第25話

夕食の時間よりも少し早めに宿に着いた健二と琴美は、玄関先で女将達の挨拶を受けた。


琴美は出来るだけ容姿が分からないように伊達眼鏡をかけ、パーカーを羽織っていた。


健二が彼女達の挨拶に1人で対応してくれたおかげで、琴美は顔を伏せて中に入る事ができた。


(この人が女将さん。)


琴美は下を向きながらではあるが、はっきりと女将の顔を見た。

整った顔立ちの、着物が良く似合う落ち着いた感じの女性だった。


2人は庭園が見える小部屋に案内された。

仲居の話では、この部屋は一番人気があるらしい。

彼女はテーブルの上にあらかじめ用意されていたお茶を入れ終わると、一旦部屋から出ていった。


「立派な旅館だなぁ」

健二は庭を眺めながら言った。


敷地面積だけでもかなりの広さだろう。


「あの女将さんが1人で切り盛りしてきたなんて。。息子が戻って来て一番喜んだのは彼女かもしれないわね」


美苗さんと稲尾の間に萌ちゃんが産まれて来なければ、彼が此処を出ていくことは無かった。

琴美は友似から聞いた話を思い出していた。


女将さんは美苗さんや孫である萌ちゃんが亡くなった事は警察から知らされているはず。


ひょっとしたら息子の稲尾を庇っている?

だから彼を自分の旅館で働かせている?


琴美が色々と考えていると、先程の仲居が前菜を持って入ってきた。

この旅館は1人の仲居が同じお客を担当する事になっているようだった。


食事は前菜から順番に運ばれてくる懐石料理になっていた。


健二と琴美は暫く食事を堪能し、デザートのタイミングで、板長に挨拶がしたいと申し出た。


何も知らない仲居は、

「少しお待ち下さい。呼んで参ります」

と言って部屋を出ていった。


稲尾は私を見てどういう態度に出るだろう。琴美は閉じ込められた時の記憶が脳裏に浮かんできて、心臓の音が高鳴りだした。


一方で健二は携帯をかけて、外で待機をしている部下達に指示を出していた。


暫くすると廊下から足音が聞こえてきた。


「失礼致します」


声と同時に、長身の男性が引き戸を開けて入ってきた。


「板長の稲尾と申します。

この度は我が旅館にお越し頂きありがとうございます」


そう言い終わると御辞儀をしていた頭を上げた。


男性は琴美の方を見て、一瞬ギョッという顔をした。


琴美もまた、彼の顔を見てはっきりと倉庫で見た男であると確信したのだった。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鍼灸師琴美の事件簿 小久保 さち @shintuk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ