第10話 大っ嫌い

 後ろを振り向けば、そこにいたのは案の定と言うべきか、樹里だった。


 彼女は後ろ手に手を組みながら、どこか冷たい印象を与える表情で俺から視線を背けてそこに立っている。


「……」


「……」


 どこか物言いたげではあるものの、実際にはなにも口にはしない。そんな樹里の態度には、こちらの方まで焦れてしまう。


 結局、沈黙に耐えかねて先に口を開いたのは俺の方だった。


「……なんだよ。なにか、俺に用か?」


「別に」


 そっぽを向いたまま、素っ気ない態度で樹里が答える。


「用とかじゃないけど」


「なら、なんだよ」


「用がないと話しかけちゃダメなの?」


「そういうわけでもねーけど」


「合コン行ったんだって?」


「ごっ……」


 不意を突くように切り込まれ、俺は一瞬、言葉を失う。失ってから、でもなにか、なんでもいいから言葉を返さなければならないということに気がついた。でも、なんて? どんな言葉を返すべきなんだ?


 そうやって戸惑っている俺に、そこでようやく樹里が視線を向けてきた。その目はどこか、俺のことを責めるような色を帯びている。そのことが、逆に俺のことを開き直らせた。


 なんでだよ、と思ったのだ。どうしてお前に責められなきゃならないのだ、と。そんな筋合いはないはずじゃないか、と。


「別に……なんで知ってんの?」


「付き合う友達は、選んだ方がいいんじゃない?」相変わらず素っ気ない、むしろ冷淡とすら言っていい口調で樹里が忠告してくる。「あんまり声の大きい人なんかは、特に」


 ……森畑、だろうな。あいつめ、余計なことを。秘密にしろと言った覚えはないものの、こんな事態はさすがに想定していなかった。


 舌を打ち鳴らしたくなる衝動を堪えながら、俺は樹里に言葉を返した。


「まあ、確かに誘われて合コンには行ったけど……でも、それがなに?」


「それがって……!」


「関係ないだろ、お前には」


「ないわけ、ないじゃん……! ないけど……なくない」


「……なんだよそれ。意味分かんねえんだけど」


「つか、彼女ほしいならあたしが誰か紹介してあげてもいいって言ったじゃん」


「なんで、その話になるんだよ」


 唐突に話が飛んで、俺は眉をひそめてしまう。いや、樹里の中では繋がっているのか? でもそんなの、こちらには分からない。俺のなにが樹里の気に障っているのかすら、俺にはまるで分からない。


「それは、別に。どうしようが俺の自由だろ。そもそも、そんなのお前が勝手に言い出しただけじゃねえか」


「だって!」


 噛み付くように樹里は言い返してきた。なにかを訴えかけようとするかのような視線で、俺を睨みつけてくる。


 だけど、そんな彼女の威勢のいい態度も、すぐに空気の抜けた風船みたいに萎んでしまう。こちらを睨む目は力なく地面へと落とされ、なんだか切なげに形の整ったまぶたは細められた。


「……んだよ。はっきりしねえなあ」


 なにが言いたいのか判然としない樹里の態度には、俺も正直、苛立たされていた。


 だから自然と、樹里に対するこちらの態度も刺々しいものになってしまう。自分ではそのつもりがなくても、もしかすると俺は俺で、この時頭に血が上ってしまっていたのかもしれない。


「チッ……めんどくせー……っつーか、うぜえんだよ。なんで俺が合コン行ったってだけのことで、わざわざ絡まれなきゃならないわけ? ……別に付き合ってる

わけでもねーのに」


 ——そしてもしかすると、それが地雷だったのかもしれない。


 一瞬、樹里は色を失った顔で俺を見た。ゾッとするほどに無表情だった。なにか言葉を間違えたのかもしれない、俺は言ってはいけないことを口にしてしまったのかもしれない。そんな風に俺が思って、慌てて口を開こうとしたその時には、樹里の口からは言葉が発せられていた。


「……嫌い」


「樹、里……?」


「うっさい。嫌い。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。もうやだ知んない。大っ嫌い」


 それから、今にも泣き出しそうな顔で、声で、目で俺のことを睨みつけると。


 樹里は、空に届きそうなぐらいの大音量で、その言葉を口にした。






















「——大ちゃんなんて、もう、大っ嫌いなんだから!!!!」






「……え?」


 気づいた時には、時すでに遅く。


 伸ばした右手は、駆け去る樹里の背中にどう足掻いても届くわけもなく。


「……だから、わけわかんねーって言ってんだろ」


 だから俺には、その場で頭を抱え込むぐらいしか、できることなんて残されてはいなかった。

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