第7話 花と音楽のフェスティバル

 そうして本番の時がやって来た。舞台袖にみんなが集まり円陣を組む。こうして円陣を組むのが宝塚南高校ジャズ研究会の伝統だった。その中心にいるのは知子だ。彼女はゆっくりと周りを見渡すと、ひとつ頷いてから手を打つ。


「まもなく本番です。新歓ライブから新入生の入部や中間考査などがあり、準備期間は限られた時間しかありませんでした。しかし、今日のこのイベントの為に積み重ねてきたものをしっかり出し切れるように、自分に出来る最高の演奏を目指してください。初めてステージに立つ子もいると思います。緊張するなとは言いません。でも、緊張よりも楽しさが勝る、そんなパフォーマンスを見せられれば、きっとお客さんに満足して貰えるはずです」


 知子の話を聞く部員たちの目は真剣だ。その様子を、同じく真剣な顔つきの航平がデジカメに収めている。知子の言葉は人を一つにする、そんな不思議な説得力がある。


「それじゃ掛け声いきます! 今日も素敵で楽しいステージを……! 宝塚南!」


「おぉ!」


 部員たちの手が一斉に振り上げられた。ステージ上では、司会の女性がこれから登場する宝塚南ジャズ研究会の紹介をしている。自分たちが呼び込まれるのを待つ間、部員たちの様子は三者三様、バラバラだ。手を打って自分を鼓舞させたり、緊張している子に声をかけたり。直前になりまた緊張し出したのか、七海は不安そうな顔をしたままスティックをぐっと握りしめていた。


 七海、奏、頑張って。そう心の中で声をかけ、みなこは急いで関係者通路を通ってステージ正面へと向かった。


 太陽がちぎれ雲に身を隠したせいだろうか、春の暖かさはピークを超えて会場はどことなくひんやりとした空気が漂っていた。もうすぐ訪れる夕刻の時が、一足早く会場中を飲み込んでしまったようだった。


 リハーサルで確認した位置にみなこは立ち、スマートフォンをステージに向ける。本来は高価なビデオカメラで撮影する方がいいのだろうけど、記録用としてはスマートフォンで十分だ。全体が画角に収まるようにポジションを微調整して、パフォーマンスが始まるのを待つ。


「それでは、本日のパフォーマンス最後のブロックのスタートとなります。宝塚南高校ジャズ研究会のみなさんお願いします!」


 司会の女性の呼び込みに合わせて、みなこは録画のボタンを押す。それと同時にステージの上袖から部員たちが一斉に飛び出してきた。


 ステージパフォーマンスの予定が詰まっているのか、知子の挨拶などはなくすぐに演奏の準備が始まった。アイコンタクトでコミュニケーションを取りながら、それぞれのポジションに着き、準備が整ったことを確認し合う。


 まず演奏するのは、ベース単独のメロディから音楽が始まる『Little Brown Jug』。つまり曲の入りは奏一人だ。入部して初めての舞台、曲の冒頭を一人で弾くのはかなり緊張するはずだ。だけど、奏は「選ばれた責任があるから」と言い切っていた。彼女のメンタルは計り知れない。ステージでは、中央に位置するみちるが指でカウントを取った。それに合わせて奏が演奏を始める。


 多くの人が聴き馴染みあるだろう伸びやかな低音のメロディ。多くの場合、ウッドベースで演奏されるこのフレーズだが、奏はまだ練習中のためエレキベースでの演奏だ。そこに静かな七海のハイハットが入ってくる。


 緊張して硬い演奏にならないか心配していたが、七海はしっかりと役割をこなしていた。スマートフォンの画面越しで七海と目があった気がした。奏のアドバイスに従っているらしい。


 そして、静かな八小節が終わり、誰もが知っている有名なサックスのメロディが重なっていく。そのメロディが流れ始めると、花壇の周りで話をしていた人たちの目が、ステージへと向いたのが分かった。単純ながら心地よいミディアムテンポのメロディが、春と夏の混じりあった空気の中に溶け込んでいく。柔らかい音の粒が、風に揺れる花々の上でダンスをしているみたいだ。


 軽やかなサックスのメロディを支えるのはトロンボーンの低音。トランペットが震わせる音は、酒に潰れ金も友達も失ったと思えないほど陽気で明るいリズムを奏でる。


 知子がピアノを弾ませた。そのパッセージを合図にするように、佳奈がスッと前に出ていく。嫌がっていたはずだが、ステージに立つ彼女の表情は凛としていた。タッキングと伸びやかなビブラートを使いこなし、圧巻のソロを涼しい顔で演奏してみせる。つい先日まで中学生だった少女とは思えないその姿に、ステージに注視していた客から拍手が起こった。


 曲はトロンボーンの主線を通過して、トランペットのソロへと移っていった。佳奈と入れ替わりで前に出てきたは美帆だった。今日は髪を下ろして大人しめの髪型だ。おしとやかさが出ていて可愛らしい。唸るトランペットのソロを姉である里帆のサックスが上手く支えている。双子の姉妹とあって息はぴったりだ。


 曲も終わりに差し掛かり、最後にトロンボーンのソロへ移っていく。これまで下級生がソロを担当していたが、前に出てきたのは三年生の建太だった。彼は七海が入部するまで唯一ドラムの出来る部員だったため、その辺りが考慮されているのかも知れない。彼は美帆とハイタッチ交わし、何か声をかけた。美帆は恥ずかしそうな顔をして、すぐにポジションへ戻る。


 スタッカートでアクセントをつけながら、トロンボーンが軽やかに唸る。酒で何もかも忘れてしまった夫婦の最後の高笑いだ。気づかないうちに、周りから手拍子が聞こえていた。ステージの方を向く殆どの人が身体でリズムを取っている。ステージ上の部員たちも緊張より楽しさが勝りはじめ、笑顔が目立ち始めた。


 トロンボーンのソロが終わり、曲は最後の局面を迎える。膨れて上がった盛り上がりが知子の静かなピアノに集中していき、素早く動かされる彼女の指から細かな音の粒が弾き飛ばされた。その音の一粒一粒が、花から花へ飛び交う蝶のように気ままに、しかし確実に曲を終わりへと導いていく。最後の一瞬、一気に金管が加わり、曲はピークと共に終わりを迎えた。


 会場から拍手が起こる。


 その拍手の中、しっかりとお辞儀をして、新入生部員たちは舞台袖にはけていく。楽器を移る上級生はポジションを変え、足早に次の準備が進められた。間髪入れずに『Rain Lilly~秋雨に濡れるゼフィランサス~』が始まる。


 序盤のピアノの難解なメロディを、知子はまるで簡単な作業のように演奏してみせる。細やかな音符の短いフレーズを綱渡りするように軽やかに渡っていく。そこへ一斉に金管が加わった。一瞬、盛り上がりを見せたかと思えば、すぐに鳴りを潜め、サックスのフレーズへ切り替わる。そうして曲は、何度も何度も表情を変えていく。


 部室でCDを聞いた時、かなりの難易度の曲だと思った。その所感は正しく、手渡された楽譜を見てみなこは驚いた。ビッグバンドのギターはリズム隊としての役割が強く、そこに集中していればいい。だけどこの曲は違う。目まぐるしく変わる色合いの中に、何度もギターが目立つシーンがある。すぐに変わる秋の空のような複雑な構造。果たして秋までに自分はこれを弾けるようになるのだろうか? そう疑ってしまうほど難解なものだった。


 楽譜に書いてあった作曲者は漆崎うるしざき日菜子ひなこ。珍しく日本人の名前ともあってすぐに覚えられた。ジャズに詳しそうな沖田姉妹が知らなかったのは、この曲が近代の曲であるせいだろう。ジャズのスタンダード・ナンバーは、十九世紀か二十世紀初頭の曲たちがほとんどだ。


 そんなことを考えていると、また一斉に拍手が起こった。部員たちはステージの前方に出て手を繋ぐ。みちるが舞台袖に引いた七海たちを呼び込みそこに加わった。カーテンコールにまた拍手が送られる。


 みなこもスマートフォンの録画ボタンを止めて拍手を送った。こうして拍手を貰っている七海たちを見ると、「早く自分もステージに立ちたい」という気持ちが湧いてくる。


 部員が袖へと消えていき、すぐに次の団体のステージパフォーマンスが始まった。吹奏楽部が強いことで有名な私立の高校だ。宝塚南のパフォーマンスの時よりも、お客さんが増えた気がする。軽快に鳴り響くトランペットのメロディに耳を傾けつつ、みなこは控室テントの方へ向かった。

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