第3話 雪見だいふく

「あーもう、なんなん!」


 ガリガリとアイスカフェラテの氷を噛み締めながら、佳奈がひどく怖い表情を浮かべた。普段はアイス系の飲み物の氷を噛むタイプでは無いことから、何か相当なストレスを抱えていることが伺える。夕陽に照らされているせいか、その頬は僅かに赤みを帯びているようにも見えた。


「どうしたん?」

 

 ツインテールを揺らしながら、串についた唐揚げを頬張るめぐが、不思議そうに佳奈を見遣った。いつもならカロリーを気にしている彼女が唐揚げを食べているところを見るに、ダイエットは順調なのかもしれない、とみなこは密かに想像を膨らませる。


 その隣で、紙パックに入ったピルクルをストローで吸い上げている七海が間の抜けた声を出した。


「苦かった?」


「そんなわけないでしょ!」


 気温の低下とともに廃止になっていた恒例のコンビニへの寄り道も、温かくなり始めた春休みの中頃から復活していた。同時に心配になってくるのは、お財布事情と間食によって発生する無駄なカロリーだ。部活の練習で、どれだけのカロリーが消費されているのかは定かではないが、夜ご飯を待たずして空腹になることから、「これは必要なエネルギーのはずだ」なんて自分に言い聞かせて、みなこは雪見だいふくにかじりつく。


「それじゃ何で怒ってんの?」


「別に怒ってへんから」


「怒ってるやん!」


 地雷原へずしずしと踏み込んでいく七海を、奏が「ほら、七海ちゃん」となだめる。手に持っていた小さなチョコレートのお菓子を口元へ運ぶと、七海はハフっと可愛く奏の指に噛み付いた。


「それでどうしたん?」


 嘆息混じりに、めぐがもう一度問いかける。「愚痴があるなら聞くで」と優しく佳奈の傍らに寄り添った。噛み砕いた氷を飲み込んで、佳奈はひんやりとした息を吐く。


「ちょっと、上手くいかなくて」


「上手くって何が?」


「後輩との接し方」


「あー」


「何が、あーなんよ」


 二人の会話を聞きながら、納得した声を出したみなこに佳奈の鋭い眼光が飛んでくる。なんとなくこの感じは懐かしい。あの時よりも怖さがないのは、佳奈の内面を知っているからなのか、佳奈自身に本物の敵対心がないからなのか。


 あまり後輩付き合いが得意そうでない。というイメージを持っていることは、心の中にそっと留めておく。本人に自覚がないところが佳奈の面白いところでもあり良いところでもあるから。


「後輩っていうと、愛華ちゃん?」


 めぐの追求に佳奈が頷く。


 サックスセクションである愛華は、佳奈の直属の後輩にあたる。新入生たちが入部してきて、もうすぐひと月が経とうとしているが、みなこはこの二人が仲良く話しているところを未だに見たことがなかった。


「正直、七海ちゃんの方がマシ」


 そう吐き捨てた佳奈の真意はなんのか。きっと嫌味のつもりだろうが、七海本人には全く刺さっていない。むしろどこか嬉しそうに、奏から貰らったチョコレートを頬張っていた。


「ウザ絡みされて困ってるん?」


 串に刺さった唐揚げにかじりつきながら、めぐが質問を続ける。佳奈は申し訳無さそうに首を横に振った。


「ごめん、七海ちゃんを引き合いに出したのは悪かったかな。そういうわけじゃなくて、むしろ話してくれへんの」


「うーん。話してくれないか。一年生は割とみんな良い子っぽかってんけどな」


 めぐの意見にも賛同するが、事前にすみれやつぐみから話を聞いていたので、愛華が佳奈とのコミュニケーションに積極的でないことは意外ではなかった。むしろ、佳奈がそこに悩んでいることの方に驚きがある。


 そもそも、無理をして人と接するタイプではないと思っていたのだけれど。後輩が出来て何か心境の変化があったのかもしれない。


「佳奈が怖い顔してるからちゃう?」


 七海のからかいに、佳奈の顔がさらに気色ばむ。ムッとした表情は夕陽の赤みも相まってまるで茹蛸のようだった。「ほら、その顔!」と、口端を緩め、佳奈の顔を指差した七海の肩に佳奈の怒りの拳が飛んだ。


「痛いっ」


 それほど力は込められていなかったはずだが、七海は大袈裟なリアクションを取り、その場で仰け反った。手に持っていた紙パックがちゃぷりと音を立てて、奏が「溢れるよ」と冗談交じりで苦言を呈す。 


「灰野さんに対して怖い顔はしてない」


「ホントかなぁ」


「ホンマやから!」


「まぁまぁ、それは分かってるって。うーん、先輩ってことで、愛華ちゃんも緊張とかもあるんちゃう?」


「うーん。そういう雰囲気じゃないんよな。なんとなく悪意がある感じというか」


「それで腹を立てていたわけね」


「だから別に怒ってへんから」


 細くなった佳奈の双眸が、めぐから逸らされて、そっけなく町の縁へ沈んでいく夕陽の方へと逃げていった。怒ってないと本人が言うなら、それを追求するわけにはいかない。それに佳奈が怒っているかどうかは、彼女が言いたい本筋から大きく逸れているはずだから。


 辺りを見渡せば、路地裏から忍び寄る闇が、すっかり町を飲み込み始めていた。踏切の音と電車の接近音が重なる。いつもの帰り際の音。いつもと変わらない空気。


「なんとなく嫌われてる感じがするというか」


「佳奈は嫌われたくないんや」


 堪えていたつもりだったのに、つい気が緩んで、みなこは思考を声に出してしまった。逸らされていた視線がこちらを向き、「そりゃそうやろ」と、佳奈は透明なカップに残った氷を口へと流し込む。


「そうなんやー」


 コンビニの明かりが逆光となって濃い影を作り、佳奈の表情は凄みを増していた。一年前みたいなことは無いだろうけど、一度、怒った佳奈の姿を知っているだけに、下手に踏み込みすぎない方が良いと、みなこは下手くそながらはぐらかす。


 唐揚げのなくなった串を指先で転がしながら、めぐが「心当たりは無いんやろ?」と佳奈に問いかける。


「もちろん。変に褒めたりもしてないし、注意もしてるわけじゃない。というかこんな短期間で嫌われるものかな。挨拶とか、当たり障りのない会話とかして、普通に接していたつもりやのに……」


「佳奈が他人の嫌がることをやってるイメージはないからな。けど、向こうが嫌やと感じたら、それは嫌なことやから」


「それはそうかもしれない」


 佳奈は、去年の自分自身を思い浮かべているのかもしれない。客観的に自分を振り返られるのは成長の証だ。いまの愛華を例えるなら去年の佳奈がピッタリと合う。

 

「そういえば、さ」


 注目を集めるような発言をしておいてなんだけど、まさか全員の視線が一斉にこちらを向くとは思わなかった。気圧されて息を飲んだみなこに「どうしたん?」と、めぐがツインテールを傾ける。


「いまさらやけど、体験入部の期間に、愛華ちゃん一度だけジャズ研に来ててん」


「へぇ、初耳や」


「ごめん、ごめん。めぐちゃんにくらい報告しておいた方が良かったかもしれんな。来たと言っても、放課後の下校時間やったから、挨拶だけしたって感じやってんけど」


 もう一度、正確にあの時のことを思い出してみる。カバンを忘れて、部室に取りに戻った際に愛華は部室を訪れてきた。その時の会話と愛華の態度。――でも、やっぱり。


「その時の愛華ちゃんは、普通な感じやった気がするんやけどなー」


 あの時の彼女からは、すみれや佳奈が話すような印象は見受けられない。みなこの問いかけにしっかり答えていたし、敵対心や緊張みたいなものは感じられなかった。


「あー、余計に分からんくなってきた!」


「はっ! 佳奈がおかしくなっちゃった」


 髪をかきむしり始めた佳奈を見て、七海が心配そうにすり寄る。ボサボサになった髪は、七海のこだわりと同じようなハネを作っていた。


「佳奈、落ち着いて。ほら、雪見だいふく一個上げるから」


「みなこ、ふとっぱら!」


 七海は、どこまでこの件を重大に思っているのだろう。佳奈に差し出した雪見だいふくにかじりつこうとする七海のおでこを、めぐが中指で弾く。


「なんであんたが食べようとしとんねん」


「美味しそうやったから」


「みなこの気持ち考えさない!」


 めぐと七海のやり取りを見て、ようやく表情を柔らかくした佳奈が雪見だいふくに齧りついた。


 

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