四天王、大地のタッツォーネ

「なんか、最近、家に居づらいんだよね。雰囲気がなんか、なんていうか」


 静江の長男、隆はマルボロに火を点けて思い切り咳き込む。


「タバコも自由に吸えなくなってさ。久々だから効くわ」

「まあ、涼子もいるから我慢しな」


 川べりに建つ静江の小さな借家に前触れもなく訪れた隆は、畳の上で大の字になった。


「外回りのキャンセルが出たからさ、様子を見にきたんだけど」


 寝そべりながら仏壇と遺影を見る。


「母ちゃんさ、そろそろ宗二の家で暮らしたらどうだ?」


 隆の提案を、静江は右から左へと流した。理由の一つは同居の話を聞き飽きたこと。そしてもう一つは電源を点けていないテレビがチカチカしだした為、やきもきしてそれどころではなかったのである。


「隆、そろそろ仕事に戻りな。母ちゃんは、そうだな、病院行ってくるよ」

「どこか悪いの?」

「悪くないから行くんじゃないか。悪かったら行けやしないね」


 起き上がり、異変に何ら気づく様子もなく隆は帰った。スクーターの音が遠ざかるのを確認し、静江はリキューを呼び出す。


「こういう時の代理はいないのかえ」

「いないね。普通のヒトがすきかいに入ったら、5秒で串刺しにされるよ」


 リキューは以前、戦って消えたら現実世界に戻ると言っていた。


「串刺しにされたら、どうなる」

「こっちに戻ってくる」

「信じていいのかえ」

「本当だよ。ただし意思はなくなる。人形みたいになると言えばいいのかな」


 悪びれる様子を全く見せずにリキューは答える。あっけにとられる静江を尻目に言葉を続けた。


「もしそれが嫌なら戦うしかないんじゃないかな。急進派はそういう人形を増やして勢力を強めるのが目的みたいだから」


 ぎり、と唇をかみしめる静江を、リキューは何も言わずに見つめていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「よく来たな、ババマギアとリビンチューL」


 現実世界で言えば5メートルはありそうな巨人が静江に立ちはだかった。


「四天王の一人、大地のタッツォーネが貴様を止める」

「多分、本名はたつおなんだと思う」


 リキューが耳元で囁くと同時に、タッツォーネは地面を思い切り殴った。地割れが目にも留まらぬ速度で静江に迫る。その衝撃を、静江は真正面から受けた。イノシシがぶつかってきたような衝撃だったが、かろうじて立っている。


「強すぎじゃないかえ、たつお」


 静江は大きく後退し、顔の土砂と冷や汗をぬぐった。割烹着のあちこちが破けている。


「逃げる。勝てるわけがない」

「その前に早く若返るんだ!」


 叫ぶリキュー。確か若返ることにより少しだけ気力を使うからやめろと言っていなかっただろうか。


「早く若返って、まろび出たそのしわっしわのカンピョウみたいな胸元をどうにかしないと!」

「誰も見ちゃいないよ」

「いいから早く! 若返ればなんとなく見えないようになるから! 自分の若い頃を思い浮かべるんだ!」


 言われた通り、若き日の自分をイメージする。みるみるうちに老婆は若者に变化、同時に服装も割烹着からフリルの付いたレオタードへ。


「微妙な感じに破れて、ずいぶんナウくてセクシーな感じじゃないかえ」

「次はこれ」


 リキューはどこからか、透明の液体が入った注射器を取り出した。未だ強い勢いの土砂は止まない。静江は大きな岩に隠れ、渡された注射器をしげしげと観察する。


「あのな、あたしゃ、お前のこと、びた一文信用してない」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」

「……一応聞くけど、これはなんだえ?」

「ええと、にんにく注射さ。腕に適当に刺してチューってやればパワーアップ!」


 たつおの足音が近づいてくる。進退きわまった静江は覚悟を決め、注射を打った。つめた〜い液体が流れ込み、またたく間に力が湧いてくる。ヒヒヒと静江はだらしなく笑った。3日くらいは眠らなくても良さそうな感覚になるコレ、戦後の闇市で何回か使った記憶がががががああヒヒヒヒヒヒ。


「ひ、ヒロポンじゃ!」

「こっちではそれをにんにく注射って言うのさ」


 力よりも気力よりも、何よりがむしゃらな闘争心が湧いてくる。奴を倒すぞという暴力的なまでの強い決意が静江の足を動かした。

 たつおは大地を割る。不安定な場所では、静江の得意とするヒットアンドアウェイは効果が薄いだろう。なんとかしておびき出し、密着した姿勢から攻撃を加えなくては。体は熱く、頭は冷えている。実際には頭もアッツアツのポッカポカであるが、冷静であると錯覚しているのだ。


 隠れていた岩から、右足だけを出す。効果があるかどうかは知らないが、たつおがその名の通り男ならば、突進してくる可能性がある。


「ウヒハハハ! ウッフン作戦じゃ! どうじゃ、たまらんじゃろたつお!」

「……」


 リキューすら声を失う品のない作戦は成功。たつおは興奮しきった雄叫びを上げて突進してきたのである。


「ワハハ! トラ・トラ・トラ! バカがおびき出されて本当に来やがった!」

「ヒャハハーッ! アホ一匹フィーッシュ! ヒャハハー!」


 たつおも含め、この時点でまともな言葉を話す者はいない。こぞって獣か獣以下の存在に成り果てている。

 がむしゃらに突進してきたたつおを上空へのハイジャンプで交わし、体を半回転ひねって肩車の状態になった。足をロックし、首四の字固めの体勢へ移行する。そして言ってはいけない言葉を叫びながら、たつおの頭頂部へ連続して空手チョップを叩き込んだ。


「死ね、$%&’”#$%&! ブラッシーもシーク兄弟も倒した日本人の必殺技を甘くみるんじゃないよ!」


 まあそれを使ってたヒト、空手上がりじゃなくて相撲崩れだしそもそも日本人じゃないんですけどねという言葉をリキューは飲み込み、狂ったように左右の手刀を打ち込む静江を見守る。

 暴れながら喋った為に舌を切ったのか、口の端から血を垂らしたヤング静江はあーとかうーとか唸りつつ、たつおの耳や首筋といった弱点に無限の手刀を打ち込んでいる。その様子はあたかも悪に染まった殺戮のパープル千手観音、もしくは違法薬物の注意喚起用ビデオフィルムに登場しまんまと地獄へ転がり落ちるすっげえダメな奴のラスト8分そのものだった。


 もはやたつおの頭部は原型を留めていない。膝から崩れ落ち、ずずんとうつむきに倒れたその巨躯を踏みつけ、静江は自分の唇の前に指を2本立てそれを前後に動かした。

 血走った目だけをリキューへ向け、かすれた声を張り上げる。


「おい」

「あっ、はい」


 リキューはタバコを1本差し出し、静江が加えたのを確認したのち、うやうやしく火を点けた。


「じゃあな〜」


 静江、軽い声音でたつおの背中に「血の轍ブラッドトラックス」いわゆる根性焼き敢行。またたく間に燃え尽きたたつおを見送るやいなや、憑き物が落ちたように静江は大人しくなった。同時に20代の姿から、元の75歳へ戻る。割烹着の修復も済んでいるようだ。

 疲れ切ったような表情でゆっくりと頭を降る様子を見て、リキューが声をかける。


「敵を倒すと薬の効果は消えるんだ。とても便利だよね」

「おまえ……」


 弱々しい声を絞り出した静江は、もう一度同じ言葉を口に出した。


「おまえ……」

「なんだい?」

「ええと、Qなのかえ、Lなのかえ」

「多分たつおが間違えただけだと思うよ。よくそんなつまらないこと覚えてたね」


 大地のたつおは最初に「リビンチューL」と言った。どういう意味があるのか分からないが、リキューのようなものが他にも居るということなのだろうか。

 そんなことよりも今は強く言っておくことがあった。


「おまえ」

「なに?」

「二度とあの薬を出すな」


 リキューはまぶたのないビー玉のような眼で静江を見据えながら答える。


「使わないと危なかったじゃないか」

「そういうもんじゃないんだよ」


 静江はその後、一度も口を開かず現実世界へ戻っていった。

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