記憶をたどってみたけれど

 涼子は鼻をつまみ、手をパタパタと男に振りながら注意した。


「今どきくわえタバコとか、常識なさすぎじゃない?」

「人間の常識なんか知らねえよ」


 カッツォーネは涼子と視線を合わせること無く言い放つ。どう見ても人間にしか見えない相手からそのように言われると、あからさまに喧嘩を売られている気になってしまう。

 だが実際には、目の前の男から殺る気・根気・元気の類は全く感じられない。見方を変えれば、ふてくされているようにも映る。


「カッツォーネさんでしたっけ。じゃあ戦りますか」

「さっきちっちゃいのが飛んできたから落としたけど、あれはアンタのか」


 噛み合わない会話ではあるが、意思は通じている。


「私のものです」

「そうか。あんなものがないと、人間は戦えないようになったか」


 人間のことをずっと昔から知っているような口ぶりに、涼子は怒気を抜かれた。後ろに控えたリキューに伺いを立てる。


「リキュー、あの人、戦う気がないっぽいんだけど」

「関係ない殺せ。さもなくば社会的に死ね」


 KILL or DIEという理不尽な二択を迫られた涼子は、前者を選んだ。セーラー服をはためかせ、敵に向かって人差し指を立てて宣言する。


「じゃあ死んでもらいます」

「ああ、いいよ別に。やる気なんてないから。もう穏健派は崩壊してるし」


 3つのハウンドが飛びかかった。カッツォーネは、自身を風に乗せて大きく後ろに遠ざかる。


「だが、急進派と弱者に殺されてやるつもりもない。ところでお前」


 リキューを見すえながらカッツォーネは問うた。


「あのばーサーカーはどうした。手で岩を割ってたし、強かったなあ。一瞬のタバコ仲間でもあったんだが」

「知らないよ。死んだんじゃないのかい」

「知らないわけはないだろ」

「知ってても教える義理はない。リョウコ、殺せ」


 涼子はハウンドを急速前進させた。だが強すぎる向かい風の中では、嵐の中の船のようなものだ。これでは勝負どころか同じ土俵にすら立てない。


「リキュー、私と相性いいって言ってたけど」

「うん」

「最悪じゃない」

「別にどっちでもいい。死ぬつもりで行け。トツゲキー!」


 歯を食いしばってハウンドを前進させようとしている涼子の耳に、カッツォーネの声が届いた。


「思い出した。お前、あの婆さんのことをシズエって呼んでたな」


 少し間を開けてリキューが返答する。


「お前には関係がない」


 その返事には淀みがないが、散々リキューにいじめられている涼子は、その声に隠れた感情を読み取った。怯えだ。

 祖母もシズエという名前だったが、偶然だろうと思う。嫌いな甘いカニ玉を食べさせられ、病院で怒鳴られた記憶しかない。あまり思い出したくない人だ。


 母と祖母の仲が悪かったのは、子供ながらに感じていた。母はいつからか祖母のことを目の敵のように罵っていた。父にもその感情は伝わっていたようだ。肩身の狭かったであろう父は、心労からかあっけなく死んでしまった。

 父が亡くなってすぐに、母はお坊さんと再婚し、名字が変わった。なぜあんなに急いでいたのか、その辺りのことはあまり知りたいことではない。

 その母もすぐに亡くなり、30年ほど経つ。


「何ボケッとしてるんだリョウコ! 死ぬ気で殺せ! 殺せなければ動画をばらまくぞ! 死んでもばらまくぞ!」


 尻尾で涼子の尻をひっぱたきながら、リキューは理不尽詰め合わせよくばりセットのようなひどいセリフを吐いた。


「やる! やるから!」


 覚悟を決めた涼子が更に気合を込めてハウンドを前進させる。だがその進行は分厚い風のカーテンに阻まれている。そして風が消えた時にはカッツォーネの姿は消えていた。


「逃げやがった! あの野郎、絶対殺してやる! というかその前に」


 リキューは涼子に向き合い、優しい声で話す。


「匿名掲示板がいいかい? ツイッターがいいかい? 選ばせてあげるよ」

「な、何を」

「リョウコのあられもない姿を収録した動画のアップ先さ。いきなりスマホのアドレス帳絨毯爆撃よりは良心的だろ?」


 涼子は40年間生きてきて、はじめて土下座をした。その後頭部にリキューが前足を乗せる。


「僕だって手荒な真似はしたくないんだ。けど、リョウコのキンタマ握ってるのは誰なのか、よく考えたほうがいいよ?」

「はい、すみません」

「ご自慢のハウンドだってジジイのションベンみたいにフラッフラしてたじゃないか。やる気がないならやめなよ。代わりはいくらでもいるんだよ?」

「すみませんでした」


 満足、もしくは堪能したのか、リキューは涼子の後頭部から足を下ろした。顔を上げた涼子は、上目遣いで問う。


「あのう、リキュー……さん。お聞きしたいことが」

「僕は何も話さないよ」

「シズエって、名字は……?」

「たかが人間一匹の名字なんて覚えてないね。もう今日は帰っていいよ」


 リキューは踵を返し姿を消した。立ち上がった涼子は膝の土を払い、祖母の顔を思い出そうとした。だが遺影も30年以上見ていないため、うまく思い出すことができなかった。

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