開戦

 別れ際、カッツォーネがぼそりとつぶやいた言葉が涼子の耳に届く。


「もう、誰かに従う必要もなくなった……」


 燃え尽きたような独り言を捨てておけるほど、涼子は薄情ではない。


「私達を止めなくていいんですか? 敵ですよね」

「別にお前たちが憎くて戦っていたわけじゃない。もういい」


 遠くを見ているカッツォーネの真正面に回り込み、心を込めて感謝を告げた。


「色々教えてくれてありがとう。何があったのかは知らないけど、これからのあなたの人生が良いものであることを願ってます」


 薄情でない割りに淡白で薄っぺらなセリフを吐いた。もう話をする気力がなさそうだった為である。涼子は陽向と氷翠を伴い、建物の中へと再び足を踏み入れた。




 足音を立てず、先頭で階段を登る涼子の背後から、じゃれあう声が聴こえてくる。いくつかの衝突や殺人的共同作業を経て、わだかまりはすっかり消えたようだ。陽向の暖かさが氷を溶かしたのかもしれない。

 それにしても、と涼子は思う。それにしてもうるさい。自分が足音を忍ばせている意味が全くないではないか。首だけを捻じ曲げ、背後に注文をつけた。


「あのー。イッチャイチャイッチャイチャしているところ申し訳ないのですが、もう少し静かにしてもらえませんか……」

「あ、ごめんなさい」

「娘さんの名前の元ネタと再会できて嬉しいのは分かりますが、いつ誰が襲ってくるかわかりませんよ」

「わかったわよ、もう」


 先行しているハウンドが、階段の終わりとドアの存在を知らせてきた。ドアをノックしようとした陽向を、氷翠が羽交い締めで止める。


「涼子さん、この能天気は止めておくから、中を覗いてみて」


 頷きで返した涼子はドアを静かに開けた。どのみち監視はされているのだろう。慎重になるだけ時間の無駄だ。

 広い部屋の真ん中に、革張りの椅子がある。背もたれには黒い外套がかけられていた。座面にいるのは、陽向に焼かれたリキューだった。


「遅かったね」


 目を白黒とさせている涼子に、白い姿のナビゲーターが話しかける。


「さっき焼かれて、死んだはず」

「僕の代わりはいくらでもい」


 言いかけたリキューが氷に閉じ込められた。氷翠は手を下ろし、周囲を見渡す。壁はモニターになっているようだ。


「あんなのは下っ端なんでしょ? もっとエライやつに話を聞かないと。私も四天王とかにされたりお父さんが蒸発したり、色々聞きたいことがあるのよ」

「そ、そうですね。どこか別の部屋に」


 天井から新しいリキューが落ちてきたところを待ってましたとばかりに陽向の炎が焼いた。

 驚きはしたものの陽向のトンパチに耐性がついてきた涼子は、一言も発さず革張りの椅子にかけられた黒い外套に手を伸ばす。


「これは……?」

「それは、僕たちの主だった方の物だよ」

「主だった方の物だよ」


 床を埋め尽くすように現れたリキューたちが唱和した。


「主だった?」

「この世界の神様みたいなものさ。ずいぶん前に死んでるんだ。ずっと抜け殻を動かすのは大変だったよ」

「指導者みたいなもの?」

「そうだね。急進派と穏健派をまとめてたんだ。死んだけど」


 状況が理解できないながらも、涼子は問を投げかけた。


「あなたたち、リキューが急進派のトップってことなの?」

「そうだよ」

「なら教えて」


 背後では陽向と氷翠が攻撃の機会を伺っている。答えによってこの部屋は戦場になるだろう。


「あなたたち……というかこの世界に、現実世界の人間を操れる能力なんてあるの?」

「聞きたいことは分かるよ。シズエと氷翠の家族のことだろ」


 数多のナビゲーターが再び同時に答えた。


「何事にも保険は必要さ。僕らが直接動かせるのは弱い人間。だからリョウコなんて簡単に言うことを聞かせられる。こんな風に」


 壁面のモニターに涼子の「土に代わっておしおきよ」が大映しにされた。


「ぎえええええええ!」

「けどシズエくらい強いと、人質をとるしかなかったんだ。孫とか子供に災難がふりかかるぞって」

「……私のお父さんは、そのために……?」

「人間は実際に殺してみないと信じないだろ? 追い込めばもっと頑張るかと思ったけど、シズエは途中でやる気をなくしたみたいだったね。けど彼女のおかげで穏健派の戦力を大幅に削ることができた。四天王なんか、僕じゃあ勝てないよ」


 唇を噛みしめる。そんなことの為に祖母は利用され、父は殺されたのか。


「シズエのこと好きじゃなかったんだろ? なら怒っているふりをしなくてもいい」


 逆上しかけた涼子の肩を氷翠が抑えた。


「穏健派の四天王、氷の翡翠よ。確かこの世界の神様って人に穏健派も急進派も従ってたわね。ブラックベール様っていったっけ」

「そうだよ。死んだけど」

「じゃあ、あんたが全部勝手にやってたってことでいいわね?」

「それがどうかしたのかい?」

「カッツォーネが呆然としてたのがわかった。それともう一つ」


 目を吊り上げた翡翠が、足元にいたリキューの一つを掴み上げる。


「私のお父さんに借金させた?」

「ちょっと待って……。ああ、五十嵐氷翠の父、五十嵐武士は雀荘のレートを上げることで追い込んだね。最初は勝たせたけど。途中で娘に言えばまだ意味があったのにね。本気でやらないとダメなんだって娘に伝わったのにね。無駄だったんだなあ、お父さんの人生」


 氷翠の前に進んだ陽向が、床一面のリキューに罵声を浴びせた。


「この腐れマラども、ケツでミルク飲ませてやる!」


 開戦の合図となった罵倒拳が、床を炎で覆った。

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