里帆は部のモチベーションを維持する能力に長けている。言葉の一つひとつに、部員をやる気にさせる魔法がかけられているみたいだ、と思うことも多い。


「もちろん時間も限られているから、彦根城の方はコンボでの出演になります。コンボとビックバンドの並行練習。それは大会の時も同じやろ? もちろん、ビックバンドの演奏時間は大会よりずっと長いけど、新曲ばかりをやるわけじゃない。みんななら問題なくこなせるはず」


 今回も、部員たちは里帆の魔法に掛けられた。不思議と不安な気持ちが消えていく。それと同時に出演出来るイベントが二つもあるんだ、という喜びが勝り始めた。


「出演者に関しては、いつも通りオーディションを実施するつもりです。合宿の一日目、到着直後にオーディションを開催。そこから昼休憩を挟んで結果発表、昼からイベントに向けて練習をしていくことになります」


「演奏曲はもう決まってるん?」


 問いかけた杏奈の顔つきが真面目になっているのは、里帆の言葉に感化されたからだろう。オーディションや本番に対する彼女の思いは、奏との約束のおかげで、他に負けない強いものがある。


「うん。ビックバンドの方は明日辺りにでもコピーして配るつもり。コンボの方は、すでに目星は付けてあるけど正式決定してからかな」


「了解!」 


 真面目な顔つきを目一杯崩した杏奈の敬礼に、里帆が表情をほころばせた。ボードイレイザーを手に取って、安息混じりの息を吐く。


「それじゃ、報告はこんな感じかな。集まってくれてありがとう。お金のことを書いてあるので、配ったプリントは忘れないよう親御さんにちゃんと見せてね」


 部員が椅子を片付け始める中、佳乃がホワイトボードの掃除をする里帆の元へ寄っていくのが視界に入った。聞き耳を立てるつもりはなかったが、そばにいたみなこは、つい会話を聞いてしまう。


「あの、部長。コンボのメンバーに選ばれなくても、彦根城には行けますか?」


「お城? うーん、そうやな。コンボに選ばれなかったメンバーから、何人かは楽器の運搬だとかのサポートに回って貰うつもり」


「ありがとうございます」


「当日は、練習用のスタジオを借りるつもりやけど、選ばれなくても手伝いに立候補してくれるん?」


「は、はい。もちろんコンボで選ばれるように、練習もがんばりますけど!」


「そっか。でも、そこまで行きたいって、東妻ちゃんお城好きなん?」 


「祖父母の家が松山城の近くで……、小さい頃からそういうのに興味があったんです!」


 佳乃の意外な趣味に、「へぇ」と思わず声が漏れてしまった。佳乃と話し込んでいた里帆の首がゆっくりとこちらに向く。


「清瀬ちゃん、また盗み聞き!」


「……人聞きの悪い言い方やめてください」 


 叱りつける母のように腰元に手を据えて、里帆が眉間に皺を寄せた。冗談と分かる言い回しに、みなこは肩を竦ませる。


「そういうのっていうと、佳乃ちゃんは戦国時代とかも好きなん?」


「戦国武将も好きです!」


 興奮気味に赤くなった頬から佳乃のお城に対する熱量が伝わる。


「あれだけの大きな建物を何百年も前の人たちが作っていたなんてロマンがあるじゃないですか! それに流行りのゲームもあって!」


 ヒートアップした佳乃の話に、みなこと里帆はしばらく耳を傾けていた。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る