第6話 バランス

 愛華とすみれが互いに謝罪をしているところを、遠巻きに見ていると、里帆がこちらに寄ってきた。


「ありがとな。清瀬ちゃん」


「いいえ、私は何も。里帆先輩こそ、すみれちゃんを説得されたんですよね」


「まぁ、私と言うよりかは、伊藤ちゃんがって感じやけどな」


 廊下の隅にいる新入生を見つめる里帆の瞳は、どこか大人っぽい。瑞々しく艷やかな虹彩の奥に潜む、不安や嘘など、見透かすことが出来ないほど。


「あの、里帆先輩……!」


 愛華とすみれが揉めているということで、曖昧になった桃菜の話をみなこはどうしても追求したかった。


「あ、ごめん。川上先生からミーティングのあと、合宿のことで話があるって言われてたんやった」


 腕につけたピンク色の時計に視線を落として、里帆は渡り廊下の方へ身体を倒す。「また、今度ね」という覇気のない声は、みなこが訊ねようとした内容を理解していたように思えた。


 *


 しっかりと仲直りした一年生の輪の中に入っていくのも申し訳ないと思い。みなこは一人、トボトボと食堂の方までやって来た。色々と頭を使ったせいか、妙に小腹が空いたのだ。食堂にはちょっとした袋菓子が売っている自販機が設置されているため、そこで何かを買おうと思った。


「あ、みなこ」


 人気のない食道に入ったところで佳奈に声を掛けられた。お菓子を選んでいる瞬間を見られたことが恥ずかしかったのか、少しだけ頬を赤くしている。


「佳奈もお菓子、買いに来たん?」


「そ。ミーティングは終わり?」


「うん」


 食堂の冷房は昼休み以降、消えているため、窓は空いていても少し蒸し暑い。雨上がりのジメッとした風が、駐輪場の方から吹き付けてくる。


「なんか一年生の教室の方で騒ぎがあったみたいやけど、みなこ知ってる?」


「佳奈にまで伝わってるんかぁー」


 そういう情報網には疎そうなのに、とみなこが言えば、「友達くらいはいる」と佳奈は唇をすぼめた。


 まだお金の投入されていない自販機は、こちらがお菓子を買うのを行儀よくじっと待ってくれている。代わり映えのしない品揃えを見つめて、みなこは生ぬるい空気に自分の息を混ぜ込ませる。


「ちょっと、うちの一年生たちがね」


「大丈夫なん?」


「里帆先輩とめぐちゃんがなんとか収めてくれた」


「そっか」


 柔らかな双眸が、みなこの方から自販機の方へと向かう。茶色い革製の財布から取り出された小銭が、投入口に飲み込まれていく。


「みなこ、なに買うん?」


「うーん。ガルボにしようかなって」


「ブラック?」


「そ、」


「私が奢ってあげる」


「どうしたん急に?」


「この間の雪見だいふくのお礼」


 ピッ、と甲高い音が響いて、螺旋状のアームが回転してチョコレートの小袋を弾いた。取り出し口に落ちてきた商品を手に取り、佳奈がこちらに「はい」と手渡す。


「ありがと。律儀やなぁ」


「どういたしまして」


 面と向かうのが気恥ずかしいのか、すぐに佳奈は自販機の方へと向き直る。「私はどれにしようか」とわざとらしい言葉を並べながら、じっと硝子の向こうで並ぶお菓子を見つめた。


「愛華ちゃんのこと」


「え?」


 少しだけ驚いた面差しが、自販機の硝子に反射した。落ちた視線をすくい上げるように、みなこは言葉を続ける。


「佳奈、愛華ちゃんのこと気にかけてくれてたやろ?」


「まぁ、ちょっとは。同じセクションの後輩やし」


 みなこは、佳奈に貰ったガルボの包装を袋のギザギザに沿って破く。口に含めば、ほんのりとした苦さが広がった。


「愛華ちゃんは、馴れ合いになって、部の雰囲気が悪くなるのが嫌やったらしくて。熱心に活動してる部活やと思ったから、和やかな空気と目標のギャップに苦しんでたみたい」


「宝塚南は、仲が良いけど、決してなぁなぁな関係じゃない。自分たちで言うのは、気恥ずかしいけど、切磋琢磨してると思うし、ちゃんと実力主義で選抜されてる」


「私もそう思う」


 それでも宝塚南に、一つの綻びもないかと言えば嘘になる。前回の大会の直前の揉め事が良い例だ。でも、大会で結果を残すために、それぞれが悔いを残さないために、その都度最善の選択をしている自負はあった。


 少しだけ怖くなった佳奈の表情は、冷静さを取り戻したのか、次第に朗らかなものに代わっていった。


「灰野さんが馴れ合いを望まないのは、なんとなく理解出来る」


 そうだろうね、という言葉は飲み込んでおく。奢ってもらった手前、からかうわけにはいかない。


「きっと、灰野さんにも灰野さんなりの主義や主張があるはずで。やから、私もちょっと感情的に一方通行なコミュニケーションやったかもしれない。それは申し訳なかったと思う」


「謝るつもりなん?」


「だって、みなこがちゃんと解決してくれたんやろ。ほんなら、灰野さんは、私に謝ってくるんとちゃう?」


 どうも、その辺りは見透かされているらしい。みなこが愛華の気持ちを代弁してしまった時点で、自白しているのと同じだった。


「たぶん。でも、愛華ちゃんはこれから頑張ってくれるはずやから。……やから、無理はさせないように見ててあげて」


「分かってる。灰野さんの気持ちも理解できるし、馴れ合うのと向上心を持って接するのは違うと思うから。だって、私は灰野さんにも負けたくない。けど、同時にちゃんとコミュニケーションを取りたいとも思ってる。そのバランスが大切やと思うから、灰野さんとのバランスを見つけ出す」


「そっか」


 愛華のことは、佳奈に任せても問題ないだろうと思った。以前に、佳奈は精神的な主柱にはなれないと言ったが、あれは撤回しておかないといけないかもしれない。佳奈は佳奈で成長している。


 自販機のボタンに手を伸ばす佳奈の表情がやけに先輩らしく見えた。それが妙に憎ったらしく愛らしく感じて、ふいに悪戯心が湧き上がる。

 

「それじゃ、陽葵ちゃんともちゃんと仲良くしないとね」


「そうなるのはずるい」


 陽葵の話が出た瞬間に、佳奈の目が子どもっぽい色に変わってこちらを向いた。同時に、自販機から甲高い電子音がなる。


「間違えた!」


 どうやら、弾みで違うボタンを押してしまったらしい。「うぅ」と喉を鳴らす佳奈に、「私のガルボ上げるから」とみなこはチョコを一粒手渡した。

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