一幕「新入生」

第1話 新歓ライブ(On Stage)

 花粉混じりの春風が、体育館に並ぶ初々しい新入生たちの間を抜けていく。冷やかしとも期待とも取れないニュートラルな視線には、部活紹介に飽き始めた彼らの素朴な空気感が込められていた。


 みなこは冬の冷たさが残るような艶やかなギターのネックを握り締める。鼓膜をくすぐるアンプの歪みが、新入生たちの意識を集めたように感じた。薄暗さの中にぼんやりと浮かぶ客席は何度見ても慣れない。真っ暗な夜空を見上げた時のような恐怖と高揚感が入り交じる。


 落ちていた照明が、ぱっと明るくなり、まばらな拍手が送られた。


「ご入学おめでとうございます」


 部長である里帆が、ハンドマイクを手に舞台の端から新入生たちに声を掛ける。崩した座り方をしている生徒もいるが、列自体は大きく乱れておらず、入学からまだ間もない緊張感が伝わってきた。


 去年の自分たちもこんな風に見えていたのだろうか。


「我々、ジャズ研は昨年の全国大会であるジャパンスクールジャズフェスティバルにて優秀賞を獲得することが出来ました。さらには様々なイベントに参加したり、クリスマスには主催のイベントを開催したりと、充実した活動を行っています」


 部長である知子の時もそうだったが、里帆もまた人に言葉を聴かせられる人間だ。彼女の言葉は、集中力が切れはじめていた一年生の意識を再び蘇らせる。


「ジャズというと普段あまり聴かれない方も多くいると思います。実のところ、ジャズが未経験だったという部員は何人もいます。それでも、演奏をしたり、ジャズを聴いていくうちに、徐々にジャズの魅力にハマってくれています。楽器経験者も未経験者も歓迎していますので、どうぞ一度、仮入部で遊びに来てください。それでは、最後に一曲お聴きください」


 里帆の挨拶に先程よりもしっかりとした拍手が返ってきた。それほど多くない新入生の中で、ジャズ研が一定の部員を確保できるのは、歴代の部長の挨拶がしっかりしていたからなのかもしれない。


『Time Check』


 選曲の理由は、クリスマスライブでの演奏がすごく良かったと評判だったからだ。要因は陽葵に負けたくないと意気込む佳奈にある気がする。ちなみに、ここでもノラ・ジョーンズを演奏すれば、新入生への良いアピールになるのでは、という話も出たのだが、奏が断固拒否した。


 勢いよく駆け上がる音符の階段に、少々ダレ気味だった新入生たちが前のめりになったのが伝わった。


 去年の新歓ライブのことを思い出す。先輩たちの『A列車で行こう』を聴いて、みなこは入部することを決意した。だから、今年も……。自分たちの演奏を聴いて、少しでも良いと思ってくれることを願いピックを振り下ろす。


 曲の冒頭から航平のトランペットの唸るようなハイトーンが天井から降り注ぐ。去年まで初心者だったとは思えないほど、彼は腕前を上げていた。今回、曲の冒頭で目立つ役回りを任せられているのも、クリスマスライブでこの曲を拭き上げた彼への期待の表れだろう。


 はしゃぐめぐのピアノに寄り添うように、佳奈がハイスピードなソロを奏でた。高度なタンギングは少々気合が入り過ぎていて、ちょっぴり空回りしている。あとで、注意して置かないといけない。そう思うのは、次期副部長としての責任感だろうか。


 七海のドラムがいつものように少しだけ慌てたのを見るなり、すかさず奏のベースが「急がないで」と注意を促す。七海も奏の音を良く聴いているらしく、すぐに冷静さを取り戻した。今度は、若干レイドバック気味になっているけど、慌てて曲の収集がつかなくなるよりかはマシだ。


 三年生も負けちゃいない。桃菜、杏奈、大樹のトロンボーン隊が曲全体を支える中で、里帆と美帆が、サックスとトランペットでいつもの言い合いをするみたいな掛け合いを始めた。普段は言い合いをしているのに、舞台の上で演奏を始めると息が合う。いつもの言い合いもある意味、息があっているのだけど。


 部員が鳴り響かせる音を、全身で感じ、ジャズの楽しさを、音楽の楽しさを、新入生たちにアピールしていく。


 客席にかつての自分たちの姿を見た気がした。先輩たちの演奏に憧れ、入部を決意したあの頃の自分たち。でも、今はステージの上。きっと先輩たちもこんな気持ちで演奏していたに違いない。いまこの瞬間、そんな気持ちで演奏をしていることが、自分がジャズ研の部員になった事実と一年という時間の経過を知らしめた。


 この一年間のような猛烈なスピードの曲は、あっという間に終焉を迎えた。今日は単独ライブではないし、このあとに別の部活の紹介も控えているから、長居は出来ない。里帆のお辞儀に合わせて、みなこたちは深く頭を下げる。拍手に送られ、ジャズ研の一同は舞台をあとにした。クリスマスライブ以来の本番のステージは、ほんの一瞬だったけど、とても充実した素晴らしいステージになった。


「今日の演奏めっちゃ良くなかった?」


「すごく良かったです!」


 トロンボーンを手にしている杏奈とベースを胸で抱える奏が、舞台袖に戻ってくるなり、そんな言葉を交わした。まん丸とした眼を愉快にコロコロと転がしながら、「本当は谷川ちゃんの歌聴きたかったけどなー」と悪戯な声を出す。


「それならYou Tubeで好きなだけ聴いてください」


 奏はムッとした表情を作ったけど、そこには杏奈への親しみが込められていた。わずかに感じ取れる憎たらしさは、恐らくYou Tubeへのアップロードを直前まで黙っていたみなことめぐに向けられたもののはずだ。


 申し訳無さをはぐらかすように、みなこは演奏に満足げな表情を浮かべる七海の肩を叩く。


「七海、またドラム走ってた! あそこは落ち着いてって、練習で何度も言われてたやろ」


「ごめん、ごめん。でも、すぐに修正したやろ!」


「確かにすぐに良くなったけど……」


「ほら問題なし!」


「そもそも急がなくていいところやから!」


「もーうるさいなー、お母さんじゃないんやから」


「おかぁ……!」


 まさかの一言にみなこは言葉を失う。無愛想に尖らせた七海の唇を摘んでやりたくなったけど、「ほらー、駄弁ってないで早く戻るよー」と部長の指示が入り、不服さを瞳だけでアピールしてみなこは足早に体育館をあとにした。お気楽な性格の七海には伝わっていないだろうけど。このあとも部活紹介は続くから、あまり袖で騒ぐのは迷惑になってしまう。


 舞台では運動部の部活紹介が始まっていた。外階段には、音声しか聞こえて来ていないけど、この春から同じクラスになったバスケ部の男子が、実演を兼ねてスリーポイントシュートを披露するらしい。


 軽いボールの音と新入生の歓声が、みなこの耳朶を打つ。どうやら見事にシュートが決まったらしい。シュートを放った男子は、部員を確保出来たはずと安堵していることだろう。


 けど、ジャズ研だって負けていない。今日の演奏でしっかりとアピールは出来たはずだ。あとは、仮入部期間にやって来てくれた子に必死にアピールするしかない。


 ひび割れたコンクリートの外階段を降りていると、一陣の春の風がグラウンドの方から吹き抜けて、部員たちのスカートをわずかに持ち上げた。


 ――また新しい一年が始まる。新入生、イベント、合宿、大会。


 風が持ち上げたスカートの膨らみに詰まっていたのは、きっとそんな期待だ。



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