血の轍
「なあ、リキューや」
静江はダークナイトと名乗った敵の投げナイフをひょいひょいと避けながら、右肩に乗った黒い有機物に話しかけた。
「なんだいシズヱ」
リキューはすでに深い傷だらけだ。静江が紙一重で避けている為である。生き物ならば致命傷だが、動きに支障がないところを見るとこの変なものは生き物ではないらしい。
「あたしゃ、わざとやってるわけじゃないよ」
「理解はしてるけど、納得はできないね」
首を傾けナイフを交わすと、リキューの眉間にそれが刺さった。
「何やってんだババア! 反撃しないと体力切れで死ぬよ!」
「わかってるよ、うるさいね」
ダークナイトの攻撃がやんだ間に静江は距離を一気に詰めた。そして手刀を振り上げ首筋を袈裟斬りにする。
首筋から胸元まで一息に切り裂き、静江は距離をとった。数度の実戦を挟み、自分にとって最適な戦法がヒットアンドアウェイだということは承知している。
「で、出た! ババアの空手チョップ! 止めを刺すんだ! ヒャーっ! 殺せ殺せ、ぶっ殺せ!」
興奮しているのか、にゅるにゅると静江の首の周りをのたくりつつ、理性を感じさせない声で狂笑するリキュー。静江は言葉に従い、薄紫色の割烹着のポケットをまさぐりだした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
遡ること数時間、日曜日の朝10時。静江はルービックキューブを求める百貨店の行列の中程に並んでいた。夕方には長男一家が遊びに来るので、午後1時には帰って料理の仕込みをしたいところである。恐ろしいことに、開店時間になっても行列は伸び続けているようだ。9時に並んで正解だったと静江は胸をなでおろす。
1980円を支払い、「ルービックボーイ」をピンク色の包装紙に包んでもらった時には11時を回っていた。
「こんなもの売れないって言ってなかったけ」
頭の中にリキューの声が響く。確かにそう感じてはいたが、孫の涼子が喜んでくれるのならそんなことは言ってられない。
帰宅し、料理の仕込みを始めた午後3時。台所にいた静江が何気なくテレビを見ると、砂嵐が写っていた。やがてその前に映像が浮かび上がる。
「我はダークナイト。新しいババマギアよ、いざ参れ」
手を拭きながらテレビの前に移動した静江はテレビの電源を切った。焦ったような声とともにリキューが足元に現れる。
「切ったらダメだよババア!」
「ガーガーうるさいし電気の無駄遣いじゃないか。それよりババマギアってなんだえ。あと気安くババアと言うな」
「こっちの世界では、実際ただの背中が曲がったババアだからね」
「そうかい。ババマギアってなんだえ」
「電気代は気にしないでいい。14インチのテレビを1分や2分点けてたって、のらくろガム一個より安いよ」
「で、ババマギアってなんだえ」
「うるさいって言っても普段シズヱが時代劇を観てる時より音量は小さいよ」
「ババマギアってなんだえ」
「古代ヘブライ語で『勇敢で気高い魔法使い』という意味だよ」
ふん、と静江は鼻を鳴らした。リキューの説明を信じたというわけではない。
「で、さっきのは、悪さをする奴なのかえ」
「竹の子族と同じくらい悪い」
「強いのかえ」
「ムキムキマン並」
静江は絶句した。そんな奴にただの老婆が勝てるわけがない。
「大丈夫だよ。シズヱは向こうでは無敵だ。ぶっ殺そう。そもそもあいつら、ヒトじゃないんだよ?」
「どうにかして話し合いにできんかね」
「ならないね。もし話し合いになったとしても、急進派お得意のだまし討ちが待ってる。せっかく招かれたんだから、ぶっ殺しに行こう。急がないとリョウコも危ないかもしれないよ」
弱点を突かれた静江は深い溜め息とともに腰を伸ばした。そして仏壇に手を合わせ、2チャンネルに合わせたテレビに吸い込まれたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「悪いね。けど家族に手を出さすわけには、いかんのでね」
静江は仰向けに倒れ、荒い呼吸をしているだけのダークナイトに話しかける。かろうじて首を横に動かしたように見えるが、気のせいだろうか。
死にかけている敵に対しての憐憫の情、もしくは陳謝の心を切り裂くようなけたたましい声が耳元で響いた。
「コロセーッ! ウヒャヒャーッ! 五分刻みだーっ!」
「黙ってな」
首元をちょろちょろしている有機物のどこかを雑につかみ、雑に放り投げる。体や頭を雑にくねらせながらリキューは適当な感じに飛んでいった。
「教わった通りにするよ」
割烹着のポケットからマイルドセブンを取り出し、深く一服した後、火のついたタバコをダークナイトの額に押し付ける。タバコを中心とした赤い轍がまたたく間に体を焼き尽くした。
灰となり舞い上がった敵の為に黙祷していると、まだ体を雑に捻じ曲げているリキューが走り寄ってきた。
「ブラッドトラックス、出来たようだね」
「ああ、あっという間に、消えちまった。ヒトじゃないとはいえ、後味がいいもんじゃないね」
根性焼きを
日本語をカタカナに置き換えて意味をあいまいにし、本質から遠ざける作戦は今も昔も有効である。緊急時にも関わらずロックダウン、オーバーシュート、メガクラスターと言った変な言葉を多用する50年後にその作戦は愚の骨頂を極めることとなるが、現段階では謎の変な有機物であるリキューでさえその奇妙な事態を予測できずにいた。
まぶたのないぬめっとした目で静江を見据え、リキューは疑問を口にする。
「だけど、なんでシズヱはそんなに強いんだろうね。間違いなく歴代のババマギアで最強だよ。まるで」
「最初、敵さんが『参れ』って言ったろう。テレビの中から」
静江はリキューの言葉を途中で遮った。
「招かれたからね。あたしゃ客だ」
「どういうことだい?」
虚空に目をやる。還暦をとうに越え白くなりつつある瞳には悲哀の情が浮かんでいた。
「お客様は神様だってことよ」
「そんなに長くいたのかえ!? 隆たちは!?」
慌てて隆の家に電話をかける。嫁の香が出た。
「あ、お母様、いらっしゃらなかったからどうされたのかと」
「ごめんねえ」
「急用でもあったのですか?」
どことなく楽しそうな声だ。
「いや、なんちゅうかね」
「涼子も残念がってましたわ。『おばあちゃん、嘘ついたの?』って」
胸がきしむ。結果的にはその通りなのだ。
「今度は、うちに遊びにいらしてください。ではおやすみなさい」
強めに置かれた受話器が拒絶の意思を表しているようだった。静江は仏壇に上げていたピンク色の包装紙を眺め、深い溜め息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます