第2話 合格者

 ゴールデンウィークが明けたこの日、一年生の実力を試すオーディションが行われた。


 一年生だけが参加するこのオーディションでは、例年と同じく小スタジオを待機場所として使用して、一人ずつ審査員の待つ大スタジオへと呼ばれる型式が取られた。審査するのは、部長、副部長、顧問の三人。新入生たちが、ビックバンドに迎え入れるだけの実力を持っているかを最初に試す場だ。


「緊張したっす」


 オーディションを終えて、つぐみが音楽室の一つ下の階にある空き教室へとやって来た。宝塚南はかつてよりも入学者数が減った影響もあり、こうした空き教室が多い。音楽室の下に位置するこの教室は、ジャズ研と吹奏楽部がよく練習場として使っている。オーディションでスタジオを使用しているため、ジャズ研の部員は各々校内に散って練習を行っていた。


「どうやった?」


「練習頑張って、って言われました」


「つぐみちゃんは、ようやくコードを覚え始めたところだからね」


「コード理論はバッチリっす」


「理論から覚える人も珍しいけど」


「そうなんっすか?」


「大抵の人は感覚で覚えていくんやけど」


「どうして、そのコードが成り立っているか分からないと気持ち悪いじゃないっすか!」


「数学で公式の意味を分からずに問題を解くのは気持ち悪いみたいなことかな」


「そうです!」


 荒い鼻息を吐き出しながら、つぐみは抱えていたギターを背負い直し、近くの椅子に腰掛けた。右手と左手を交互に見遣りながら、ストロークの練習を始める。余計な力のこもった右腕を見て、みなこはそっと肘の辺りを掴んだ。


「もっと力を抜かないと」


「こうっすか?」


「そうそう。柔かくしなやかなイメージ」


「なるほどっす!」


 アンプを通さない軽い音が静かな教室に響く。Cメジャー7の明るくロックっぽい音だ。窓から差し込む夕陽が、黒板を鮮やかな黒と緑に二分していた。


「他のみんなはどんな感じやった?」


「どうなんすかね? 私は直接聴いたわけじゃないので。けど、佳乃と愛華、井上くんには期待してるんです! 経験者らしいっすから」


「あれ、すみれちゃんは?」


「本人が自分はまだまだやって言ってたんで。クラシックとジャズの違いに苦戦しているみたいっす」


 確か去年のめぐもそうだった。楽譜の再現を行うクラシックとは違い、アドリブが多いジャズでは、クラシックには無い技術が求められる。知子がいたことも大きかっただろうけど、めぐは無理に舞台には立たず、しっかりとジャズの基本を身につけることに重きを置いた練習をしていた。


「もちろん、すみれも受かって欲しいですけどねー」


 *


 下校時間が迫る中、部員たちは大スタジオに呼び出された。A4のプリントを持った里帆と川上がみなこたちの前に並んで立っている。椅子を用意する時間は無かったらしく、こちらも立ったままだ。


「では、一年生のオーディションの結果と花と音楽のフェスティバルのメンバーを発表します」


 緊張感を走らせたのは一年生部員たちだ。自分が合格出来ているのか、上手くパフォーマンスが出来たか、と不安を募らせているに違いない。つぐみは、両手を組んで祈るようにして里帆の言葉を聞いていた。もしかすると、他の部員の合格を願っているのかもしれない。


「呼ばれた方は返事をしてください。先に通達していた通り、ビックバンドの合格者は、今月下旬の『花と音楽のフェスティバル』に参加していただきます。ではまず、サックス、灰野愛華」


「はい」


 淡々とした彼女の返事をかき消すように、愛華に拍手が送られる。吹奏楽部に所属していただけあって、定例セッションでの彼女の演奏技術は申し分無かった。その上、このひと月でジャズへの対応もしっかり見せている。


「続いて、トロンボーン、東妻佳乃」


「はい」


 落ち着いた返事をする佳乃の隣で、安心した様子のつぐみが印象的だった。やはり、友人の合格を祈っていたらしい。それとは対象的に、すみれは落ち込んでいた。どうも、すみれがオーディションを受けた順番は佳乃よりも先立ったようだ。合格者は、オーディション順で呼ばれている。


「最後にトランペット、井上竜二」


「はい」


 すみれ同様、淡々とした返事を告げる。隣にいた航平が何かを言ったらしく、竜二は小さく会釈を返していた。佳乃も竜二もブランクはあるらしいが、ひと月でブラスバンドに所属していた頃の勘を取り戻したらしい。


「これからテスト期間までの二週間は、ビッグバンドを中心に練習をしていきます」


「下校時間まで、もう少し時間あるけど、どうする?」


 川上の問いかけに里帆が「うーん」と唸った。


「ビックバンドだけ合わせときます」


「分かった。それじゃ今日は少し聴かせて貰おうかな」


 意外な川上の言葉に、戸惑ったのは上級生だ。川上がこの部のOBであることをまだ知らない一年生は、「顧問が珍しく部を見守ってくれるのだな」くらいにしか思っていないはず。


 何も知らない一年生がそのことを知るのは夏の合宿先で横山に会った時だろうか。それとも今から始まる厳しい指導を体験してからだろうか。


 ただ、川上がこうして指導してくれるのは、とてもありがたい。欲を言えば、毎日、彼女の指導があればと思う。その思いは上級生たちの共通認識だったようで、楽器の準備を始めた部員の表情はいつもよりも幾分かやる気に満ちていた。 

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