第30話 夜のファミレスで
「ねぇ、ちょっと大樹君? どこ行くん?」
後ろからついてくる鮎菜ねーちゃんの言葉には答えずに、俺は夜の街を当てもなくさ迷い歩いていた。
どこへ行く当てもない。
身を寄せられるような心当たりもない。
だが、あの家にはもう帰りたくないという気持ちだけがあった。そんな強い感情が、胸の中心にどっかりと居座っている。
俺は。
俺だけは、きっと、認めちゃいけないんだと思う。
母親から告げられた言葉を、飲み込んだりしてはいけないんだと思う。だって他の誰よりも俺が、鮎菜ねーちゃんに救われ、世話になり、包み込んでもらってきたのだから。
だから彼女に押し付けられた理不尽に対しては、俺が一番声を大きくして、抵抗しなければならないのだ。
「大丈夫だから」
心細くなる気持ちを抑え込んで、俺は鮎菜ねーちゃんに告げた。
「大丈夫だから。鮎菜ねーちゃんを、どこにもやったりしないから」
「大樹君……」
「そんなの、俺が絶対に許さないから……」
そうは言ってはみるものの、具体的な方針がまとまっているかと言われれば、別にそういうわけでもなかった。
気づけば、正人の入院している病院の近くまでやってきていた。昼間なら白く見える建物の外壁も、夜となって星明りの下で見る今は、どこかグレーにくすんで見える。
なぜこんなところに? と一瞬思って、すぐに「ああ」と納得する。多分俺は、無意識に誰かを頼ろうとしていた。そして俺にとって、頼れる友人って言葉で思い浮かぶやつなんて一人しかいない。
今はもう、眠りに就いていつ起きるのか……本当に目を覚ますのかどうかすら分からない、そんな親友を、俺は頼ろうとしていたのだ。
『なんだよ、そのふざけた話は!』
多分、お前がこの話を聞いたら、言うよな、お前は。
『とりあえず部屋上がれよ! あ、鮎菜さんも上がっちゃってくださいよ。さっさと作戦会議開いてさ、やっつける方法考えようぜ!』
そうやって、俺が困っている時、多分お前はそうやって引っ張ってくれるよな。
頼らせて、くれるよな。
……今はもう、そんなの無理になっちまってるってのに、それでも俺はお前を頼ろうとしてしまうぐらいには、お前のことを当てにしてんだよな。
そう思った瞬間、唐突に凄まじい無力感を覚えてしまう。
俺はただの、十七歳の高校生で。
大人にあるような力はなく。
誰かを守れるような責任能力もなく。
実際にやっていることは、ただ感情的に泣いて喚いて、逃げ出すように鮎菜ねーちゃんを外に連れ出してみただけで。
……そして、計画なんてものもまるでない。
俺にできることなんて、所詮はたかが知れていた。
「うわあああああああっ!」
気づけば俺は、病棟を仰いで叫んでいた。
「ああああああっ! なんでだよ! どうしていないんだよ! いるんだろそこに! なんで眠ってんだよ! 目ぇ覚ませよ! なあ!」
ガキみたいにみっともなく地団駄を踏む。その様はまるで駄々をこねる幼子そのものであるが、そんなことはもはや関係なかった。
「なんなんだよ! お前さあ、正人さあ! ああくそっ……くそっ……いろよバカ……」
押し迫る途方もない現実を前にして、こらえきれなくなった俺は、背中を丸めてその場にうずくまる。
ひたすら弱かった。
現実を前にどこまでも負けていた。
正人は目を覚まさず。睦月は塞ぎ込んでしまって。鮎菜ねーちゃんは家を追い出されることとなり。
この世界にはもはや、希望なんて欠片も残されていないような気がして。
どこまでも。どこまでも。海の底目指しているみたいに気分は深く沈んでいってしまうかのようで。
だいたい、勢い余って出てきたはいいものの、俺はこんなところでいったい何をやってんだろう。泣いて喚いて叫んだところで、なにも解決しないのに、どうしてこんなところで必死に声を上げているんだろう。
どれだけの間、そんな風にしていたかは分からない。通りゆく人の、訝し気な視線が向けられているのは感じていたが、それを気にするほどの余裕もない。
ただ、やがて、温かな温もりが俺の肩にそっと触れた。その温もりの主は、いつものほんわかとした声で、優しく俺を促してくる。
「なぁ、大樹君? お腹、空かん?」
「……」
「とりあえずなぁ、なんか食おうや? 今の大樹君、ちぃとばかし落ち着いたほうがええで。な?」
そんな風に言われてみれば、確かに体は空腹を訴えているようである。
「……うん」
のろのろと体を起こし、鮎菜ねーちゃんに向かって俺はうなずく。
どんなに現実が押し迫ってきても、どうしたってカロリーってやつを要求してくるのだ。肉体ってやつは。
そういうわけで、差し当たっては病院の近くにあるファミレスに行こうという話になったのだが――。
「……あ」
「へ……?」
訪れたそのファミレスで。
「……いや、こんな夜遅くになにやってんのお前?」
俺は、睦月と出くわしたのであった……。
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