第3話 ~待機空間〜

 まるで眠りから目覚めるかのように、ゆっくりと意識が覚醒する。


 Fantasy Battleを起動するとプレイヤーの意識は完全に現実から隔離される。そうして最初に訪れることになるのが、待機空間ステイルームと称される場所である。

 待機空間はFBにおけるメニュー画面のような役割を担っており、ここで遊び方を選択することで専用の空間が再構築される仕組みだ。


 ちなみに、待機空間のレイアウトはカスタマイズが可能であり、基本的には没入に使用したリアテンドのデータが読み込まれる。しかし没入装置からダイブした際には、カプセルに設定されている内装が再現される……のだけれど。


「お待たせしました……って、凄いですね! まさに瓜二つというやつです!」


 俺から数十秒遅れて現れた白雪は、待機空間のレイアウトを見て驚きの声を上げる。

 それもそのはず。なにせ、没入装置に残されていたデータは現実の部室を完全に再現していたのだから。


 流石に窓や扉は無かったが、机やモニターのみならず家電類まで同一のものが設置されている。FBには味覚再現システムが導入されていないので、電子レンジや冷蔵庫の存在に意味はないのだが。


「珍しく君と同意見だ。凄く無駄な努力に驚愕せざるを得ない」


「さも、わたしがOBを貶したかの言い振りをしないで下さい! 感心しただけですから。それよりも不知火くんの格好の方が、違和感満載ですからね!?」


 白雪の指摘を受けて、改めて自分の姿を確認する。現実での制服とは違い、今は白色のシャツと黒色のハーフパンツといった、いかにも『初期アバター』と呼ぶに相応しい格好に変わっていた。


 確かに、部室を忠実に再現したこの空間には適していない……か? 生活感が溢れすぎていて、学内だという感覚が薄いんだが。


「仕方がないだろう。暁先生はFBプレイヤーじゃないからな」


「ちっ。女装姿が拝めるかと思っていたんですけどね」


「しれっと恐ろしいことを口にするな。お互いにデメリットしかないだろうが」


「そんなことありませんよ! 少なくとも、わたしは楽しいです。不知火くんのスカート姿なんて、想像しただけで笑いが込み上げてきます」

  

 くっくっく、と悪い魔女のような笑いを零す。……理解できないな。単純に気色が悪いだけだと思うけれど。


「そういう君は変わり映えしないな」


「あれあれ、私服を期待してました? しちゃってましたか? 残念、制服でした!」


「……うざ」


「それシンプルに傷つく奴!」


 自分のリアテンドを使用している白雪は、あらかじめ設定していたのであろう峯ヶ崎学園の制服に身を包んでいた。容姿も含めてリアルと寸分の違いもない外見である。


 FBの公式大会では開会式等のイベントが専用の待機空間で開催される都合上、全学校の制服がアバターとして用意されている。普段から着用する義務はないのだけれど、部活に対する意識の高さが見て取れるな。


 それはさておき、無駄口を続けていても仕方がない。俺は意識を集中してメニュー画面を呼び出した。すると手元に半透明のウィンドウが出現する。


「一対一の決闘モード、スキルはオールセレクトで問題ないな?」


 右手で画面を操作しながら、白雪に問い掛ける。


「オッケーです! こうしてフレンド対戦をするのは初めてなので、なんだか緊張しますね~」


 その気持ちは分からなくはない。対戦相手が無差別に選定されるランダムマッチと比べて、見知った相手との対戦は特別感があるものだ。


「……よし、申請したぞ」


 ルール選択を終えて、白雪へと対戦を申し込む。後は彼女が『受諾』を選べば戦闘用のフィールドへと切り替わるはずだ。

 だというのに、いつまで経っても周囲に変化が見られない。


 ――否、原因は明らかだった。


「……白雪?」


 申請画面に指を向けた状態で微動だにしなくなった白雪を不審に思い、声を掛ける。すると伏せていた視線をゆっくりと持ち上げて。


 出会ってから初めて、感情を消し去った表情で、声色で――


「不知火くんは、大丈夫ですか?」


 俺の心に、問い掛ける。


「わたしだけ舞い上がっちゃってましたけど、あなたがFBを辞めたのにも理由があるんですよね。今からすることは……不知火くんの『問題』を知ることは、辛いことなんじゃないですか? もしそうだとしたら――」


「気にするな」


 はっきりとした口調で台詞を遮ると、白雪は僅かに目を見開いた。俺は続けて言葉を重ねる。


「君の予想通り、俺の問題はFBから離れた理由そのものだ。口で説明することだって出来る。それでも実際に対戦して教えようとしているのは、俺の意思に他ならない。だから、君が気にする必要はない」


 すべては俺の都合なのだ。

 見聞ではなく体験で突きつけようとするのも、疑いの余地を残さないため。無駄な疑惑を抱かれるくらいなら、決定的に証明する手段を選ぶ。効率を考えれば当然の選択だ。


「というか、調子が狂うから気を遣うなんてことは止めてくれ。君に真顔は似合ってないぞ」


 相当に予想外だったのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になったかと思えば、次の瞬間にはだらしなく頬を緩めた。


「にっしっし。なるほどなるほど。不知火くんはわたしに笑っていて欲しいと、そういうことなんですね! 意外と可愛いところあるじゃないですか~! ツンデレなんですね!」


 わざわざ近寄ってきて、このこの~と肘で小突いてくる。仮想空間なので痛みは感じないが、鬱陶しいものは鬱陶しい。


「……………………」


「もう、恥ずかしいからって黙らないで下さ――って、不知火くん!? 顔が! おおよそ形容出来ない形相になっちゃってますよ!? 謝りますから! わたしが悪かったですから! お願いですから元に戻って下さい~!」

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