第31話 誰もがどこにも居場所がなくて――
店内で立ち話をするというわけにもいかなかったので、俺たちは店員に言って睦月と同じテーブルに着くことになった。
時間は、いつの間にか夜の九時を回っている。女子高生が一人で外を出歩くには、ちょっと心配になるぐらいには遅い時間だ。だから睦月を一人残して、他の席を探すという選択肢は俺にも、そして鮎菜ねーちゃんにもなかった。
「……」
睦月は、俺たちが席に着いても無言のままだった。それから注文した食事を終え、誰もが手持無沙汰になってからも、口を開く様子はなかった。ただ、ぼんやりとした表情で、客で賑わう店内を眺めているだけだ。
そんな睦月に、俺の方から話題を振る、ということもなかった。なにを話せばいいのか分からなかったし、どんな話をしたところで芳しい反応が返ってこないのは分かり切っていたからだ。
となると、頼みの綱は人当たりの良い鮎菜ねーちゃんということになるのだが、彼女は彼女で状況に困惑しているようだった。時折、何事かを話そうとする素振りは見せるものの、その口から漏れ出てくるのは言葉にならない吐息ばかりである。
「……」
「……」
「……」
だから俺たちは無言だった。完膚なきまでに沈黙していた。だというのに、誰も席を立とうとしない。「じゃあ、そろそろ会計を……」なんて言い出したりもしない。気まずい空気を抱えながらも、この場から動き出そうとしたがる人間なんていなかった。
(それは、多分、きっと……)
なんで誰も立たないのか、その理由を頭に思い描こうとした時である。頑として場を支配する沈黙に変化が起こったのは。
「……ねえ、睦月ちゃん。こんな時間まで、一人でお外をうろついてたの?」
変化を起こしたのは、鮎菜ねーちゃんだった。睦月へと向けられた彼女の瞳は、まだどこか迷いの色を残しながらも真っ直ぐだ。
「……はい」
鮎菜ねーちゃんからわずかに目を背け、睦月が言葉少なにうなずく。
すると、そんな睦月の態度に、鮎菜ねーちゃんははっきりと目に険を滲ませて、言った。
「ダメよ、そんなの。こんな遅くに、女の子が一人で出歩いちゃ」
「ええ……」
「本当に分かってる? 女の子にとって、大事な話をしてるのよ?」
「はい……ごめんなさい」
……鮎菜ねーちゃんからしてみれば、睦月は知らない仲ではない。
いや、それは睦月に限った話ではない。例えば樹里。例えば正人。俺にとって結びつきの強いあいつらのことを、鮎菜ねーちゃんだってよく知っているはずである。
なぜなら三人とも、うちにはよく遊びに来ていたし、部活の試合などがあればそこで顔を合わせたりすることもあった。だから友達とか、幼馴染とかいう関係とは異なるものの、鮎菜ねーちゃんにとってはこうして心配する相手であることに変わりはないようである。
あと、鮎菜ねーちゃんは、家の外だと標準語になる。それが俺には、いつもちょっと新鮮だ。
「分かってるならいいけどね……今度から、ちゃんと遅くならないうちに家に帰るようにするのよ?」
「それは、あの……」
鮎菜ねーちゃんの説教に、睦月が珍しく口ごもる。その、はっきりとしない曖昧な態度は、どうにも睦月らしくない。
それがどうにもしゃくに感じて、俺は横から口を挟んだ。
「……はっきりしろよ。お前らしくもねえ」
「っ、それは……」
「いつもはお前が言う側じゃねえか。はっきりしろ、なんて言葉はよ。……だってのになんなんだよ、不景気なツラしやがって」
自分でもはっきりと分かるぐらい、苛立ちに任せた発言だった。攻撃的な感情が、腹の真ん中でとぐろを巻いている。
「はっきりしろって人に言うなら、
「大樹君」
「……なんだよ。俺は別に間違ったこと――」
「大樹君。落ち着かんと。な? いい子だから」
隣に座った鮎菜ねーちゃんが、「いーこいーこ」と言いながら頭を撫でてくる。自分より背の低い年上の女性に、そんな風に宥められ、「チッ」と俺は拗ねた態度でそっぽを向いた。
なんというか、ダセェ。あまりにもダセェ。どう見ても参ってる女に苛立ちをぶつけてしまったのもダセェし、それを他の女に諭されてしまったのもダサかった。男としても人間としても、あまりに器が小さすぎる。
かといって、仕方ないではないかという気持ちもある。とにかくもう、いっぱいいっぱいなのだ。正人のこと。野球のこと。睦月のこと。鮎菜ねーちゃんのこと。……考えるべき問題が多すぎて、どれからなにをどう処理していけばいいのかも分からな過ぎて、頭を抱え込みたくなる。むしろなんで、鮎菜ねーちゃんはそんなに落ち着いていられるんだ? とすら思ってしまう。自分だって、不安や苦悩がないわけではないのに。
なのに鮎菜ねーちゃんは、そんな内心をおくびにも出さずに、睦月に向かって穏やかに問いの言葉を重ねていた。
「……なにか、家に帰れない事情があるのかな?」
「それは……いえ。帰れないわけじゃ、ないんですけど。でも」
「帰りたくない?」
「……」
鮎菜ねーちゃんが確認するようにそう口にすれば、睦月は無言でうなずいていた。
「そっか」
と、軽い調子で鮎菜ねーちゃんもまたうなずく。
そこからさらに、
「どうして、帰りたくないの?」
今度はそんな問いを睦月に投げかける。
睦月は答えた。
「怖いんです」
「怖い?」
「はい。あの……一人の家に帰るのが、怖いんです。誰もいなくて、玄関の扉を開いた時は部屋の中が真っ暗で、そこに一人でいたらなんだか気が狂いそうになってしまうって思ったら、どうしても足がそっちに向かなくて……気づいたらここに来ていて」
「……そうなの」
「正人君のお見舞いに今日も行ったんです。私が悪いから、私のせいだから……それであの人は今も眠り続けてしまっていて、見ていないとそのままずっと起きないままになってしまうような気がして。でも、見るたびにまた怖くなるんです。このまま、目が覚めなかったらどうしようって。そんな風に思ってしまうと、一人になったら嫌な想像がどんどん膨らんでいってしまうような気がして、人がいて明るいところにとにかくいたくて。……でもダメですね。結局どこにいても、正人君の様子を見ても見なくても、広がるのは怖い想像ばかり。だけどもっとダメなのは、楽しそうに笑っている人がいると、とても腹が立ってしまうんです。正人君は今、ずっと眠り続けたままなのに、どうして他の人は笑顔を浮かべられるんだろうって思うと、世界なんて滅びてしまえばいいのになんて思ってしまうんです。……そんな自分の意地の悪さが本当に嫌で嫌で、死にたいです」
一気にそこまで口にすると、睦月は疲れた様子でため息をついて、「ごめんなさい」と謝った。
「なにに謝ってるのよ」
鮎菜ねーちゃんが唇を尖らせてそう指摘すると。
「……分かりません。でも、なんだか、申し訳なくて」
と、睦月は困った様子で目を伏せた。
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