第8話 ハイタッチ

 みなこが控室テントに戻ると、部員たちがハイタッチをしていた。興奮気味の里帆に手をかざされ、みなこは躊躇しながらそこに手を重ねる。


「おつかれー」


「お疲れ様です」


 緊張からの開放とアドレナリンが出ているせいか、みんなやけにテンションが高い。少し離れたところで、航平が冷静に楽しげな部員の姿を写真に収めていた。


「みなこー、緊張したー」


 背中に抱きついてきたのは紛れもなく七海だ。「はいはい、お疲れ様」と机に置いてあったペットボトルを掴み七海の額に当てる。


「ひぃー冷たい」


「正面から見てたけど、緊張は感じひんかったで」


「みなこのこと見てたからやわー、奏のアドバイスのおかげ」


 どういたしまして、と言いたげに奏は肩をすくませた。その隣でめぐがぴったり奏の腰元にひっいている。


「奏の入りのベース良かったで。あーうちも早く演奏したい」


「次のイベントは一緒に出ようね」


 奏に髪を撫でられ、めぐの顔が柔らかく緩む。


 そんな話をしていると、知子が手を打ってみんなの注目を集めた。この手の音に部員たちはすかさず反応して、知子を中心に円を作る。


「みなさん、お疲れ様でした。限られた時間の中で、ベストなパフォーマンスが出来たと思います。二曲ともいい演奏でした。特に『Little Brown Jug』の冒頭は一年の二人から始まるとあって緊張したかもしれないけど、とても良かったです」


 真面目な顔つきで知子の話を聞いているが、褒められて七海の口元がわかりやすく緩んだ。みなこは肘で七海の脇を突いてやった。


「今日、ビッグバンドに参加出来なかった一年生も次の機会に向けて練習に励んでください。私は一人でも多くの部員と楽しい音楽の時間を共有したいから」


「はい!」


 声を重ねたのは今回出られなかった三人だ。その返事を聞いて、知子は少しだけ恥ずかしそうに頬を掻く。時折見せる彼女の本音こそが、部員たちの信頼に繋がっているのだと思う。 


「それじゃ本日は現地解散になります。興奮は冷めないと思いますが、帰り支度を始めてください。あと、ゴミなどは出さないように。自分のものはしっかりまとめて持って帰るようお願いします」


「あ、それと。マイ楽器じゃない子で、学校に楽器を置きに戻らない子は私に楽器貸し出しの申請するのを忘れないでね。楽器を学校へ置きに戻るんやったら川上先生が同行するから」


 みちるが最後にそう付け足して、部長の挨拶は終わった。知子は、隅の方でこちらを見ていた川上の方に視線を向けると、長い髪をなびかせてコクリと首をかしげた。


「川上先生なにかありますか?」


「うん。いい演奏やったで。今日は初めてのステージやった子もおるやろうし、そういう初々しさを上級生がしっかりカバー出来ていたと思う。……ただ『Rain Lilly』の方は、もっと改善が必要やな。もちろん、今やれる最高の演奏は出来てた。けど、あの曲で秋のジャパンスクールジャズフェスティバルに出るつもりなんやろ?」


「はい」


 返事をしたのはみちるだ。この曲目に決めたのは彼女。その目の奥にはなにか強い決意のようなものが潜んでいる気がした。


「やったらもっと練習しなあかんな。満足をすればそこで成長は止まる。東のあの曲にかける思いは本物なんやろ?」


 ほんの少し潤んだみちるの双眸は、深い海の底のような色をしていた。それを隠すように瞼が閉じられる。


「はい。秋までに自分たちのものにしてみせます」


 みちるの決意に川上は満足気に頷く。


「うん。それじゃ、今日はお疲れ様。自由行動やから最後まで会場を見て回ってもええけど、遅くなりすぎないように」


 そうして花と音楽のフェスティバルは無事に終了した。ステージが成功した安心と高揚感のせいか、みなこの頭の中から佳奈に関する小さな不安は不思議と消えてしまっていた。

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