第8話 頼りがいのある背中

 滋賀から帰る電車の中で、みなこは里帆と航平と佳奈にメッセージを送った。練習が終わり次第、会いたい旨を伝える。知子とみちるの気持ちは、まずこの三人に伝えなくちゃいけない。他の部員に知らせるべきかどうかという判断はそれからだ。


 大きなアーチ屋根の向こうから西日が人波を照らす。JR大阪駅に降り立ったタイミングで、航平から着信が入った。転ばないように急ぎ足で人混みをかき分けて、四階の改札を抜ける。一息ついて、手のひらの中でヴァイブレーションを続けるスマートフォンを操作して電話に出た。


「もしもし」


「どうしてん、急に休んで」


「ごめん。大会前やのに」


「いや、それは別にええんやけど。集まりたいっていうことは、風邪とかじゃないんやな?……わざわざ呼び出すってことは何かあったんやろ?」


「うん」


 JRからの連絡橋を渡って、阪急のニ階コンコースへ出る。どこに集まってもらおうかと、考えながら、みなこは梅田駅の改札を入った。電光掲示板を見上げれば、雲雀丘花屋敷行きの電車が、ちょうど出発するところだった。それでも、ここから高校までは三十分ほど掛かってしまう。


「今、井垣と里帆先輩とおるんやけど、どこに行ったらいい?」


「今から阪急に乗るつもりやから……」


「阪急?」


「うん。今、梅田におって」


「梅田か。……ほんなら、川西能勢口に集まろか。この間、井垣と三人で行った店におるで」


「分かった」



 *



 みなこが店に向かうと、制服姿の三人はすでに席に着いていた。四人がけの席に里帆と佳奈が並んで座っていて、航平の隣だけが空いている。「おつかれー」と声をかけられて、みなこは躊躇する暇もなく航平の隣に腰を下ろした。


「何処、行ってたん?」


「ひ、彦根に」


「ひこね?」


 なんでそんなところに、と航平の眉が持ち上がる。思ったよりも彼の顔が近いことに気がついて、みなこはごまかすようにメニュー表を手に取った。


「私たちはさっき注文したで」


「はい。それじゃ……」


 店員さんを呼び、みなこはカフェラテを頼んだ。前も同じものだった気がするけど。メニュー表を元の位置に返したみなこに「なんで、わざわざ彦根なんかに?」と佳奈が訊ねる。


「横山さんに話を聞きに行ってて」


「清瀬ちゃんの思い当たる人っていうんは横山さんやったんか」


「はい。実は合宿の時、横山さんがみちる先輩を小さい頃から知っていることを聞いていたんです」


「それで彦根か。なんか分かったん?」


 航平の質問にみなこは頷く。店内に漂う甘い香りを吸い込んで、話すべきかどうかをもう一度だけ自問自答してみる。でも結論は変わらない。みなこは、みちるの過去と知子の思いを三人に伝えた。


「なるほどな……」


「みちる先輩の過去は横山さんに聞いたことやから間違いない。けど、織辺先輩の気持ちはあくまで私の想像やから」


「いや、辻褄は合ってると思うし、今の話を聞くとそれ以外の可能性が考えられへんようになったわ」


 温かいコーヒーを航平は口元へと運ぶ。ソーサーの横にはチーズケーキも並んでいた。すでに半分ほど食べられている。里帆も航平に同意するように頷いた。


「伊藤ちゃんが織辺先輩の願いに理解を示したのにも納得やな」


 どうやら、みなこの推測は受け入れられたらしい。ただ一人を除いては……。


「織辺先輩の気持ちは分かる。……分かるけど、一度決まっていたはずの伊藤さんを外すなんてことしなくてもいいんじゃないですか?」


 敬語ということは、その言葉は里帆に向けられたものだろう。「誰かのわがままのしわ寄せが誰かを苦しめるのは違う気がします」と佳奈は語気を強める。


「井垣の言うことも理解できるよ。けど、理由が判明した以上、この是非を決められるのは当事者の人たちだけやと思う」


「……それは織辺先輩の弾きたいっていうのが提案だった場合ですよね。もし、半ば強引に押し付けられたものだったら」


「それはそうやと思う。そうじゃないことを証明するためには、みんなの前でちゃんと説明をするしかなかった。けど、織辺先輩はそれを怠っていた。やから、井垣の言うことも理解できる。……けど、井垣やって織辺先輩がそういう人じゃないことくらい分かってるよな?」


「……はい」


「きっと、みちる先輩の過去も絡んで、織辺先輩自身の気持ちもごちゃごちゃになってしまってるんちゃうかな。最善の選択が出来なかったんはそのせいやと思う。」


「里帆先輩はまだ織辺先輩は説明をするべきやと思ってはりますか?」


「もちろん。どういう理由があろうとも、わがままを通そうとしたんやから、織辺先輩に説明責任はあったと思うし、私たちがその真相を突き止めたからって、それは今も変わらへんと思う。私らが間接的にみんなに説明するのはおかしな話やし」


 ただその前に、と続けて、里帆は三人に向けて可愛らしく目配せを飛ばした。


「まだ本当の気持ちを分かってない人がいる」


「本当の気持ちですか?」


 おどけた里帆の表情をじっと見つめながら、生真面目な表情をした佳奈の眉が怪訝そうにピクリと動く。


 佳奈の問いに答えたのは、里帆ではなくみなこだった。


「……みちる先輩ですよね」


「そう。織辺先輩や伊藤ちゃんの気持ちは分かった。けど、肝心のみちる先輩のことが分からない」


「私もそこが気になっていたんです。……みちる先輩は本当にこの判断を望んでいたのか分からなくて」


「でも、『Rain Lilly』を選曲したんはみちる先輩本人やろ。思い入れのあるこの曲を選べば、織辺先輩がこういう風に言い出すって想像できんかったんか?」


「その可能性はあると思うけど……」


 過去のみちるの反応から、そうであって欲しいとみなこも望んでいる。けど、そうじゃない可能性だって同時に存在しているのだ。そうだと言い切れない自分が歯がゆい。


 アクリルのケースに刺さっていた伝票を手に取り、里帆が席を立つ。


「憶測を話してても埒が明かんって。どう思っていたかは聞きに行ったらええやん。みちる先輩もここまで知られたらもう逃げへんと思う」


「え、今からですか?」


「今からってまだ六時過ぎやんか。私らは早上がりしたから、みんなまだ残って練習してるはずやで。それに大会まで残された時間はホンマに少ないから。……ほら、ぐずぐずしてないで! 行くで!」


 来週末に控えた全国大会。それが終われば、新たに彼女が部長になる。みなこたちを導くその背中は随分立派で頼りがいのあるものに見えた。

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