第2話 ~密室でのお約束~

 Fantasy Battle――通称『FB』の愛称で親しまれているゲームは、今やオリンピック種目として採用されているeスポーツの代表格、運動部における野球やサッカーのポジションを担っている。


 時代の流れに従って日本の中学や高校でも全国大会が開かれており、一定数の学校には部活が存在している。ビッグタイトルでありながらも、その数がある程度に留まっているのは、ひとえに初期投資によるものらしい。


 FBはフルダイブ型と称されるゲームの一種であり、プレイ中は自身の意識を完全にゲーム内へ移行シフトする。ゲーム機自体は携帯型なのだけれど、プレイヤーの安全確保のため、特に学校のような公共の場でプレイするには没入装置カプセルが必須とされていた。これがなかなかに値の張る代物だそうで。


 結論、新設しようとしても簡単に認可される部ではないと高を括っていたのだが……


「まさか廃部になっただけで、備品がそのまま残っているとはな」


「本当に知らなかったんですね。わたし、結構派手に部員を探していたんですよ?」


「誰も彼もが自分を認識してくれるなんて、思い上がらないことだな。君はもっと周囲に目を向けたほうがいいぞ」


「何故その台詞を堂々と言えるんですか!? 不知火くんにだけは言われたくないんですけど!」


「お、ここが部室か。ほら、鍵の出番だぞ」


「すぐに無視するんだからぁ!」


 白雪は喚きながらも、陽姉から託された鍵を使って扉の封印を解こうとする。

 峯ヶ崎学園は四階建てであり、文化系の部室は最上階にまとめられている。その中でも最端に位置する場所に元――否、新FB部の部室が存在していた。


「むむ~……あ、開きました!」


 長年放置されていた影響か、時間がかかったものの無事に開錠を済ませた扉を一気に開ける。光が遮られた薄暗い室内へ白雪は躊躇なく侵入し、一直線に窓際へと辿り着くと閉じられていたカーテンを開け放った。


 夕日によって照らし出された空間は、まるで時間が停止したかのように様々な物が残されたままだった。特に目を引くのが、中央に鎮座するこたつ机。なぜこたつ?

 後は観戦用と思しきモニターやホワイトボードといったFBに関係しそうな物から、電子レンジや冷蔵庫のように普通の部室には不要なはずの生活必需品が完備されていて。


 部屋の造り自体は他の教室と同じはずなのだが、圧倒的な生活感が溢れ出していた。


「なんか、人が住んでいたみたいな充実っぷりですね」


「……そうだな」


 感心した様子の白雪とは対照的に、俺は妙に納得していた。

 寝食を忘れるほどに没頭していたのであろう、かつての部員たちの気持ちが、熱意が、ひどく理解できたから。


「ほほう、これが没入装置カプセルなんですね?」


「なんだ、使ったことないのか?」


「そうなんですよ。今まで自室以外からダイブしたことが無いものでして」


 白雪は埃にまみれた、人一人がゆうに収まる灰色の装置を物珍しそうに眺めている。その姿が少し意外だった。

 部活を立ち上げようとするくらいだから、FB歴は長いとばかり考えていたが、案外初心者なのだろうか。……聞いた方が早いな。


「君はFBを始めてどのくらいなんだ?」


「おやおや、どうしたんですか? ようやく、わたしに興味が出てきたんですか? なんでしたらスリーサイズから教えましょうか? 教えませんけどね!」


「言いたくないなら黙ってろ」


「遠慮に見せかけた暴言は止めてください! 言いますからぁ! 春休みに始めたばかりです!」


 大体一か月くらいか。それならカプセルを見たこともないのも、FB部がない峯ヶ崎学園へ入学したのも合点がいく。


「災難だったな。せめて半年早ければ、元々部のある高校も選べただろうに」


「あはは。まあ、色々ありまして」


 変わらずに笑顔のまま、それでいて困ったような表情を浮かべる。

 色々……か。天真爛漫と呼ぶにふさわしい彼女にも、彼女なりの事情があるのだろう。知り合って間もない俺の知るところではないけれど。


「よかったな。部が認められて」


「ふぇ? ど、どどどど、どうしたんですか。不知火くんから、まるで普通の人みたいな気遣いを感じるんですけどッ!?」


 あからさまに狼狽えるとは失礼な奴だ。君がらしくない顔をするから、慰めてやったというのに。


「あのな、君は俺をなんだと思っているんだ」


「う~ん、孤独を愛する非道な畜生……でしょうか」


「よく分かっているじゃないか」


「いだだだだだっ! 痛い、痛いですッ! 当たっているなら、こめかみをぐりぐりしないで下さい! これ以上馬鹿になったらどうしてくれるんですか!」


「安心しろ。君は既に底なしの馬鹿だ」


「にっしっし、それほどでもぉ……ないですからね!? 危うく騙されかけました! それよりも、早く没入ダイブしましょうよ!」


 俺の束縛からするりと抜け出して、自分の鞄を漁り始めた。そんな白雪の肩を後ろから掴むと、疑問符を浮かべながら振り返る。

 

「ほぇ? どうかしましたか?」


「待て。それより先にすることがあるだろう」


「……先に……すること?」


 胸の前で腕を組み、思い当たる節がない風に逡巡したかと思えば、急に顔を真っ赤にして後ろへと飛び退いた。何事だ?


「そ、そそそそ、それは困ります! 二人きりだからって急すぎますよ!」


「確かに二人だと大変かもしれないけれど、今後のことを考えれば今のうちに済ませた方がいいだろう」


「今後のこと!? 不知火くんはそれほどに覚悟を持っているんですか!?」


「ああ、俺は自分の言葉には責任を持つ」


「責任を持たれてしまいました! で、でも、流石にちょっと時間を下さい。即答はしかねます!」


「いいや、すぐに答えろ。というか、君には肯定以外の選択肢は無い」


「……とんだ肉食系男子じゃないですか。わかりましたよ! さあ、どんとこいってんです!」


 何故か一世一代の決意を示すように力強く宣言すると、きゅっと目を閉じてやや顎を持ち上げた。……そういうことか。

 俺はキス顔をさらす耳年増を放置して、部屋の隅に設置された縦長の箱から目的の道具を二人分持ち出す。


「あ、あの~、まだですか? いきなり焦らしプレイとか高等過ぎませんか?」


「そんなことより手を開け」


「なるほど! 指を絡めながらが理想なんですね! もう~おませさんなんですからっ!」


 ノリノリで両手を差し出す白雪。こいつの貞操観念は大丈夫なのだろうか。詐欺とかにもほいほい引っ掛かりそうだ。


「ほれ」


「んん? 不知火くんの手、随分と太くて長いですね」


「いい加減目を開けたらどうだ。悪ノリにしても引っ張り過ぎだ」


「ほぇ?」


 白雪はようやく目を開くと、手にしている太くて長い物体――すなわち、箒とちり取りをまじまじと見やる。最初はポカンとしていたけれど、意図を理解するとまたもや頬を赤く染める。まあ、さっきまでの行動を思い返せば、そうなるのも当然だろう。


「だ、騙しましたねッ!? わたしの純情を返して下さい!」


「勝手に勘違いして、勝手に盛り上がっていたのは君だろうに」 


「だって男女が二人きりで密室にいるんですよ! キス以外にすることなんてないでしょう!?」


「掃除をするんだよ」


「そうなんでしょうけど! わたしは準備万端だったのに! 据え膳食わぬはなんとやらですよ!?」


「ハッ。そんなもの、どこにも見当たらなかったがな」


「なんですと!? 言ってはならないことを言いましたね! わたしでは魅力不足だと! いいでしょう、自慢のスリーサイズを聞いても無関心を貫けるのか確かめて差し上げます! 耳をかっぽじって聞くがいいです!」


「キャンキャン喚いていないで、手を動かせ手を」


「って、もう掃除を始めてる!?」


 耳に届く戯言を聞き流しつつ、埃まみれとなっている室内の清掃を開始する。その様子を見て、白雪は意外にも素直に床を掃き始めた。


「……白雪」


「わかってますよ。これからお世話になる場所ですもんね。頑張って綺麗にしましょう!」


「いや、そうじゃなくて。床は最後にしろ。上の方から順々に、が基本だろう」


「まさかのダメだし!? 我ながらいいこと言ったと思っていたのに!」


 ◇ ◇ ◇


「とりあえずはこれくらいか」


「うぅ~、まさか不知火くんが清掃奉行だとは思いもしませんでした」


 しっかり雑巾掛けまで終えた室内は、一時間前とは見違えるほどに綺麗になっていた。不要な物も袋にまとめたので、これは下校時に廃棄すればいいだろう。

 一方で白雪はこたつ机に突っ伏しながら、ふくれっ面でこっちを睨んでくる。一体何が不満なのやら。むしろ逐一指示を出す羽目になった、俺の身になって欲しいものだ。


「疲労困憊といった様子だな。今日はもう解散にするか」


「何を言っちゃってるんですか! 文句を噛み殺して掃除に付き合ったんです、今度はわたしに従ってもらいますからね!?」


「ふむ、どうにも君は記憶力にも難があるようだな。俺の指示にぶつぶつ小言を抜かしていた人間の台詞とは思えないが」


「さ、もうすぐ下校時間です! 迅速かつ早急にダイブしましょう!」


 俺の言葉を完璧にスルーし、今度こそはと意気込んで鞄からデバイスを取り出す。


「……君は本当に良い性格をしてるな」


「にっしっし、それほどでも」


 屈託なく笑う彼女は、果たして皮肉を理解しているのだろうか。……気づいていないだろうな。


「よし、準備完了です! 不知火くんは暁先生の『リアテンド』を使うんですよね?」


 そう言う白雪は鞄から取り出した首輪型の小型端末――リアテンドを既に装着していた。


「ああ、俺には手持ちがないからな」


 答えながら職員室で陽姉に託された端末を取り出し、白雪に倣って首元に端末を巻き付ける。数年ぶりに感じる、機械特有の冷たさが嫌に懐かしい。


 FBに限らず、フルダイブ型のゲームをプレイするためには、この『リアテンド』が必須である。首元から特殊な電波を発生させることで仮想世界への没入ダイブのみならず、視界に文字や映像を映しだす拡張現実をも可能とし、発売当時は最先端技術の結晶と呼ばれていたらしい。


 通信料さえ支払えば電話やメールの機能も解放されるので、ゲーマーに限らずリアテンドの普及率は高い。普段ゲームをしない陽姉が所持しているのも、連絡手段として使用しているからに他ならない。


「じゃあ、今後はどうするんです? 流石に毎回借りることは出来ませんよね?」


「明日にでも買いに行く。部活動の初期費用は用意してあるからな」


 どの部活動に所属することになろうとも、ユニフォーム等々購入することを踏まえて、多少の金は用意していた。まさかリアテンドを買い直す羽目になるとは想定していなかったけれど。


「あ、だったら一緒に行きましょう! 丁度、わたしも買いたいものがあるんですよ」


「どうして休みの日に君と行動を共にしないといけないんだ?」


「辛辣ッ!? 不知火くんは一々ナイフを振り回さないと会話ができないんですか、呪いの一種ですか!?」


「安心しろ。今のは俺の本心だ」


「むしろ呪われていてほしかったですよぉ! もういいです! 早くダイブしますよ!」


 いい加減痺れを切らしたように、壁際に並べられた三台の没入装置カプセルの内、一番近場に設置されたものへと身体を滑り込ませる。


「使い方は分かるのか? 右手側にあるスイッチを押せばドアが閉まるから、後は普通にFBを起動するだけだからな」


「そうやって急に親切になるのはギャップ萌えを狙っているんですか? いや~、なんだかんだ、わたしの好感度を稼ごうと必死なんですね!?」


「…………帰るわ」


「ああ!? ごめんなさいごめんなさい! 調子に乗ってごめんなさい! 不知火くんが帰ったら、今日の『目的』が果たせなくなるんですよ」


 カプセルからひょっこり顔を出した状態で、慌てふためく姿は滑稽である。ちょっとした冗談のつもりだったんだが、本気に見えたのだろうか?

 帰るはずがないだろうに。目的を達するまでは。


「それにしても、一戦で分かるものなんですか? その、不知火くんの『問題』とやらは」


 ――目的。それは不知火颯が抱える、FBでの致命的な『問題』を彼女に認識させること。


「ああ。君が俺より圧倒的に強ければ気づかないかもしれないが……心配には及ばない」


 たとえ三年間のブランクがあろうとも。

 積み重ねたあの時間が、すべて消え去ることはない。

 

 忘れたくても、忘れられない記憶があるように。


「結構な自信がおありのようで。自分で言うのも何ですが、わたしも結構強いですよ?」


「話半分に聞いておこう」


「既に信頼度が低い!?」


 軽口の叩き合いもそこそもに没入装置へと潜り込み、リアテンドからFBを起動する。彼女の言葉の真偽はさておき、実力が如何ほどであったとしても思い知ることになるだろう。


 ――俺がFBプレイヤーとして、いかに欠陥品かということを。

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