シンプルな結論

「最初電話受けた時は、何かの詐欺かと思ったよ。そもそも、姪っ子の存在を忘れていたからな。兄貴のことは忘れてないけど」

「ハハハ……すみません……ご無沙汰……どころじゃないですね……」


 とある町の喫茶店内。

 涼子の対面に座った田野倉宗二は、敵対心を隠そうともせずコーヒーに砂糖を放り込んだ。70歳代後半に差し掛かるはずだが、目つきは鋭く、髪は黒い。言動もはっきりとしている。何より背筋が伸びて姿勢が良いせいか、攻撃的な印象を受ける。涼子は新卒時代に受けた広告代理店の圧迫面接を思い出し、つばを飲み込んだ。


「で、かあちゃんのことを聞きたいんだっけか」

「は、はい、そうです」

「なんで?」


 宗二はコーヒーを口に運んだ。


「30年も経って、なんで今さら? アンタら、かあちゃんの葬式どころかお通夜にも来なかったのに」


底光りする宗二の眼光が、涼子を射すくめた。


「……それは……」

「弁護士を雇い、坊主を囲ってまで遺産を独り占めにした挙げ句、兄貴が死んだ二月後には再婚したらしいあの女の娘が、今さら何を聞きに?」


 当然の返しだった。義理を欠くどころか、思い切り跡を濁して田野倉家から去った母、香に対する感情のしこりは時間が経っても消え去ることはない。やられた立場なら警戒して当然だ。

 香が押し黙ってテーブルを見つめていると、宗二はちょっと失礼と言い残し喫煙室へと入っていった。


 気が重い。父が亡くなった当時はまだ6歳かそこらだったが、何かしら母がおかしなことをしていることは感じていた。病院でやせ衰えた父の顔よりも、弁護士や僧侶の薄ら笑いの方が記憶に残っている。それだけ彼らは家に入り浸っていたのだろう。

 母が田野倉家に対し一方的に仕掛けた相続問題は、あまりにもいびつ過ぎた。常軌を逸したいびつさゆえに、誰も香に注意をしなかった。呆れ果てた周囲の親族から見放されたとも言える。

 居心地の悪い喫茶店でばつの悪い追憶に浸っていると、一本吸い終えたらしい宗二が戻ってきた。


「あー。なんというか」


 宗二は頭をかいた。


「さっきの言い方は悪かった。あの頃、涼子ちゃんは小学校入るか入らないかだもんな。涼子ちゃんは何も悪くない」

「あ、いえ」

「けど、かあちゃんの顔を思い出すとやっぱり頭が熱くなるんだわ。なんでそこまでされなきゃならなかったのかってな。水に流せって言われても無理だ。やられた方は忘れねえよ」

「すみません、母は何をしたのでしょうか。ご無礼かとは思いますが、お教えいただけないでしょうか」


 ここで逃げたら何も話が進まない。母の罪と正面から向き合うことにした涼子は、宗二に頭を下げた。

 長い溜息をついた宗二は、天井を仰ぐ。涼子の顔を見ずに言葉を吐き出した。


「楽しい話じゃないよ、涼子ちゃんにとって」

「構いません、お願いします」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



 家に戻った涼子は、宗二の言葉を反芻していた。


 わざわざ涼子の嫌いなものを好物と伝え、毎週のように静江に作らせていた?

 あの川べりにあった家を更地にするよう、大家に働きかけていた?

 父の病状や入院先を、わざと静江と宗二に伝えていなかった?

 亡くなる直前の父の生き霊が、遺産は全て香のものだと語った?


 これらの情報が真実だとしたらまともな行動ではない。いや、残念ながら真実なのだろう。

 今となっては知る由もないが、やはり静江を陥れ、孤独にさせるためすきかいが仕掛けた遠回しな陰謀だったのだろうか。そう考えたほうが、当事者の娘としてはまだ気が楽だ。


「だとすれば」


 涼子は余計な考えを省き、シンプルな結論に達する。


「どう考えても私のお母さんが原因だけど、悪いのはそう仕向けた隙魔界の誰か」


 リキューはことあるごとに上の存在をほのめかしていた。だがどうせ、何を聞いても答えてはくれないだろう。上下関係が出来上がってしまっているのだ。暴力で言うことを聞かせようとしてもハウンドでは無理だろう。肉弾戦になったらなおのこと。


 しばらく考えていた涼子は、重たく暗い目でスマートフォンを操作し、ある人物にメッセージを送った。


「時間があったら相談に乗ってください」


 一息つき、手をこすりあわせる。ふと、アルバムで見た、優しい笑顔の静江が脳裏に浮かんだ。

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