幸せの光

Khronos

〜君が教えてくれたもの〜



 そこは、どこまでも続く闇の中だった。

 勿論、比喩ではあるが、当時の僕には本当に闇に見えた。優しかった両親とは生き別れ、引き取られた親戚からは虐待の日々。目を閉じ、耳を塞ぎ、物陰に隠れ、その日が、いや、世界が終わることを心の底から願っていた。幸せだった日々は、過去のものでしかなく、未来は絶望でしかない。苦しみに耐えきれず、自らの手で命を絶とうと決心した時、一つの白く細い手が差し出された。


「ねぇ、どうしたの?」


 その声に反応し顔を上げると、髪はセミロングで切りそろえられ、端正な顔立ちをした少女が、首を傾げていた。僕がその言葉に答えられずにいると、彼女がニカッと笑って言った。


「一緒に行こうよ」


「行く、って何処へ?」

「外の世界。もっと明るいところ」

「そうか」

 そう言って彼女の手を取ると、彼女は心底嬉しそうに笑った。


 そうして少女に手を引かれてやってきたのは、多くの人が行き交う通りだった。

「ここは何処?」

「この通りは、『アルメリック通り』って言って、この国でいちばん大きいの。もしかして、ここにも来たことがないの?」

 少し驚いたような顔をして尋ねてくる少女の顔を横目に見ながら、僕は周囲を見渡す。行き交う多くの人が、幸せそうな顔をしている。僕とは正反対の人達ばかり。

「うん。叔父さん達に引き取られてからは、一度も外に出たことがなかったから」

「そうなんだ。じゃあ、今日は目一杯楽しまないとね!」

 そう言って、スタスタと僕の手を引きながら歩いていく彼女に、僕が抱いていた疑問を投げかける。


「ねぇ、君は誰なんだい?なんでここまでしてくれるの?」


 当然の疑問だった。価値もない自分になんで手を差し伸べてくれたんだろう、と。



「私の名前はアナスタシア。アナって呼んでね。君を連れ出した理由はまた後で話すよ」



 そう言った彼女の顔は、僕には眩しすぎる笑顔だった。

「それで?あなたの名前は?」

「僕はジークフリード。」

「そう、じゃあ『ジーク』って呼ぶわ」

 そんな会話をしている間に、鼻腔をくすぐる甘い匂いがしてきた。気になって匂いがする方に目を向けると、そこでは、リンゴに何か液体状のものをかけていた。

「あれは何?」

「ん?あー、あれはりんご飴って言ってね、リンゴをさらにあまーくしたものなの」

「さらに甘く……」

「気になるの?じゃあ、買っくるからちょっと待ってて」

 アナは駆け足でりんご飴とやらの売店に向かうと、30秒位で両手にそれを持って帰ってきた。

「本当はジークの分だけ買うつもりだったんだけど、間近で見るとどうしても食べたくなっちゃって買っちゃった」

 そう言いながら、片方を差し出してくる。恐る恐る表面を舐めてみると、

「甘い……」

「あっ、ダメだった?」

「いや、美味しい」

「よかったー。気になるものがあったらなんでも言ってね。お金には余裕があるから」

 その後も、2人でアルメリック通りを歩き、色々なものを食べたり、買ったりした。ここに来たのは朝だったはずなのに、気が付けば日は傾き、夕暮れ時になっていた。

「あーあ、こんな時間かー。もう来てるはずよね。ちょっと急がないと」

「急ぐってどこに行くの?」

「大丈夫だよ。置いていったりしないから。取り敢えずあそこの門まで行こう」

 少し走ると、見えてきたのはとても大きな門だった。

 その脇には大きく、また、装飾華美という訳では無いが、高級さを感じられる馬車が止まっていた。

御車台には、背筋を伸ばした初老くらいの男性が座っていた。

「おーい。アンスバッハ、来たわよ」

「おや、お嬢様。少し約束の時間から遅れられたのではありませんか?」

「待たせてしまったようでごめんなさいね。でも、久しぶりに楽しかったものですから、少々時間を忘れていましたわ」

「左様でございますか。して、そちらの彼が例のー」

「ええ。」

「では、お嬢様とジークフリード様、こちらにどうぞ」

 会話についていけず、棒立ちになってしまっていたが、アンスバッハという人に導かれ、僕は馬車に乗り込んだ。


 馬車に揺られること数刻。「到着致しました」という声で、僕は目を覚ました。倦怠感に支配された体を起こすと、出発した時には目の前に座っていたアナの姿が消えていた。

「あの、すみません」

 馬車を降り、御車台に座るアンスバッハさんに話しかける。

「あぁ、お嬢様いや、アナスタシア様のことで御座いますか。アナスタシア様は、違う御屋敷で降りられました」

「そうですか……」

「お嬢様から伝言を預かっております。」


『また、あなたに会いに行くから。それまで元気でね。』


「とのことでございます」

「ありがとうございます。それで、僕はどうしてここに連れてこられたんですか?」

「それは、アナスタシア様のお父様であり、この国の国王陛下である、『オスカー・フォン・ミューゼル』様がジークフリード様をお引き取りなさったからでございます。これより、ジークフリード様がご成人なさるまでは、こちらの御屋敷でご生活なさることになります」

「そうですか」

「しかし、お引き取りなさると言っても、養子にする訳ではないそうです。なので、ジークフリード様の姓は『ファリド』のままでございます」

「そして今後は私が、貴方様の身の回りのお世話をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます」

「こちらこそ、よろしくお願いします。アンスバッハさん、でしたっけ」

「ええ。これからは、爺とお呼びください」


 そうして僕は、屋敷で暮らすことになった。これまでの生活とは一転し、とても優遇されている。

 しかしアナは、いつまで経っても会いにこない。

 僕のことを忘れてしまったんだろうか?時折そんなことを考えてしまう。

 そして、一週間、一ヶ月、一年、そして、数年が過ぎ、僕は成人した。


 今日から僕は働くことになる。勤める場所は王宮である。配属先は今日発表されるらしい。

「爺、準備は出来たよ」

「了解致しました。では、参りましょうか」



「ジーク」



 何処からか声がした。

 僕のことを『ジーク』と呼ぶのは一人しかいない。だが、もう何年も会いに来なかったじゃないか。


「ねぇ、ジーク。聞こえてる?」


「あぁ。」

 そして振り向くと、そこには、


髪をセミロングで切りそろえ、綺麗に整った顔に軽く化粧をした、何年も何年も待ち望んだ少女が立っていた。


「久しぶり」

「遅いじゃないか。何年たったと思ってるんだ」

「ごめんね。でも、これからは一緒だから」

「は?」

「『ジークフリード・フォン・ファリド』に告ぐ。この時をもって、貴公を『第一王女専任補佐官』に任命する」

「へ?」

「あれ?言ってなかったっけ?私、この国の第一王女だから」

「はぁ」

「で?返事は?」

「は!ジークフリード・フォン・ファリド謹んで拝命いたします」

「よろしくね」

 こうして、僕は長年待ち続けてきた少女いや、女性の補佐官となった。



 馬車に揺られながら、横に座る彼女の横顔を盗み見る。とても綺麗になったと思う。きっと、王女と言うからには、婚約者がいるのだろう。それが僕でないのが少々残念である。

 いや、だがいいのだろう。補佐官として、横にいられるのだから。あの日、彼女が僕を暗闇から引きずり出してくれた日、僕は生まれ変わった。死んだように生きていた僕に、『楽しい』、『嬉しい』、『幸せ』、色々な感情を教えてくれた。

 だからこそ、僕は彼女の為に全てを使わなくてはならない。たとえ、それで命が尽きようとも。


「ねぇ、ジーク」


「どうしましたか?」

「長い間待たせてしまってごめんね」


 そう言って、彼女は僕の額に口付けた。


「ちょっっ、王女様!!」

「どうしたの?それに、アナって呼んでって言ったでしょ」

「そういう問題ではありません!王女様なのだから婚約者様がおられるのでしょう。このようなことをしてはダメに決まってるでは無いですか」

「え?婚約者なんていないわよ」

「へ?そうなんですか?」

「あぁ、そうか。君に言ってなかったっけ。」

「何をですか?」

「私があなたを連れ出した日、あなたは、何故ここまでしてくれるのか?、って聞いたわね。それはね、昔あなたと会ったことがあったからなの」

「そうなんですか」

「ええ。あなたがまだ、本当のご両親と暮らしていた頃、王族主催のパーティがあってね、そこで、私とあなたは、けっ、結婚の約束をしたの。勿論、子供同士の約束事だから、笑い話になったわ」

「そっ、そんなことが……」

 その時、馬車が止まった。

「王女様、補佐官殿、到着致しました」

 その声に反応し、外に目を向けると、そこは、王族のみが立ち入れる敷地だった。


「あの日、あなたに誰なのか聞かれて、少しがっかりしたわ。当然よね、自分だけが覚えていて、相手に忘れられていたんだから」

「ごめん」

「いいのよ」

 そうしてアナは、庭の方へ少し歩いてこちらを向く。

「今日はね、無理を言ってここに連れてきてもらったの。」





「ねぇ、私の15年越しの願いを叶えてくれる?」






 あぁ、なるほど、そういう事か。それなら最初からそう言ってくれればよかったのに。悩んでいた僕が馬鹿みたいじゃないか。ずっと、君の隣にはいられないと思ってた。でも、






「あぁ、勿論。アナ、僕と結婚してもらえますか?」






「へ?結婚!?」


 僕がプロポーズすると、アナからすると予想外だったらしく、慌てふためいている。

「違ったのか……」

「いや、だって、まず恋人からなんじゃ」

「あ!いや、でも、王族に恋人なんているのか?」

「わかんないわよ、でもいきなりプロポーズされるなんて、驚くに決まってるでしょ」



 あぁ、でも、僕にはこの言葉しかないよ。だって、離すわけにはいかないんだから。


「ねぇ、アナ」

「何?」





「僕と結婚してもらえますか?」





 アナは、顔をリンゴのように赤くして答える。


「ええ。勿論よ。でも、幸せにしてくれないと困るからね」


 そう言って笑う彼女の笑顔は、相変わらず眩しかった。しかしそれは、今の僕には幸せの光に見えた。










 幸せにするよ一生。

 だって君がそれを教えてくれたんだから。

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