川べりの家

 静かな流れの川べりに、小さな平屋が建っていた。近くの鉄橋を国鉄が走らなければ、川のせせらぎが聴こえてくるような場所だ。西の空は赤紫に染まり、子供の帰宅を促す愛の鐘が響き渡る。

 くらしずは銀色に輝くステンレスの蓋を開け、炊きあがったササニシキにしゃもじで空気を含ませた。しわだらけの顔に深い笑みが刻まれる。次男が買ってくれた花柄の8合炊き炊飯器にはマイコンが管理する保温機能が備わっており、いつ孫たちが遊びに来ても温かいご飯を振る舞うことができるのだ。


 テレビのスイッチを引っ張る。チャンネルを右方向にガチャガチャ回して国営放送に合わせた。ルービックキューブというおもちゃが大流行の兆しを見せていると報道しているが、こんなチマチマしたもの流行しないだろうと静江は思う。もっと大胆に体を動かす遊びをしないと子供は元気に成長しない。

 今なら「土に代わっておしおきよ!」とか決め台詞を言うアニメ番組が流行っているらしく、公園でよく子供たちがごっこ遊びをしている。こういう遊びのほうが、子供に善悪感を教えるのに役立つのではないかと静江は考えている。

 ちゃぶ台に座り、お茶を飲む。時間を確認し、マイルドセブンに火を点け、深く息を吸い込んだ。ガラスの巨大な灰皿には吸い殻が15、6本転がっている。


 夜7時、電話がジリジリと鳴った。この時間なら同じ市内に住んでいる長男の隆からだろう。特に用事はないのだが、ほぼ毎晩電話をくれる優しい子だ。


「はい、田野倉です」

「あ、おれ。明日は家に居る?」

「いるよ。声が変だけど、風邪ひいてるのかい?」

「喉が少しガラガラするけど大丈夫。涼子とかみさん連れて夕飯食べに行っていい?」

「ああ、嬉しいね。待ってるよ」


 小学校に入学したばかりの涼子の好物は把握している。カニ玉だ。嫁の香が教えてくれた。子供は甘いものが好きだから、砂糖をいっぱい入れて作ってあげるとしよう。

 カバー付きの受話器を置く。足元から声がした。目と耳が肥大化した黒いうなぎのような、犬のようなものが静江を見上げる。


「約束してしまって、大丈夫なのかい?」

「優先させるよ、家族の方を」

「大事なリョウコに何も起きなければいいけれど」


 静江の目が細まり、声が落ちる。


「リキュー、脅してるつもりかえ」

「脅しじゃないよ。可能性だよ。いつも言うように、静江が急進派をやっつければいいだけさ。あいつらは人間なんていなくてもいいって考えているからね」


 リキューと呼ばれた有機的な存在は、体をくねらせながら話を続けた。


「アンタがやればいいんじゃないのか」

「なんで僕がシズヱの家族を守らなくちゃならないんだい?」


 静江は肩を落としてちゃぶ台に戻り、再びマイルドセブンに火を点ける。踊らされている気にもなるが、家族の安全を脅かされては仕方がない。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



 静江が初めてこの奇怪な生き物のようなものに出くわしたのは、テレビの中だった。テレビに撮影されたわけでなく、テレビの箱の中に入ったらそこにいたのだ。

 誰に話したところで頭がおかしくなりだしたと言われるだけなので黙ってはいるが、事の発端はテレビにあった。


 ある晩の10時過ぎ。次男の宗二から電話があったから、土曜日だったろうか。夜の9時を回ると長距離電話が安くなるので、遠く離れた県で働いている宗二は毎週土曜の夜9時半ごろに電話をくれるのだ。


 テレビの横にある受話器を取り上げ、いつもの小言から会話を始める。


「あんたは結婚しないのかい」

「兄貴の家を見ると、どうもね」


 長男、隆の嫁の香は表面は良いが、どこか人を寄せ付けない雰囲気がある。特に最近になって強くその気配を感じていたのが静江と宗二だった。


「だから別にいいかなって。母ちゃんだっておれのとこに住めばラクだと思うよ?」

「またあんたの面倒みなきゃいけないなら、あたしはこの家でいいよ」


 他愛もない軽口を叩いていると、プツンという音を発端に消していたはずのテレビから砂嵐の音が流れ始めた。故障したかと思い、電話を切る。

 確認したところ、ダイヤルは放送のない2チャンネルになっている。なにかの拍子にスイッチが入ってしまったのだろうと電源ボタンを押そうとした。するとひょいっとテレビの中に吸い込まれたのだった。


 そして静江は赤銅色の地面が広がる荒れ地に立っていた。なぜか薄紫色の割烹着を着て。遥か彼方で巨大な建造物をこしらえているようだが、それがどんな高さになるのか、どんなものになるのか見当もつかない。


「なんだ、老婆じゃないか」


 突然、後ろで声がした。振り向くとそこに得体のしれない変な黒っぽい有機物がいたのである。

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