第3話 両手に妹。どっちを選んでくれますか?

「兄妹における最高の関係、ですか……」

「兄妹における最高の関係、かぁ……」

 そんな呟きが静まり返った室内に響いたかと思うと、それを発した本人達である菫と椛は、お互いにハッとした様子でお互いの顔を見た。

「な、なんですか椛? もしかしてレポートの作成に苦戦しているのですか?」

「お、お姉ちゃんこそ、さっきから手が止まりっぱなしだよ?」

 そしてどこか気まずい感じの笑顔を浮かべながら、まるでお互いに牽制し合っているかのように、そんな言葉を交わす姉妹。……まあ実際に牽制しまくっているわけだが。

 さて、この二人が何をやっているのかというと、それぞれ編集長の涼花と副編集長の初葉から課せられた仕事——「妹が絶対に負けないラブコメ」を作るために「兄妹における最高の関係」とは何かを模索するレポートを作成しているところだった。

 編集部を後にして家に帰った二人は、当初意気揚々とその課題に取り組んだ。

 なにせテーマがテーマだ。心の底から「兄」を愛している二人にとって、そんなレポートは朝飯前どころか実に楽しい作業でしかないと思われた。

 事実菫は、

「兄妹における最高の関係? そんなのは決まっています。妹はお兄さんを心からお慕い申し上げ、お兄さんはそんな妹を心から慈しむ。これ以外にありません。それこそが私とお兄さんのあるべき関係なのです。妹はお兄さんを甲斐甲斐しくお世話し、お兄さんはそんな健気な妹を褒める……。たとえば『お兄さん、制服にシワができていましたのでアイロンをかけておきました』『ありがとう。菫は気が利くな。まるで新婚の奥さんみたいだ』『お、奥さん!? そ、そんな、私は妹として当然のことをしただけで……』『……菫は、俺の奥さんになるのは嫌か?』『嫌なわけがありません!』という風に!? つまり兄妹における最高の関係というのは、夫婦関係に通じるわけですね!?」

 などと意味不明なことを言いながら、よだれが垂れそうなくらい惚けた顔になり。

 一方で椛も、

「兄妹における最高の関係とか、そんなのラブラブなのに決まってんじゃん。妹はお兄ちゃんに思いっきり甘えて、お兄ちゃんは妹のことをとことん可愛いがるの。なんていうのかな? ほ、ほら、恋人みたいな関係ってよく言うでしょ? そんな感じで、たとえば『お兄ちゃんお兄ちゃん、えへへ……』『なんだ椛、今日はやけに甘えてくるな』『だってだって、お兄ちゃんのことが大好きなんだもん。もしかして、イヤだった?』『そんなことあるはずないだろ? でも、なんかさっきから柔らかい感触がするから、ちょっと恥ずかしいというか……』『も、もう、お兄ちゃんのエッチ……』みたいな!? あ、あたしはそういう展開になっても全然OKだけど!? むしろ望むところだし!?」

 などと、これまたわけのわからないことを口走りながら、真っ赤な顔でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 まあ、なにはともあれ、とにもかくにも、そんな感じで二人はこの課題を楽しくこなそうとしていたのだが——……結果的にはそうはいかなった。

 というのも、ひとしきり妄想を楽しんだ後、冷静になってよく考えてみると『兄妹における最高の関係』とは何かという問いに、上手く答えられない自分がいることに気がついたからだ。

 兄と結ばれたい。想いを受け入れてもらいたい。そして幸せになりたい。

 そういった漠然とした思いはあるけれど、最高の関係といわれると、ハッキリとした答えが出てこない。そこで初めて、このレポートがなかなか難題だと気がついたのだ。

 自分の部屋でレポート用紙を前に唸っていた二人。やがてお互いの進捗状況が気になり、一緒の部屋で作業をすることになったが、相手も進んでないことに安堵しつつも、結局自分もどうしたらいいかわからない。そうして互いに頭を抱えながら、今に至る。

「……椛、レポート用紙が真っ白ですよ。何も思いつかないのですか?」

「べ、別にそういうわけじゃないし。っていうか、真っ白なのはお姉ちゃんもいっしょでしょ!」

「わ、私は頭の中で考えをまとめている真っ最中なんです!」

 そんなことを言い合いながら、互いに苦戦中であることを誤魔化す姉妹。

 弱みは見せられない。なぜなら、このレポートに関しては、兄が大好きな妹として。決して相手に負けるわけにいかないからだ。

 菫と椛は仲良し姉妹だが、その一点だけは決して譲れないライバル同士。だから兄がテーマのレポートで苦戦しているなんて、そんなことを言えるわけがないのだ。

「わ、私は今ちょうど考えがまとまりましたよ。がんばるお兄さんを妹が支えるというのが最高の関係ですね。そ、そう、いわゆる内助の功に通じる精神です!」

 だから、菫は苦し紛れにその場で思いついたことを思わず口にしてしまう。

「あ、あたしも今わかったよ。お姉ちゃんとは逆で、甘える妹をお兄ちゃんが可愛がるんだよ。で、妹は甘えながらお兄ちゃんを癒すっていう、まさに最高の関係だね!」

 すると椛も負けじと、そんなことを言い返す。

「あ、甘えてばかりではお兄さんに迷惑ではありませんか! お兄さんのお力になることが妹の務めです!」

「きょ、兄妹ってそんなもんじゃん! 年下の女の子に甘えられるのってうれしいって書いてあったし! ……まあ、同じ学年のくせに妹って言い張ってるお姉ちゃんにはわからないかもだけどさ」

「な……っ!? わ、私もお兄さんより数ヵ月後に生まれたんですから年下の女の子です! 学年で区別するなど不合理じゃないですか!」

「ちょ、涙目にならないでよね!?」

 適当に口走った考えを基に口論を始める二人。内容はグダグダだが、そんなことはどうでもよかった。とにかく兄に関することで引き下がるわけにはいかないのだから、内容なんてこの際関係がなかったのだ。

 ギャーギャーワーワーと、姉妹は口論を続ける。だがやがて、どちらともなく押し黙ると、次の瞬間キッと睨み合った後、勢いよく部屋を出てある場所へと向かった。

 こういう時に二人が向かうところは一つしかない。

 もちろん、最愛の兄である隼人の部屋である。

「「(お兄さん)(お兄ちゃん)どっちを選ぶの!?」」

「うわっ!? な、なんだ急に!?」


 そして数分後。

「……兄妹における最高の関係のレポートねぇ……」

 なぜか隼人は菫に膝枕されながら、当時に椛に膝枕をするという謎の姿勢でそんなことを呟いていた。もちろんこれは、あの後起こった姉妹喧嘩の結果だ。兄を支える妹を推す菫と、兄に甘える妹がいいと主張する椛とのケンカを、隼人がなんとか(苦労しながら)収めたら、こんな意味不明なことになってしまったのだ。

「なるほど、編集部からそういう課題を出されたってわけか……」

「お兄さんはどっちの方が正しいと思いますか?」

「お兄ちゃんはどう思うの?」

 なにはともあれケンカの原因を知った隼人は、姉妹にそう問われて困ったような顔になる。なぜなら、そんなこと訊かれても隼人にもわからないからだ。

 ……しかし、

「そ、それはよくわからないけどさ……。でも兄妹っていうんなら、俺は今の俺達が最高の関係だと思ってるけどな」

「「え?」」

 隼人の言葉に、姉妹はキョトンとした顔をする。

「だってほら、今はこうやって二人が妹として傍にいてくれるだろ。今までのことを考えると、俺はそれだけで最高に幸せだしな……」

 そう言って少しだけ寂しそうに笑う隼人に、姉妹はハッとする。しかし隼人はそれに気づかず続けて、

「それに、二人も俺のことを家族として迎え入れてくれてるし、俺にとってはこれ以上の『兄妹における最高の関係』ってのは思いつかないかな」

 でもまあ、こんな考えはレポートには使えないだろうけど、と隼人は苦笑する。

「ま、まあ、あれだ。とにかくレポートの件は大変だろうけど、ケンカはやめてくれってことで、な? それぞれ考え方はあるわけだし」

 隼人はどこかおっかなびっくりといった感じで、二人の顔色を窺いながら言う。

 だが姉妹は無言で顔を見合わせると、こくりと頷き合ってこう返した。

「安心してくださいお兄さん。そのことについては、もう争ったりはしません」

「うん。答えはもうわかったからね」

「え? そうなのか? ……よくわからないけど、ならよかったよ」

 隼人はなんのことかわからないという表情だが、姉妹はそんな隼人の顔を覗き込んで、本当に幸せそうな笑顔を見せた。

 兄妹における最高の関係——それは『そこにいるだけでお互いが幸せになれる関係』だと、さっき隼人から教えてもらった。そして、今こうやって実感できている。

 本当は、隼人にはどちらかをハッキリ選んでほしいけど、でもそんな幸せな答えを教えてもらったんだから、今はそれで満足しよう。

 二人はそんなことを考えながら、レポート作成作業に戻る前に、もう少しだけ隼人の温かな感触を楽しむのだった。


 ちなみに、

「ところで、この調子でこれからはケンカは控えてほしいんだけど……」

「あ、申し訳ありませんがそれはお約束できかねます」

「こればっかりは避けられない争いだからね」

 その後、隼人のそんなささやかな望みは姉妹に一蹴され「なんでだ……!」という愕然とした声が響いたことについては、これ以上語らないでおいた方がいいだろう。

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