短編集【癖】

@jmry

第1話 A型夫婦

「おはよう」


「おはよう。」


「コーヒー 、 のむ?」

無類の珈琲好きの妻が起き抜けの僕に向かって聞いてくる。


毎朝のルーティーンだ。


そして僕は「いらないよ、ありがとう。」と、応える


これも毎朝のルーティーンだ。


こんなやりとりをもう10年、続けている。


付き合って直ぐに結婚したが、10年経つ今でも


子供はいない。


でも全く後悔は無い。


妻は美人なのに嫌味の無い、思いやりあふれる人だからだ。


結婚当初は、前の職場の先輩や上司、友人に散々嫌味を言われた。

「お前なんかすぐ飽きられて浮気される」とか

「ぜったい保険金詐欺だ!」とか

挙句「A型同士だからダメ。」なんて言われたりもした。


それでも10年とても仲睦まじくやっている。


ざまぁみろ!


でも、言われている当初はやはりどこか不安だったのか

仕事中もピンク色のあらぬ疑いの妄想を脳内で繰り広げていた。


そんな事もあって7年前にサラリーマンを辞め

フリーランスとして在宅勤務に切り替えたのだ。


お陰で愛する妻とはトイレ以外の24時間365日

一緒にいる事ができる。


[本当はトイレも一緒で良いくらいだ]


たまに声に出して言うと


「やだ、ヘンタイ!」と笑われる。


起きて早々こんな回想をしてると


「ねぇ、聞いてる?」と妻の顔が近づいてきた。


ハッとして「ん?何?」と応える


「もう、またどっかイってた。

仕事の事?、それよりまたやらかしてたよ。


、、、リ・モ・コ・ン!


ソファに置きっぱだったよ。

朝、お尻で踏んづけちゃったよー。

何度も言うけど、キチンとリモコン入れに入れといてね。」


半分冗談めかして半分お説教。


「あ?俺?」


「そうだよぅ、ユウ君(僕)しかいないでしょ」


「そっか、ごめん、気をつけるよ」

多分、また忘れるけどすぐに謝る。


無駄な抵抗はしない。


ガサツでぽっちゃり、決してイケメンではない僕は妻に従順な仔犬でいるべきなのだ。


同じA型なのにこうも人間の中身は違うものなのか?


ガサツで細かい事が気にならない僕と

血液型占いまんまのA型の妻。


妻も決して細かいわけではない。


ソファに放置問題でいえば

リモコンは対象だけど、携帯や孫の手は対象外だ。


A型特有の気になる所だけ気になる


そんな感じだ。


「あ!もうこんな時間だ!

 やばい、行かなきゃ!」


時計を見ると7:50を過ぎている。


フリーランスといっても全く外に出なくて良いわけでは無い。

クライアントとの打合せや成果の確認の為

次に1〜2度愛する妻を家において出掛けなければならない。


しかも今回のクライアントは名古屋にあるパチンコメーカーだ。

 

電車1本の遅れといえば聞こえはいいが、それが新幹線なら恐怖でしかない。


バタバタと着替えを済ませて、PCを鞄に突っ込んで

駆け足で妻に別れを告げて家を飛び出た。


   







「ふう。」


予定していた新幹線に乗り込み指定の席に腰掛けて

世界記録更新も夢じゃない自分の走りと

邪魔をしなかった信号達に感謝を込めて

深呼吸した。


キャッシュレスもこうなると結構便利だ。


時間短縮にかなり貢献してくれる。



移動中おにぎりとお茶で寝起きと酸欠の頭を起こしながら

PCを開いて今日の商談の内容を整理した。








「加賀部長、お忙しい中ありがとうございました。

請求書はいつも通り、月末にメールさせて頂きます。」


少し長引いた商談をまとめ、早速さと踵を返そうとする僕を例の如く呼び止める。


「あ、そういえば自慢の奥さんは元気?

 今度奥さんも連れて来なさい。

 仕事柄、色んな営業マンと話をするけど

 自分の奥さんを自慢したのは君だけだよ。

 是非ご尊顔を拝したいから冗談抜きに連れておいで」


ニコニコ笑いながらそう話す部長はきっと本心だろう。


決して立場を利用して下心ごあるとかそんなのでは無い。


加賀部長は僕をまるで甥っ子の様に接してくれる。


「いやぁ、仕事に連れ回すのはなんだか気が引けますよ。

それに経費もかかりますからね。」


もっともらしく断ったが


「なぁに、その分仕事を君に回せば奥さんの新幹線代くらい出るだろう?

飯くらいなら私がご馳走するよ。」


もう、こうなったら僕に躱す術はない。


「ハハハ、帰ったら妻に相談してみます。」


ここでも無理に逆らわない。


長い物には巻かれる。


7年経った今でもサラリーマン時代のクセが未だに抜けず仔犬から成犬にはならない。


商談自体2時間、部長との最後の問答で30分

予定よりも帰宅が遅れた。


行きは有意義な時間が作れた新幹線が

帰りは只々擬かしい。


最寄駅に到着してからは

さながらオリンピックメダリストの様な走りで

家路に着いた。


自宅マンションに到着し下から我が家の窓を確認する。


カーテン越しに漏れる明かりが多幸感を擽る。


これもサラリーマンを辞めてからより強く感じられる一つだ。


ん??


あれ????


おかしい!


部屋の電気がついてない。


直ぐにエントランス横のエレベーターに乗り込む


[おかしい!10年間明かりが消えている事なんて無かったのに。


強盗が入ったのか? いや、エントランスのオートロックに加え部屋の錠がある。


愛想をつかせて出て行ったのか?


何かの病気で倒れているのか?]


部屋の扉に鍵を差し込み開錠して中に飛び込む


勿論中は真っ暗だ。


急に背中が痺れ、目の前の空気が重たく感じて


見慣れた室内に歩を進める事が出来ない。


「おーい!帰ったよー。」


平静を装ったつもりの第一声がなんとも情けない。


「おい、香苗ー!」


「、、、。」


返答は無く物音もしない。


意を決して突き当りのリビングまで廊下を進む


リビングのドアまで来ると微かに物音が聞こえた。




何かの擦れる音。



シュッ、シュッ、シュー。


シュッ、シュッ、シュー。


規則的に鳴っている。


リビングのドアを静かに開ける。


5センチ程の隙間から擦れる音がさっきよりも


大きく聞こえた。


10センチ


20センチと扉を開いた。


ちょうど中程まで開いた時、リビングの中心、


テーブルを覆う様に何かが蠢いている。


擦れる音はそこから聞こえている様だ。


「おいッ!!」


声と同時にドアの横にあるスイッチを押して明かりをつけた。


LEDの真っ白い光が目に突き刺さった痛みに一瞬顔を背けたが、直ぐに目を開ける。



見慣れた背中、


背後からでも美人だとわかる自慢の妻が


僕に背を向けた状態で座して何かをしていた。


明かりをつけても尚、周りの変化に気付いていない様なので少し姿勢を横にズラして回り込んでみた。



擦れる様な音の正体が理解できた。


リビングにある木製の机の角を一心不乱に削っている。


よく見ると既に残り3つの角は削ったあとだった。



「おい、なにしてんの!」


少し声を荒げて横から妻の肩を掴んだ。


「ヒャッ!

 

 あ!ユウ君!お帰り。

 

 って、仕事は?」


「何言ってんの?もう夜だよ。」


僕が今朝家を出たあたりだと錯覚していたんだろうか


妻は驚いて壁にかけてある時計に目をやった。


「それより、それ、何してるの?」


さっき声を荒げてしまった分静かに問いただした。


「あ、これ?


今朝ユウ君バタバタと出て行っちゃったから


見送ろうと思って私も急いで玄関に向かったら


テーブルの角に足ぶつけちゃって、


危ないと思ったから、角取ってたの。


ほら、見て。」


そう言って差し出した右足の脛は紫色に変色していてかなり痛々しかった。


「あぁ、そうなの。


 でも、なにも削らなくても良かったのに」


言うが早いか


「駄目ッ!危ないから!」


凄い剣幕に押されてしまった。


「ユウ君ごめんね。


 直ぐ、ご飯作るから手 洗って来て。」


少し府に落ちなかったが、ここでも争わず静かに洗面台へ向かった。


その後の香苗はいつも通りだった。


いつも通り食事をして、風呂に入り、2人でベッドで眠りについた。







あれから3ヶ月が過ぎた。


今日も月に1度のクライアントとの打合せを終え


自宅マンションの前に立っている。


今日もだろうか、、、。



ゆっくりと視線を上げ、自宅の窓を確認した。


「、、、ッ!」


今日は明かりがついている。


テーブルの角と削っていた夜以降特に変わった様子は無かったが、


僕が外出する度に、あの夜の様に真っ暗な中、家の物の角が無くなっていた。


テーブルの翌月は椅子


その次は冷蔵庫とテレビ


その都度、問い詰めるが、だって危ないんだもん。


の一言。


でも今日は明かりがついてる!


意気揚々とエントランスに備え付けてある


モニター付きインターフォンを押す。


インターフォンを押す。


さっきまでの揚々とした感情が一気に陰鬱に変わるのがわかった。


諦めて自力で開錠してエレベーターに乗り込む。


絶対に今日も何かの角を削ってる。


ドアに鍵を差し込んで回そうとした時に異変に気付いた。


厚さ3センチ程あるドアの向こう


特になにがあるわけじゃないが、ドアを隔てて


直ぐ何かがある。


手首を捻って確信した。


ドアの鍵が空いている。


ドアの向こうにあるもの、  いや、


いる者が、香苗だろう事。


一気にドアを開いた。



そこには香苗が真っ直ぐ僕の目を見て


穏やかな表情で立っていた。


いつもと変わらない表情。


違うのは右手に鈍く光る何かを持っている事くらいだ。


僕が右手に視線を落とすよりも早く


「もう、安心だよ。


 家の物ぜんぶ まぁるくなったよ。


 でも、さっきインターフォンでみたら


 ユウ君の鼻、尖ってるね。」


その瞬間、僕の顔面が熱くなり、


抑えた両手の隙間から鮮血が勢い良く溢れ出た。






目覚めた時にはベッドだった。


でも夢では無い。


目の端に映る白いもやが包帯であると理解したと同時に


側で僕にもたれる妻が


「ユウ君、まんまるで可愛い」と、笑っていた。






















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