紫煙
床一面にまで増殖したリキューの群れが、次々と涼子たちに襲いかかった。鋭い尻尾による攻撃力は高くはないが、それでも数が増えれば厄介極まりない危険な敵となる。
だが実際には、一方的な蹂躙が展開されていた。
「はい次、陽向の目の前ね」
「わかった」
天井から巨大な氷柱が次々と落下、それから逃れても炎で焼かれる。圧倒的な数を相手にしてもなお、氷翠と陽向には余裕があった。
「わかってた。前世代の君たちが厄介なのは」
まだ増え続けるリキューたちが一斉に言葉を発した。室内という限定された空間にその声が響き渡る。
「けどなんの考えもなく招き入れるはずが、ないじゃないか」
リキューたちは、陽向たちの背後にいた涼子に集中攻撃を仕掛けた。炎でも氷でも援護すれば涼子への被害は免れない距離だ。
「宮原さん、逃げて!」
「ど、どこへ」
「とにかく逃げ回って!」
攻撃手段が脆弱な涼子にとって、限定された空間での戦いは不利である。逃げ惑う涼子を追うリキューたちと、それを追撃する陽向。陽向は自分の手の平に炎を留め、次々とリキューたちを焼き払っていく。だが味方を守る都合で広範囲攻撃を諦めたことにより、少数対大多数の戦いは、徐々に一対大多数へと変異していった。
「君の手はもう限界だろう。自分の体が焼けていて無事な人間はいないからね」
リキューの言葉が呼び水となり、かつてのナビゲーターの言葉が陽向の脳裏をよぎる。
「いつか自身を焼くぞ、ヒーローさんよ」
涼子を追っていたリキューたちが向きを変え、一斉に陽向に襲いかかった。炎を消し、それでも身体能力で渡り合う陽向であるが限界が近い。背後からの急襲についに跪いた陽向が見たものは、こちらへ駆け寄ろうとして前後を塞がれた氷翠の姿だった。
孤立した氷翠は、陽向の保護を優先した。自分を取り囲むリキューたちを凍りつかせたあと、トドメを刺さずに急いで陽向へ走り寄る。焦りが生んだ悪手だった。その足首を氷から逃れたリキューの尻尾が貫き、氷翠は膝を折った。
「めんどくさいのは消えた。あとはリョウコだけだね」
3つのハウンドも叩き落された涼子は、死にものぐるいで逃げた。リキューの攻撃が当たってはいるが、防御力だけは陽向たち以上にあるためにダメージは軽くて済んでいる。だが逃げると言っても室内なので範囲は限定される。走り回りながら、なんとかして陽向と氷翠を助ける方法はないかと涼子は考えていた。
壁一面はモニターになっている。ということは操作するための基盤があるはずだ。それをどうにかして破壊すれば注意を逸らせるかもしれない。
部屋の真ん中には椅子がある。その周囲にリキューたちはいない。罠なのか無意識にそうしているのか分からないが、このままではどのみち先はない。
椅子へと駆け寄った涼子は、それを盾代わりにして周囲を警戒する。やはり襲いかかってくる様子はない。
「その椅子から離れてくれないと困るんだ」
リキューたちは言った。
「なら離れるわけないじゃない」
「そうなんだ」
「当たり前よ」
「これでも?」
血しぶきと、陽向の悲鳴が上がった。
「今は腕を刺しただけ。次は足を刺すよ」
「わかった、離れる。けど、一つ教えて」
涼子は椅子から離れ、陽向へ近づく準備をする。といっても既に周りはリキュー達に取り囲まれている。白いセーラー服のそこかしこにも血が滲んでいた。
「お母さんを、私のお母さんを変えてしまったのは、誰なの?」
「僕だけど」
何の感慨もなくリキューは答える。
「僕だけど、特に何も。嫁と姑だからちょっと匂わせただけ。君の母はカオリって言ったっけ? 都合よくシズヱを動かすためにやったけど、カオリがあそこまでシズヱを追い込むとは想定外だったから、嬉しかったよ」
「あんた……! なんでそんなことを……!」
「人間が大量破壊兵器を怖がるのと同じさ。いざとなったら安全に破棄しないと。あの婆さんは桁違いの強さだったからね。けど最後はあっけなく殺せたから笑っちゃった」
しばらく押し黙っていた涼子は、血走った目をリキューたちへ向けた。
「結局、あんたがお祖母ちゃんの人生も、氷翠さんの人生も好き勝手にしたってことね」
「そうなるね。それじゃあ僕らの言うことを聞かなくなった君たちは死んでもらえるかな。こっちで死んでも現実世界では抜け殻みたいになるだけだから大丈夫だよ」
密閉された室内のどこからか、風が吹き出した。その風にのって陽向と氷翠のうめき声が涼子の耳に届く。
何かできることはないか、何か。怒りで沸騰しそうな頭で思案していた涼子は、今更ながら違和感を覚えた。風? 風はどこから?
扉が開いていた。開け放たれた扉の向こうに立っているのは四天王、風のカッツォーネだ。
「風の、何しに来たの? おとなしく殺されてくれるのかい? 歓迎するよ」
リキューたちが扉へ殺到する。今にも飛びかからんとするリキューたちを目の前にして、カッツォーネはやる気のなさそうな声で応えた。
「いや、僕は別に何もしない。けど歓迎してくれるのか?」
「歓迎するよ。わざわざ殺されに来てくれるなら、誰だってお客さんだよ」
そうか、と小声でつぶやいたカッツォーネは、どこからかショートホープをとりだし、流血にまみれている陽向に向かって言った。
「火、出せるかい」
この状況で一体何を言い出すのか。リキューも含めた誰もが不可解な思いでカッツォーネを見る。
「あ、いや。客扱いらしいからさ。タバコくらいいいかなって思ったんだけど」
カッツォーネは背後を振り向きながら言った。
「まあ、今は禁煙運動が盛んらしいじゃないかえ」
しわがれた老婆の声と、マッチを擦る音がそれに応える。声の主に気づいたリキューたちは怯え、散り散りに走り回った。
「けどあたしは客だからね。気にせず吸うとしようかね」
爆発的な威力の何かで扉が破壊された。普通に押せば開く扉を、声の主はわざわざ破壊したのだ。同時に紫煙が漂ってくる。タバコを吸わない涼子たちには、それがマイルドセブンのものだとは知る由もない。
「ずいぶんとかわいらしくなったじゃないか、リキューよ」
涼子はその顔を30数年ぶりに見た。納戸で見た写真よりもずいぶん老け込んでいるが、見間違えようがない。
「お、お祖母ちゃん……?」
「殺されたお礼に来てやったよ」
紫色の割烹着を身にまとった田野倉静江は、逃げ惑うリキューたちの一匹を掴み上げ、その眉間でマイルドセブンの火をもみ消した。
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