その者薄紫衣を纏いて荒野に降りたつ

「老婆、どうやって来たの?」


 変な黒っぽい有機物はまばたきもせずに言った。


「こっちのセリフだわ。あと、見ず知らずの人間に老婆と言われる筋合いはないね」

「僕は人間じゃないよ、ババア。何しに来たんだい」


 静江は起きたままのことを話した。我ながらおかしいと思いつつも、この訳のわからない犬のような、うなぎのようなものなら状況を説明してくれるのではないかという期待を込めて。


「何言ってるのかわからないね、ババア」


 期待を踏みにじりながら、そいつは質問をしてきた。


「その服は最初から着てたの?」

「いや、ここに立ったらこんなだった」

「しめしめ。僕はリビンチューQ。僕と一緒に悪い奴らと戦ってほしいんだ。リキューとでも呼んでよ」


 いきなり話が変わったので全くついていけず、静江は目をぱちぱちと瞬く。


「紫色のフォームはとてもレアなんだ。まさかこんなババ、老婆がいるなんて」

「アンタが何言ってるのか、一言もわからんね」


 先程の言葉をそっくり返し、静江はリキューから少しだけ距離を置こうと一歩退く。

 一歩だけだったはずが、風を切る音とともに数十メートル後退していた。怪我はない。まるで新幹線に乗った時のような速さにも関わらず、静江の感覚と肉体はそれに遅れることはなかった。


「なんじゃこれ」


 腰を曲げた姿勢のまま軽く10メートルほどジャンプし、前方へ移動する。着地時の砂埃と土砂にまきこまれ、リキューは無言でのたうちまわった。


「なんじゃこれは」


 静江は特に感慨深い様子もなく、土砂の中から変な黒い有機物の首根っこをつかんでを引きずり出した。


「どうなってる。なんじゃこれ」

「すごいよ。クソババアの家族も守れるじゃないか」

「今なんて言った」


 地面に叩きつけられたリキューは、首や足と思われる箇所を変な感じにくにゃりとさせながら地面に深くめり込んだ。静江は割烹着のポケットからマイルドセブンを取り出し、ゆっくりと火を点ける。


「どうなってるんだ、あたしは。これは夢かえ」

「老婆、名前を教えてよ」

「静江だが」

「シズヱ、君は選ばれた。このすきかいを救ってほしい」


 リキューは今以上の暴力を恐れたのか、早口で長い説明を始めた。

 この場所が隙魔界と呼ばれる場所であること。

 現実世界へ侵攻するための準備が始まっていること。

 自分たち穏健派と対立する急進派は現実世界を乗っ取るつもりであること。

 巨大な建築物は穏健派の拠点で、完成すれば急進派に優位を保てること。

 まれに人間界から選ばれた戦士が現れるが、最上位とされる紫色の戦士は見たことがない、などなど。


「おい、リキューとやら」


 静江はしゃがみ込み、めりこんだままのリキューの尻尾と思しき部分をつかんで引っ張り上げた。


「はい」

「短く、聞かれたことに対して、こっちがわかるように答えな」

「はい」

「選ばれた戦士とは」

「シズヱは選ばれた」

「誰に」

「僕たちの主様に」

「今までの戦士はどうなった」

「戦って消えました」

「消えたらどうなる」

「現実世界に帰ります」


 吸っていたマイルドセブンを、自分の指でもみ消す。何か考えているのか単純に疲れただけなのかはわからない。


「家族を守れるとか言ってたね。そいつらは現実でも襲ってくるのかえ?」

「直接的にはない。少なくとも今のところは」


 だけど、とリキューは付け加える。


「こっちで奴らを倒しておけば、そんな不安はなくなるよ。本当さ。本当の本当に本当さ。戦士の家族は狙われやすいんだ」


 不安を駆り立てる内容に怒りを覚えるが、静江の腹は決まった。


「そうかい。で、あたしの力を10だとしたら、敵ってのはどれくらいだえ」

「せいぜい5とか、いっても8くらい」


 静江は尻尾を掴んでいる手を離した。地面に降りたリキューが黙って静江を見上げる。


ってやるって言ってんだよ。家族を狙われたらしょうがない」

「本当かい!? 扱いやすくて助かるよ。じゃあ今から僕たちの上位意思の元へ連れて行くよ」

「リビングツールQ号よ、その必要はない」


 いきなり現れたのは、静江よりもさらに老け込んだような老人だった。黒く膝まである長い外套を身をまとい、金色に光る杖を手にしている。頭はきれいに禿げ上がっており、威厳に満ちた眼光には強い光が湛えられていた。


「その者、薄紫衣を纏いて荒野に降りたつ……」


 値踏みするような目で静江を見つめ、重々しい声で言い放つ。リビングツールQ号と呼ばれたリキューは声音と口調を変え、二本足で立ち上がりながら応じた。


「早速のお言葉、ありがとうございます」

「その者、薄紫衣を纏いて荒野に降りたつ……」

「ブラックベール様の予言を聞け。そして主様に服従を誓え、シズヱよ」


 静江はポリポリと頭を掻き、2本目のタバコに火を点ける。


「やなこった」

「さっき戦ってやるって言ったじゃないか!」


 元の口調に戻ったリキューがジタバタと足を踏み鳴らして抗議する。


「服従だって? そんなもん進駐軍にだってしなかったよ。何を勘違いしてるんだい」

「その者、薄紫衣を纏いて荒野に降りたつ……」

「それに……はあ……」


 小さく吐息を漏らし、静江は色んな感情を込めた目でブラックベールを見た。


「シズヱ、主様をそういう目で見るんじゃない」

「いやだけどさ、家族は大変だろうなあって思うよ」

「多分ホログラムマシンがおかしくなっているんだ。普段はご飯の時間とかお尋ねになられたり、絵葉書を作ったりされている。日によって。元気に」

「お前も大変なんだねえ」

「だからそういう目で誰かを見るんじゃない」


 何とも言えない雰囲気の中、再びブラックベールの口が開いた。


「その者、薄紫衣を纏いて荒野に降りたつ……」

「……はあ……」

「その目とため息はやめるんだ、シズヱ」

「やっぱり戦ってやろうかねぇ。この人にも張り合いとか生きがいって必要だろう。足を動かすと良いっていうから、ちゃんと散歩させるんだよ? 青魚も良いんだって」


 複雑な同情から再度戦いへの意思を決めた静江は、もう一度だけブラックベールに目をやり、両手を合わせた。


「シズヱみたいなババアは扱いやすくて助かるよ」


 減らず口を叩くリキューをつま先で軽く小突いたところ、腕や足といった部分を変な感じに曲げながら勢いよく転がっていった。


「いかん。帰る方法を聞いておくんだった」


 静江はリキューを追う。ブラックベールのホログラムが顔だけを動かし、静江の姿を見送った。

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